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紀元前27年に元老院よりアウグストゥス(Augustus)の尊称を授与されたアウグストゥス本人と、この尊称を帯びた彼の後継者をさす。ローマ皇帝というひとつの職... |
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プロフィール
- アウグストゥスとは
- 幼少期
- カエサル暗殺
- ローマ帰還
- オクタウィアヌス、元老院議員に
- 元老院派の粛清
- フィリッピの戦い
- 戦後処理
- アントニウス派の武装蜂起
- ポンペイウス派との戦い
- アントニウス弾劾
- アクティウムの海戦
- 共和制への回帰
- 「ローマ皇帝」の誕生
- 政治
アウグストゥス(インペラートル・カエサル・ディーウィー・フィーリウス・アウグストゥス、ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス・アウグストゥス、紀元前63年9月23日-紀元14年8月19日)は、ローマ帝国の初代皇帝(在位:紀元前27年-紀元14年)。志半ばにして倒れた養父 カエサルの後を継いで内乱を勝ち抜き、帝政(元首政)を創始、パクス・ロマーナ(ローマの平和)を実現した。
幼少期
| 騎士階級に属するガイウス・オクタウィウスとアティア(カエサルの姪)との間に生まれる。 |
| 出生の時の名はガイウス・オクタウィウス・トゥリヌス()と称する。 |
| 姉には小オクタウィアがいた。 |
| 幼少の頃はウェレトラエ(現ヴェッレトリ)の祖父のもとで過ごす。 |
| 紀元前58年、父と死別。 |
| その後、母アティアはルキウス・マルキウス・ピリップスと結婚、この時、トゥリヌスは新夫妻の元へ引き取られ、継父は実の息子とともにトゥリヌスを可愛がったという。 |
| 紀元前47年には神祇官に任命される。 |
| 紀元前46年には大叔父カエサルの建造したウェヌス神殿を記念してギリシアの古代オリンピックに参加させられる。 |
| 本来は大叔父のアフリカ遠征に付き従いたかったのだが、母アティアの反対により断念となった。 |
| 紀元前46年にカエサルのヒスパニア遠征に従軍したが、ムンダの戦いでカエサル軍が勝利をすでに収めた後であり、彼自身も出立直前に病に倒れる結果となってしまった。 |
| 病が治るとすぐに戦場に船で急行したが、途中で船が難破し、カエサルと敵対する勢力の真ん中に漂流してしまう。 |
| ここでトゥリヌスは生き残った少数の兵を掌握し敵陣を横断、この彼の行動はカエサルに強い印象を与え、一説にはこの時にカエサルは自分の後継者としてトゥリヌスを選ぶ事にしたと言う。 |
| またトゥリヌスは計画されていたパルティア遠征には司令官として赴くことになっていた。 |
| そして虚弱体質で軍才もないという弱点を補うべく、生涯の盟友となるマルクス・ウィプサニウス・アグリッパともこの前後に引き合わされた。 |
カエサル暗殺
| 紀元前44年3月15日にカエサルがマルクス・ユニウス・ブルトゥス、ガイウス・カッシウス・ロンギヌスらに暗殺される。 |
| この時はカエサルの指示からトゥリヌスはギリシア西海岸にて遊学中であったが、急遽ローマへ帰還する。 |
| その途中ギリシアからほど遠くない南部イタリアブルンディシウム近郊のリピアエでカエサルが自分を後継者に指名していた事を知る。 |
| これにより、わずか18歳の無名な青年に過ぎなかったトゥリヌスは、一躍有名になった。 |
| そして以後ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス(。 |
| すなわち「ガイウス・ユリウス・カエサル」というパトリキの名門貴族の名を継ぐ事は騎士階級出身でしかなかった彼の低い出自では憚れることであったからである。 |
| ブルンディシウムでカエサル配下の軍団兵たちより温かい歓迎を受けたオクタウィアヌスはカエサルの側近たちの協力も得、カエサルの遺志であるパルティアとの戦争を遂行するためカエサルが集めた公的資金を要求。 |
| 70万セステルティウスもの資金がブルンディシウムに集められた。 |
| そして元老院の査察のもとその資金で軍団を編成、東方に派遣したとされているが、実情はアントニウスを中心とする元老院の反オクタウィアヌス派に対抗するための軍団を編成していた。 |
| そして、また彼は権限なしで東方の属州からローマにわたるはずの税収を収用した。 |
| パルティアはカエサルが戦うはずであった宿敵であり、この戦争をちらつかせる事でオクタウィアヌスはカエサルの後継者としての支持を集める。 |
| そしてローマへの帰還中オクタウィアヌスのもとに様々な支持、とくにカンパニア在住のカエサル配下の退役兵から熱烈な支持を受ける。 |
| 6月までに3,000のカエサルの退役兵が彼の元に集合、オクタウィアヌスは一人につき500デナリウスの給付金を配った。 |
| こうしてカエサルの古参兵、側近とともにオクタウィアヌスは勢力を拡大し、有力なカエサルの後継者候補として政治の表舞台に躍り出た。 |
ローマ帰還
| 紀元前44年5月6日にオクタウィアヌスがローマに戻った時点で、この年カエサルとともに執政官であったマルクス・アントニウスとカエサルを殺した元老院派との間で既に不戦条約が結ばれており、カエサル暗殺の首謀者は各自恩赦により3月17日付で国外に退去、マルクス・ブルトゥスとカッシウスはギリシアに赴任し、デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌスはガリア・キサルピナ属州(現在の北イタリアの一部を当時は本土イタリアの内と考えていなかった)を支配下に抑えていた。 |
| ローマに戻ったオクタウィアヌスは、軍団兵の支持厚い名将、民衆派の政治家として人気の高かったカエサルの葬儀を執り行った。 |
| カエサルの財産の4分の3を相続するはずだったオクタウィアヌスだが、下記のようにアントニウスの妨害にあってそれを入手出来ないでいた。 |
| しかし借金などの金策に努めてカエサル配下の軍団に給与を支払い、ローマ市民にも遺言に従って一時金を支給するなどして、支持を取り付けた。 |
| 次第に頭角を現すオクタウィアヌスに対して、カエサルの死後、単独の執政官として事実上権力を掌握していたアントニウスは危機感を募らせる。 |
| 当時アントニウスはカエサルの公的遺産を着服していたため、これを譲り渡すようオクタウィアヌスが説得した。 |
| アントニウスはこれを拒否し、オクタウィアヌスは説得には失敗するものも、多数のカエサル支持者から同情を買うこととなった。 |
| 一方のオクタウィアヌスはカエサルとの性的関係から後継者の地位をつかんだと元老院で告発、様々な妨害を試みる。 |
| しかしながらアントニウス自身、単独執政官として独断を行っているとキケロなどの元老院派から非難もされていた。 |
| *告発されたのがどちらか分かり難いです。 |
| 同年9月には、アントニウスと対立していたキケロがオクタウィアヌスと接近し、協力するようになる。 |
| オクタウィアヌスはキケロら元老院派と手を組んでアントニウスを論難、アントニウスは元老院の脅威となっていると弾劾した。 |
| 次第にアントニウスは元老院で孤立してゆき、さらに1年間である執政官の任期も迫ってきたため窮地に陥った。 |
| この窮地に対してアントニウスは防衛策を打つ。 |
| 彼は執政官の任期が切れる前に、自分の身柄を保護する場所として属州ガリア・キサルピナに注目した。 |
| この属州は、上述のとおり当時デキムス・ブルトゥスが統治していたが、彼に代わり自らの統治を認める法案を元老院で成立させる。 |
| この間オクタウィアヌスはカエサルの古参兵を招集し自らの軍隊を着々と編成、加えて10月28日にアントニウス配下の2個軍団も指揮下に入れる。 |
| 12月31日に執政官の任期を終えたアントニウスは、翌紀元前43年1月1日ガリア・キサルピナへと逃れた。 |
オクタウィアヌス、元老院議員に
| ガリア・キサルピナの委譲を拒否するデキムス・ブルトゥスはムティナ(現モデナ)でアントニウス軍に包囲されていた。 |
| 元老院は争う両者を止めようとするも失敗。 |
| 自らの軍を持たない元老院に代わってオクタウィアヌスがこの状況を活用しようとする。 |
| この時点でオクタウィアヌスが自ら配下の軍団を持っていることは周知の事実であり、血統的に元老院の新参者であるオクタウィアヌスの弱点を突くアントニウス派の攻撃を、キケロ政治的には反カエサル派であったが、個人的にはその友人であった。 |
| が弁舌で擁護していた。 |
| そして紀元前43年1月1日、元老院はオクタウィアヌスを元老院議員に任命、そして彼に指揮権を与えた。 |
| この年の執政官であるヒルティウスとパンサとともにアントニウスが行っている包囲攻撃を中止させようと試みるが、両執政官はアントニウスとの戦いで戦死した(ムティナの戦い)。 |
| 元老院は台頭するオクタウィアヌスを恐れてデキムス・ブルトゥスに近づき、上記の両執政官が率いた軍団の指揮権を委ねることを決議した。 |
| これに反発したオクタウィアヌスは前線から撤退、ポー川流域に留まり、それ以上のアントニウスへの攻撃要請を拒否した。 |
| 6月にオクタウィアヌス配下のケントゥリオがローマに赴き、ヒルティウスとパンサが有していたこの年の執政官特権を委託するよう要請、またアントニウスを「国家の敵」として断罪することを破棄するよう要請した。 |
| 元老院がこれを拒否すると、オクタウィアヌスは8個軍団を率いてローマに進軍する。 |
| さしたる抵抗なく8月19日にローマに入城した彼は、親戚であるクィントゥス・ペディウスとともに改めて執政官に選ばれる。 |
| 一方でアントニウスは、同僚でカエサル支持派でもあったマルクス・アエミリウス・レピドゥスと連合して元老院と対峙した。 |
| ここで、内心はカエサルの後継者として帝政(元首政)を目指すオクタウィアヌスは、彼らとの妥協を模索した。 |
元老院派の粛清
| 紀元前43年の10月、ボローニャにおいてオクタウィアヌス、アントニウス、レピドゥスによる会談により第二回三頭政治が成立した。 |
| この同盟関係は密約であったカエサル、ポンペイウス、クラッススが結んだ第一回三頭政治と異なり、公然としたものであった。 |
| 彼らは国家再建三人委員会を開設し、カエサル暗殺者逮捕を名目に元老院派の排除に乗り出した。 |
| この際、かつてのルキウス・コルネリウス・スッラのように、作成された名簿に基づいて元老院派と目された元老院議員約300人、騎士身分約2,000人が殺害、財産が没収されたといわれる。 |
| 粛清リストにキケロの名があったため、アントニウスのキケロに対する憎悪は激しく、この大量粛清は非情に断行され、キケロも殺害されたこの惨劇は後に20世紀の歴史家から皮肉にも「ローマ革命」と名づけられている。 |
| あまりにも多くの血が流れ、従来の元老院の旧体制勢力が絶え、代わりに三頭政治の支持者に入れ替わったからである。 |
フィリッピの戦い
| 紀元前42年1月1日、元老院はカエサルの神格化を決定、神君ユリウス()となる。 |
| これによりオクタウィアヌスは自らを「神君の息子」とし、元老院での影響を強めた。 |
| 一方アントニウスは、オクタウィアヌスの影響を恐れカエサルの神格化に反対したが、このためにローマ市民やカエサル配下の退役兵からの支持を失うことになった。 |
| 200px|thumb|ガイウス・マエケナス。 |
| 今や同盟関係となったオクタウィアヌスはアントニウスとともに28個もの軍団を率いてマケドニア属州に進攻、親友であり側近のアグリッパと共に転戦した。 |
| 最終的にギリシアのフィリッピの戦いでブルトゥス、カッシウスらに勝利し、敗れた2人は自害した。 |
| この戦いではオクタウィアヌス自身は軍を指揮せず、配下のアグリッパに指揮を託していた。 |
| このオクタウィアヌスの態度をアントニウスは臆病者となじり、この戦いの勝利は自分の功績だと主張したという。 |
| オクタウィアヌスがアグリッパと並ぶ片腕であるガイウス・マエケナスを見出したのはこの時期であったとされる。 |
アントニウス派の武装蜂起
| ルキウスと手を組んだアントニウスの妻フルウィラはイタリア本国在住の兵士と結託、8個軍団を編成しオクタウィアヌスへ攻撃をしかけようとする。 |
| しかし後にスクリボニアの性格に耐えきれず、またセクストゥスとの間が険悪化したため、翌年に唯一の実子であるユリアが誕生すると同時に離婚した。 |
| そして紀元前38年、健康で聡明なリウィア・ドルシラと再々婚。 |
| これは恋愛結婚あるいは略奪婚といわれ、オクタウィアヌスは彼女の夫ティベリウス・クラウディウス・ネロに直談判をして離婚させリウィアを娶ったとされる。 |
| またリウィアは連れ子ティベリウスの他に夫の子を妊娠中であったため、紀元前38年1月14日に大ドルススを出産した後に夫と離婚し、1月17日に結婚式を挙げた。 |
| 対するアントニウスはエジプト滞在中にクレオパトラと関係を深め、後に2人の間にはアレクサンデル・ヘリオス、クレオパトラ・セレネ、プトレマイオス・ピラデルプスが生まれる。 |
ポンペイウス派との戦い
| 当初オクタウィアヌスはセクストゥクスと和議、サルディニア島、コルシカ、シチリア、ペロポンネソス半島の領有権を認め、さらに紀元前35年の執政官になることも確約していた。 |
| アントニウスが政敵であるオクタウィアヌスに力を貸したのは彼自身の野心、すなわちカエサルが実現できずに終わったパルティア遠征を達成するために貸しを作りたかったからであった。 |
| カルラエの戦いでクラッススが破れ、屈辱的な敗北のままでいるローマにとって、パルティアへの勝利は市民や軍人の支持を得るには格好の事業であった。 |
アントニウス弾劾
| 紀元前34年、アントニウス配下のローマ軍がアルメニア王国を攻撃、国王アルタウァスデス2世を捕虜とした。 |
共和制への回帰
| これに対しオクタウィアヌスは比較的安全な地域と軍団駐屯の必要のある国境地域とに分け、前者を元老院が総督を選出できる元老院属州、後者を軍団総司令官であるオクタウィアヌス自身が総督兼軍団指揮官の任命権を持つ皇帝属州とする逆提案で返す。 |
「ローマ皇帝」の誕生
| 共和制復帰宣言からわずか3日後の1月16日、かつてユリウス・カエサルの副官であったルキウス・ムナティウス・プランクスが、オクタウィアヌスにアウグストゥス(尊厳者)の称号を贈ることを提案し、元老院は満場一致で国の全権を掌握するよう懇請した。 |
政治
| 北部国境は当初エルベ川とドナウ川を想定していたが、9年のトイトブルク森の戦いでアルミニウスらゲルマン人から手痛い打撃を受けたために挫折を強いられ、後継者ティベリウスの時代にライン川とドナウ川が国境と定まる。 |
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