| 少年時代、土曜日となれば吉本新喜劇、道頓堀アワー、松竹新喜劇とお笑い番組のTV放送に夢中だったという。 |
| 高校卒業後、曾我廼家明蝶が主宰する明蝶学院の演劇科で学び、喜劇役者を目指すがその演劇科が閉鎖となり、タイヘイトリオに師事し漫才に転向する。 |
| 里見まさと(旧芸名・まさと)と組んだ「ザ・ぼんち」時代には、「そーなんですよ川崎さん」(山本耕一の真似)、「潮来の伊太郎~あれ~」(橋幸夫の真似)、「おさむちゃんで~す」などのギャグで1980年代前半の漫才ブームの頂点を極めた。 |
| 特に「お~」から始まり「ちゃんで~す」で終わるまで顔を真っ赤にして、時によっては数十分間もいきみまくる「おさむちゃんで~す」のギャグは壮絶でさえある。 |
| 2000年に放送されたNHKラジオ「漫才ブームを振り返る」(ナイター雨傘番組)では、「おさむ」「ちゃんでーす」の間があるのは気合を溜めているから、とコメントしている。 |
| 弟子にジミー大西、吉田ヒロ、チャド・マレーンのチャド、つばさ・きよしのぼんちきよしなどがいる。 |
| 歌唱力も中々のもので、加山雄三のものまねは絶品である。 |
| 1981年、『恋のぼんちシート』でレコードデビュー。 |
| オリコンでは最高位第2位という、漫才師が出したレコードとしては最大のヒット曲となった。 |
| そして、2011年現在まで漫才師としては唯一、日本武道館で公演を行った。 |
| フジテレビ系のバラエティ番組『オレたちひょうきん族』では、西川のりおとのコンビで「ひょうきんベストテン」コーナーに出演。 |
| 毎回、奇抜な衣装で登場し、本物のアイドル歌手をびっくりさせた。 |
| 一時期、のりおとのコンビで兄弟デュオ・狩人の、似せようとする気は全く無く2人でわめき散らすように歌うだけの物真似を行い、スタッフに大ウケした。 |
| 以降、事あるごとに狩人の「あずさ2号」を絶叫しながら歌うギャグがオチのように使われた。 |
| しかしこのギャグは鉄道ファンから抗議が殺到したばかりか、当時の国鉄長野鉄道管理局(現:JR東日本長野支社)からもクレームが入り、すぐに中止された。 |
| コンビ解散後は俳優としての活動も始め、テレビ朝日系のテレビドラマ『はぐれ刑事純情派』に里見刑事役で長年レギュラー出演した。 |
| 2004年、フジテレビ・フジネットワークの特番『27時間テレビ』でコンビは復活した。 |
| 「ザ・ぼんち」の再結成に伴い、漫才一本に専念するため里見刑事役を降板した。 |
| テレビ朝日系の番組『雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!』に出演した際には、番組冒頭の挨拶で「おさむちゃんで~す」と発するためにテレビ朝日の社屋のあちこちを奔走し、ようやく自己紹介した直後に番組が終了するという、前代未聞の事態となった。 |
| 放送後、番組の公式BBSには苦情が殺到した。 |
| 舌を鳴らす、突然飛び上がるなどの芸を持っているが、意図した芸ではなくトゥレット障害によるものであると言われる。 |
| バラエティ番組の収録時はともかく、『はぐれ刑事純情派』の収録でも出るので、共演者や制作陣に迷惑がかからないよう、タイミングを見計らって本番に入っていたようである。 |
| ただ、それでも鳴ってしまったり飛び上がってしまうことはあり、そのたびにNGになってしまったという。 |
| 芸人仲間には「たまに出るけど気にせんとって」と言っていたらしいが、それも含めてギャグと認識され、「面白い兄さん」と評価されていた。 |
| ジェリー・ルイスの大ファンで、踊りや髪型などかなりの影響を受けている。 |
| 漫才ブームの時には、この発言の影響かサンテレビやテレビ大阪などでルイスおよび相方のディーン・マーティンの古い映画をよく放送しており、「おさむちゃんの原点はジェリールイスなんだ」というのが垣間見ることができた。 |
| 本人もいつかマーティン&ルイスと共演したいと語っていたが、マーティンの逝去やルイスの高齢(2008年で82歳)を考えると、現実には厳しいものと考える。 |
| 弟子のジミー大西が売れ出しても、「僕は何も教えていない」と、自身を驕るそぶりさえ見せない器の持ち主である。 |
| また、ジャスボーカリストとしても関西のライブハウスのステージにも立っている。 |
| 川島なお美と親戚である。 |
| 千鳥のぼっけぇTV!2011年5月13日放送より。 |