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つながりの強いひと
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プロフィール
- アブドーラ・ザ・ブッチャーとは
- 来歴
- 日本プロレス参戦期(1970-1972年)
- 全日本プロレス参戦期(1972-1981年)
- 新日本プロレス参戦期(1981-1985年)
- 全日本プロレス復帰(1987-1996年)
- インディペンデント団体参戦期(1996-2000年)
- 現在(2001年-)
- リング外での活躍
- エピソード
- 関連サイト
アブドーラ・ザ・ブッチャー(AbdullahTheButcher)は、カナダ・オンタリオ州ウィンザー出身のプロレスラー。本名はローレンス・ポール・シュリーブ(LawrencePaulShreve)、一般にはラリー・シュリーブ(LarryShreve)。ニックネームは「黒い 呪術師」。入場テーマ曲は ピンク・フロイドの『吹けよ風、呼べよ嵐』。プロレス界を代表する悪役レスラーの一人。来日回数は140を超えており、歴代外国人レスラー最多である。生年月日は長らく1936年1月1日とされており、 ジャイアント馬場も「ブッチャーは自分より年上だ」と語っていたが、実際は1941年1月 ...
来歴
| ネイティブ・アメリカンの父親とアフリカ系アメリカ人の母親の間に生まれる専門誌やプロレス団体のパンフレットではスーダン出身と自称している。 |
| 実際には母方の祖父がスーダンに住んでいたことがあるだけ。 |
| 少年時代は柔道と空手に熱中した。 |
| 1961年、デトロイト地区のプロモーターであったジャック・ブリットにスカウトされデビュー。 |
| デビュー当時は「プッシーキャット・パイキンス(PussycatPikens)」、「ゼーラス・アマーラ(ZerasAmala)」などを名乗っていたほか、現在の「アブドーラ・ザ・ブッチャー(AbdullahTheButcher)」に落ち着くまで何回かリングネームを変えている。 |
| また、海外武者修行中のサンダー杉山ともしばしばタッグを組んだ。 |
| 1960年代はカナダ各地を主戦場に、バンクーバーではドクター・ジェリー・グラハムと組んで1967年にクリス&ジョン・トロスからNWA世界タッグ王座(バンクーバー版)を獲得し。 |
| モントリオールでは1969年にイワン・コロフからIWAインターナショナル・ヘビー級王座を奪取している。 |
| 1970年にはスチュ・ハートの主宰するカルガリーのスタンピード・レスリングでビル・ロビンソンと北米ヘビー級王座を争った。 |
| 1970年代前半はアメリカの五大湖地区を拠点に活動。 |
| 1972年6月24日には、オハイオ州アクロンにてアーニー・ラッドを破りNWF世界ヘビー級王座を獲得。 |
| ザ・シークの牛耳るデトロイトでは、ボボ・ブラジルを相手にNWA世界タッグ王座やUSヘビー級王座を巡る抗争を展開した。 |
| 南半球にも遠征し、1973年11月にはオーストラリアにおいてNWA世界ヘビー級王座に挑戦。 |
| 王者ジャック・ブリスコからフォールを奪うも、ラフファイトが反則とみなされ王座は剥奪、幻の戴冠となった。 |
| ニュージーランドでは、1974年3月12日にジョン・ダ・シルヴァを破り英連邦ヘビー級王座を獲得している。 |
| 1970年代半ばからは日本を主戦場としつつ、現在のホームタウンであるアメリカ南部のジョージア地区に進出、ジム・バーネットが主宰するジョージア・チャンピオンシップ・レスリングのトップ・ヒールとなり、1975年2月21日にはロッキー・ジョンソンからNWAジョージア・ヘビー級王座をそれぞれ奪取した。 |
| 1980年代は日本遠征の合間を縫って、エディ・グラハム主宰のフロリダ地区やジム・クロケット・ジュニア主宰のミッドアトランティック地区など当時のNWAの主要テリトリーにも特別参戦。 |
| フロリダではダスティ・ローデス、ワフー・マクダニエル、ブラックジャック・マリガンらと遺恨試合を展開した。 |
| ミッドアトランティックでは1983年11月24日の『スターケード』、1985年7月6日の『グレート・アメリカン・バッシュ』、それぞれの第1回大会に出場している。 |
| また、この時期には日本参戦と並行してプエルトリコのWWCにも頻繁に遠征。 |
| 同地の英雄カルロス・コロンやブルーザー・ブロディらと血の抗争を繰り広げた。 |
| ブロディ最後の対戦相手はブッチャーである1988年7月15日、ブロディ、コロン組VSブッチャー、ダニー・スパイビー組。 |
| 1991年にはWCWに登場。 |
| 同年10月27日の『ハロウィン・ヘイボック91』における「チェンバー・オブ・ホラー金網電気椅子デスマッチ」(スティング、リック・スタイナー、スコット・スタイナー、エル・ヒガンテ組VSベイダー、ブッチャー、カクタス・ジャック、ダイヤモンド・スタッド組)では敗者となり、全身に電流を流された。 |
| 2008年12月にプエルトリコ、2009年4月にはカナダで引退試合を行った。 |
| ただし、それぞれ地域限定での引退であり、本人は「日本では生涯現役」と語っている。 |
| 2011年3月、プロレス界における功績をたたえ、ハードコア・レスリングのレジェンドとしてWWE殿堂に迎えられた。 |
| インダクター(プレゼンター)は、流血の大抗争を展開した因縁のライバル、テリー・ファンクが務めた。 |
日本プロレス参戦期(1970-1972年)
| 1970年、日本プロレスの8月興行『サマーシリーズ』で初来日グレート小鹿著『小鹿注意報!』によれば、ブッチャーが米国遠征中の小鹿に日本マット参戦を志願し、ミスター・モト経由でブッキングが実現したという。 |
| 日本ではほぼ無名の存在であったが、開幕戦のBI砲とのタッグ戦でジャイアント馬場からピンフォールを奪い、東京スタジアム大会での馬場との初シングルでは、それまでにない桁外れの場外戦を繰り広げるなど、シリーズが進むにつれて人気が沸騰。 |
| 最終戦ではシリーズのエースであったカール・ハイジンガーに代わって、馬場の持つインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦した。 |
| その後1971年、1972年と2年連続『ワールドリーグ戦』にアフリカ代表として参戦、1971年大会では優勝決定戦に進出するなど、一躍大物の仲間入りを果たした。 |
全日本プロレス参戦期(1972-1981年)
| 1972年にジャイアント馬場が全日本プロレスを旗揚げすると、同団体の常連となり、悪役として馬場やジャンボ鶴田、ザ・デストロイヤー、ザ・ファンクスをはじめとする強豪レスラーたちと幾多の抗争を繰り広げた。 |
| 馬場との対戦は全日本プロレスのドル箱カードとなり、その抗争は延べ20年の長きに渡った。 |
| PWFヘビー級王座、インターナショナル・タッグ王座などをめぐり、数々の死闘を重ねた。 |
| ブッチャー自身、「馬場との闘いはすべてが記憶に残っていて、すべてに満足している」「馬場というライバルがいたからこそ、私は日本の観客がなにを望んでいるか理解でき、彼らを喜ばすための技術を向上させることができた」と語っている著書『ブッチャー幸福な流血』。 |
| 1972年、デストロイヤーが日本陣営に加わると、彼との抗争を開始。 |
| 初期の全日本プロレスを支える人気カードとなった。 |
| 1974年の『第2回チャンピオン・カーニバル』では、3回の再試合が行われたが決着がつかず、両者失格。 |
| USヘビー級王座をめぐる一連の闘いは、お互いに隠し持った凶器で攻撃する凄惨なものとなり、足4の字固めを狙うデストロイヤーに対し火炎攻撃を繰り出したこともあった。 |
| 1975年12月の『オープン選手権』では、ハーリー・レイスの左肩を脱臼させ、途中棄権に追い込んだ。 |
| さらに翌日の「力道山十三回忌追善特別大試合」(日本武道館)では、「頭突き世界一決定戦」と題された大木金太郎戦試合中にリングアナウンサーであった百田義浩を襲撃、百田がレスラーに転向するきっかけをつくった。 |
| の試合前、欠場の挨拶をするレイスを急襲し因縁に火がつく形となった。 |
| 1976年5月、『第4回チャンピオン・カーニバル』優勝決定戦で馬場を下し初優勝。 |
| このリーグ戦における大木とのシングルマッチ(日大講堂)にレイスが乱入、エキサイトのあまり会場を飛び出してのストリートファイトとなり結果、交通機関を麻痺させる騒ぎを起こし警察沙汰となった。 |
| 川崎市体育館で行われたレイスとの決着戦は、ブッチャーのキャリアの中でもトップクラスの大流血戦となり、ノーコンテストに終わった。 |
| 1977年の『世界オープンタッグ選手権』ではザ・シークとの「地上最凶悪コンビ」を実現させ、ザ・ファンクスと抗争を展開。 |
| 12月15日に蔵前国技館で行われたザ・ファンクスVSブッチャー・シーク組の最終戦は、とりわけ壮絶な試合展開となった。 |
| ブッチャーがテリー・ファンクの右腕に凶器のフォークを突き立て、テリーが兄ドリー・ファンク・ジュニアを救出すべく左ストレートを連打する場面は、その模様が日本テレビの全日本プロレス中継(同年12月24日放送分)にて全国に中継された。 |
| 1978年10月にはビル・ロビンソンを破り、PWFヘビー級王座を奪取。 |
| 馬場を相手に1度防衛に成功するが、翌年2月のシカゴにおける再戦で敗れ、馬場に奪還されている。 |
| 1979年5月、『第7回チャンピオン・カーニバル』優勝決定戦で鶴田を破り2度目の優勝普段は入室困難な外国人用控室にファンを数人招き入れ、一緒に記念撮影に応じた。 |
| 同年8月26日、新日本プロレスのトップヒールであったタイガー・ジェット・シンと組み、『プロレス夢のオールスター戦』(日本武道館)で馬場・猪木組と対戦した。 |
| 同大会を挟んで行われた『ブラック・パワー・シリーズ』ではミル・マスカラスと抗争、執拗に覆面を剥ぎにかかるが、決着戦は両者リングアウトに終わっている。 |
| 同シリーズで実現したボボ・ブラジルとの「黒人最強コンビ」は馬場、鶴田を苦しめたものの、最終戦で仲間割れした。 |
| 同年10月にはレイ・キャンディとのコンビでインターナショナル・タッグ王座に就いている。 |
| 1979年12月、『世界最強タッグ決定リーグ戦』最終戦で、地獄突き誤爆に怒ったザ・シークの火炎攻撃を受け仲間割れ。 |
| 以降は1970年代にカルガリー地区で流血の抗争を展開したキラー・トーア・カマタとコンビを組み、シークとは幾多の流血戦を繰り広げた。 |
| 1980年、『第8回チャンピオン・カーニバル』ではレイ・キャンディとミステリアス・アサシンを配下に、テリー、ディック・スレーター、テッド・デビアスらファンク・ファミリーと軍団抗争を展開。 |
| 同年10月には鶴田からUNヘビー級王座を奪取している。 |
新日本プロレス参戦期(1981-1985年)
| 1981年、新日本プロレスに移籍。 |
| 移籍の名目は「IWGP参戦」であったが、実際にリーグ戦にエントリーされることはなかった。 |
| 新日本ではバッドニュース・アレン、S・D・ジョーンズと「黒い恐怖軍団」を結成し、猪木や坂口征二らとの抗争を開始。 |
| タッグながら初代タイガーマスクとも対戦した。 |
| 1982年4月にはハルク・ホーガンとシングルで対戦、両者リングアウトに終わるも、強い印象を残した。 |
| さらにはワフー・マクダニエル、ダスティ・ローデス、ディック・マードックといった強豪レスラーとも対戦している。 |
| ラッシャー木村との共闘、仲間割れによる抗争アングルも組まれた。 |
| この当時のことを新日の営業部長であった大塚直樹が回想しているが、「IWGPにエントリーさせなかったのは自分(大塚)の判断」(IWGPの次のシリーズの目玉外人にしたかったから)、「地方興行の際、タニマチとの宴会に嫌がらず参加してくれた」など、プロとしてフロントとの関係が良好であったことが明かされている。 |
インディペンデント団体参戦期(1996-2000年)
| 1996年、東京プロレス(第二次)に突如移籍すると、かつての凶器攻撃、流血戦が復活。 |
| 1997年には天龍源一郎率いるWARに参戦し、北尾光司と巨漢タッグを結成。 |
| 1999年から戦場としたグレート小鹿の大日本プロレスでは、BJW認定デスマッチヘビー級王座を獲得した他、アブドーラ小林との師弟対決が話題となった。 |
現在(2001年-)
| 2001年の『ジャイアント馬場三回忌追悼興行』(東京ドーム)を機に、三度全日本に復帰。 |
| 2003年には武藤やボブ・サップらと「チームW-1」を結成し、RO&Dと闘った。 |
| 2007年5月9日にハッスルに参戦し、芸人RGと対戦して勝利。 |
| 12月には『世界最強タッグ決定リーグ戦』に12年ぶりに参戦、鈴木みのるとタッグを組んだが、勝ち点8で優勝決定戦進出はならなかった。 |
| 2009年7月19日、神戸ワールド記念ホールにて開催されたDRAGONGATEの『真夏の祭典』に登場、ハリウッド・ストーカー市川より2分34秒でピンフォールを奪った。 |
| 同月26日の『ハッスル・エイド2009』(両国国技館)でタイガー・ジェット・シンとのコンビを20年ぶりに復活させ、HG&RG組と対戦するも仲間割れ。 |
| 2010年1月4日、新日本プロレス『レッスルキングダムIVIN東京ドーム』に参戦。 |
| 矢野通、飯塚高史、石井智宏と組み、テリー・ファンク、長州力、蝶野正洋、中西学組と対戦。 |
| 3月22日、DRAGONGATE『COMPIRATIONGATE2010』に出場し、オープン・ザ・トライアングル・ゲート選手権で曙と初対戦。 |
リング外での活躍
| 1979年、河口仁による漫画『愛しのボッチャー』が講談社『週刊少年マガジン』にて連載開始。 |
| 翌1980年には「サントリーレモン」のテレビコマーシャルに出演、モデルの影山真澄と共演した影山が大麻所持で逮捕されたため、CMは打ち切りとなった。 |
| ブッチャーが叫び、『全日本プロレス中継』で実況を担当していた日本テレビの現役アナウンサー、倉持隆夫と松永二三男が歌声を披露する異色の内容であった。 |
エピソード
| 全盛期のファイトスタイルは、隠し持った凶器(フォークなど)で相手を流血させ、地獄突きなどの空手殺法から、「毒針エルボー」と表現されたエルボー・ドロップでとどめを刺すというもの。 |
| 昔の逸話であるが、ホテルのラウンジでブッチャーが一人で佇んでいる時に他の客が入店し、ブッチャーの存在に気付くや「プロレスは八百長なんだよ」と連れに言い始め、その日本語が通じたかは不明だがブッチャーは飲んでいたグラスを握りしめ破損させ、自らその破片を額にあて流血させ更にその場で自分の流血の額を縫い始めたというエピソードがある。 |
| ミスター高橋は自身の著書の中で「今日の試合は流血は無しだ」とあらかじめ伝えられていたにもかかわらず、ブッチャーがこっそり隠し持っていた何らかの道具(カッターナイフを加工した物ではないかと解説されている)で自らの額を切り裂き流血、試合を台無しになってしまったことが何度かあったというエピソードを語っている。 |
| 親を尊敬しない人間の面倒など誰も見てくれないぞ」「日本人はアメリカ風になりすぎて古い日本の良さを忘れている」など、悪役らしからぬ真面目な発言もしている |
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1961年
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デトロイト地区のプロモーターであったジャッ... |
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1967年
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クリス&ジョン・トロスからNWA世界タッグ王座... |
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