| クレマンはこの勝利で波に乗り、レイトン・ヒューイットとの準々決勝まで進出した。 |
| 2001年の全豪オープンで、クレマンは準決勝で同じフランスのセバスチャン・グロージャンと激突する。 |
| ダブルスでペアも組む親友を5-7,2-6,7-6,7-5,6-2の逆転で破って決勝に進出し、そこで再びアガシと顔を合わせた。 |
| この度はアガシが絶好調で、クレマンは4-6,2-6,2-6のストレートで完敗した。 |
| 決勝戦の前には(対アガシ戦の)「勝ち方を覚えた」と意気込んだクレマンだったが、準優勝に終わった後は「きょうのアガシに勝つのは不可能」と話したという。 |
| 当時30歳のアガシにとっては、これは15年間の現役生活を通じて初の4大大会連覇だった。 |
| 2004年の全仏オープン1回戦で、アルノー・クレマンは同じフランスのファブリス・サントロと当時の「テニス史上最長試合」を戦った。 |
| 試合時間「6時間33分」に及んだ死闘で、クレマンは4-6,3-6,7-6,6-3,14-16でサントロに敗れる。 |
| 勝者のサントロは3回戦まで進出した。 |
| (この記録は2010年ウィンブルドン選手権でジョン・イスナーとニコラ・マユによって大幅に更新された)2006年2月、クレマンは地元フランス・マルセイユの大会で3年ぶりのツアー優勝を果たし、決勝でクロアチアのマリオ・アンチッチを破った。 |
| 7月最終週にアメリカ・ワシントン大会の決勝で、クレマンはイギリスの新星アンディ・マレーを7-6,6-2で破り、自身初のシングルス年間2勝を達成した。 |
| 2006年から、クレマンはダブルスでミカエル・ロドラと組んで試合に出場することが多くなった。 |
| 2001年全豪オープン男子シングルス準優勝から6年後、クレマンとロドラは2007年ウィンブルドン男子ダブルス決勝に進出する。 |
| 2人は決勝で第1シードのマイク・ブライアン&ボブ・ブライアン組(「ブライアン兄弟」は双子の兄弟ペア)を6-7,6-3,6-4,6-4で破り、クレマンはウィンブルドンの地で初めての4大大会タイトルを獲得した。 |
| クレマンとロドラは2008年全豪オープン男子ダブルスでも決勝に進んだが、イスラエルペアのアンディ・ラム&ジョナサン・エルリック組に5-7,6-7で敗れて準優勝になっている。 |
| 同年の北京五輪で、ロドラとクレマンは男子ダブルス準決勝でスウェーデンのシーモン・アスペリン&トーマス・ヨハンソン組に6-7,6-4,17-19で競り負け、準決勝敗退ペア2組による「銅メダル決定戦」に回った。 |
| 2人は銅メダル決定戦でアメリカのボブとマイクのブライアン兄弟組に6-3,3-6,4-6で逆転負けを喫しし、男子ダブルスのメダルを逃した。 |
| 2008年のウィンブルドンで、クレマンは初めてシングルスのベスト8に入った。 |
| 準々決勝のライナー・シュットラー(ドイツ)戦は、雨天順延のため2日がかりの試合となった。 |
| クレマンはシュットラーに3-6,7-5,6-7,7-6,6-8の激戦で敗れ、準決勝進出を逃した。 |
| (シュットラーも全豪オープン準優勝者で、クレマンの2年後の2003年にアガシに敗れた人である)。 |
| フランスの男子テニス界は、1983年の全仏オープンで優勝したヤニック・ノアを最後に、4大大会で男子シングルス優勝者が途絶えている。 |
| 1988年全仏オープンではアンリ・ルコントが決勝でマッツ・ビランデル(スウェーデン)に敗れ、1993年全米オープンと1997年ウィンブルドンの2度にわたり、セドリック・ピオリーンが決勝でピート・サンプラスに完敗した。 |
| そして2001年全豪オープンではクレマンがアガシに敗れ、ノア以来のフランス人男子選手による4大大会シングルス優勝者のチャンスを逃した。 |