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プロフィール
- アレックス・ロドリゲスとは
- アマチュア時代
- マリナーズ時代
- レンジャーズ時代
- ヤンキース時代
- 選手としての特徴
- イメージを気にする?
- 人の怒りを招きやすい?
- 国籍
- その他
- 獲得タイトル・表彰・記録
- 関連サイト
アレクサンダー・エマニュエル・ロドリゲス(AlexanderEmmanuelRodriguez,1975年7月27日-)は、MLBニューヨーク・ヤンキースに所属するプロ野球選手(三塁手、遊撃手)。愛称はA-Rod(エイ・ロッド)。
アマチュア時代
| 1975年7月27日、ニューヨーク市ブルックリン区に生まれる。 |
| 父親はビクター、母親はローデスで両親は靴屋を営んでいた。 |
| 兄妹にジョセフとスージーがいる。 |
| 4歳のときに家族はドミニカ共和国のサントドミンゴに移住。 |
| 父親はそこでドミニカ共和国のマイナーリーグでキャッチャーをしており、息子のアレックスを度々試合に招いた。 |
| 父親は薬局を営んだが、最終的にはフロリダのマイアミに落ち着く。 |
| アレックスが8歳のときに両親は離婚。 |
| 母親が女手一つで2つの仕事を掛け持ちし、アレックスを育てた。 |
| この頃から野球をやる傍ら、メジャーリーグに興味を持ち始める。 |
| お気に入りの選手はデール・マーフィーとキース・ヘルナンデス、それにカル・リプケン・ジュニアだった。 |
| 自身がメジャーリーグにデビューしてからしばらく付けていた背番号3は、デール・マーフィーの背番号に因み、ポジションの遊撃手はカル・リプケン・ジュニアに因むものである。 |
| 高校時代はバスケット・ボールではレギュラー、アメリカン・フットボールではクォーターバックとして多くの大学からスカウトの目に留まり、本業の野球では100試合に出場して打率.422、本塁打6、52得点、42盗塁を記録し、1993年オール・アメリカンに選ばれるなど、卓越した運動神経を見せた。 |
マリナーズ時代
| 1993年、マイアミ大学への入学書へサインをしていたが、シアトル・マリナーズにドラフト1位(全米1位)指名され、契約を果たす。 |
| 翌年の1994年7月8日、1900年以降のメジャーリーグの遊撃手としては史上3人目となる18歳で、メジャーリーグのキャリアをスタートさせた。 |
| 1996年に、36本塁打、123打点、21歳と史上3番目の若さで首位打者、球団記録となる打率.358、141得点、215安打、54二塁打を記録しhttp://www.baseball-reference.com/teams/SEA/leaders_bat.shtml、めきめきと頭角を現していった。 |
| 1997年にも打率.300、23本塁打、84打点の好成績を収め、同年6月5日のタイガース戦ではサイクル安打を達成した。 |
| 1998年には、打率3割、打点100以上に加えて、メジャー史上3人目の40本塁打40盗塁を達成(シーズン40本塁打は遊撃手として史上3人目)し、メジャー屈指の5ツールプレイヤーに成長した。 |
| トップクラスのスラッガーでありながら守備負担の大きい遊撃手を守るという、新しいスタイルを確立した。 |
| 1999年は故障のため30試合以上欠場したが、42本塁打を記録した。 |
| 2000年には打率.316、41本塁打、132打点を残し、自身初となる100四球を記録した。 |
レンジャーズ時代
| 2000年、FA権を取得。 |
| 紆余曲折の末、テキサス・レンジャーズが10年総額2億5,200万ドルという空前の条件でロドリゲスを獲得する。 |
| これは当時のスポーツ界で最高の年俸でもあった。 |
| 既にロドリゲスはメジャーでも屈指のプレイヤーに数えられ、かつ最高の将来性を持つ存在であったが、この超長期契約とあまりの高額ぶりは、野球界を超えて大きな話題を呼んだ(代理人は辣腕で知られるスコット・ボラス)。 |
| 古巣マリナーズの本拠地セーフコ・フィールドでの試合では、大ブーイングとともに札束の玩具をばらまかれるといった手荒い歓迎がしばらく続いた。 |
| レンジャーズの3年間に残した成績は文句のつけようのないもので、2001年にリーグ1位の52本塁打、133得点、393塁打、2002年にメジャー1位の57本塁打、142打点、2003年にリーグ1位の本塁打、長打率を記録した。 |
| 2003年4月には、27歳149日で史上最年少で300本塁打http://champions.finito-web.com/MLB/Player/QRST/A_Rodriguez.htmlを達成、史上2人目の最下位チームからのMVP獲得をするなど、ロドリゲス個人は活躍を見せた。 |
| しかし、チームは3年連続の地区最下位となり、その高額年俸がチーム再建の足かせとなってしまった。 |
| 自身も勝てるチームへの移籍を望んでいたため、2004年2月15日にレンジャーズが1億7,900万ドルのうち6,700万ドルの年俸を負担することを条件に、ヤンキースへトレードされた(交換相手はアルフォンソ・ソリアーノ二塁手など)。 |
ヤンキース時代
| マリナーズとレンジャーズでは遊撃手を務めていたが、ヤンキースにおいてはキャプテンであるデレク・ジーターの守備位置であったため、移籍に伴い三塁手にコンバートされた。 |
| それまでつけていた背番号3は、ヤンキースではベーブ・ルースの永久欠番でつけることが許されず、変更を余儀なくされ、NFLマイアミ・ドルフィンズの往年の選手ダン・マリーノにならって13番を選択した。 |
| ヤンキース初年となった2004年は36本塁打、106打点という一定の数字を残したが、期待されていた内容としては物足りないとされた。 |
| ボストン・レッドソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは、ゴロを打って1塁へ走る際、自身をタッチアウトにしようとした投手ブロンソン・アローヨのグラブをはたき、守備妨害でアウトになった。 |
| このプレーは波紋を呼び、試合後に「子供じみたプレー」とバッシングを受けた。 |
| 同シリーズは3連勝後に4連敗という最悪の形で落としている。 |
| 2005年6月、メジャーリーグ史上初めて20代で通算400本塁打を達成。 |
| 最終的にシーズン48本塁打を放ち、4度目の本塁打王とともに2度目のMVPを獲得。 |
| ヤンキースでの本塁打王はレジー・ジャクソン以来25年ぶりであった。 |
| また、ヤンキース右打者のシーズン最多本塁打数ジョー・ディマジオの46本を68年ぶりに更新した。 |
| 2006年は30歳にして通算2000本安打を達成したが、シーズンでは7年ぶりに年間塁打数が300を切るなど不調で、自己ワーストとなる24失策を記録するなど攻守ともに精彩を欠いた。 |
| 2007年は、アメリカンリーグ最速記録となる開幕15試合で12本塁打(30打点)に到達。 |
| 8月4日、メジャー史上最年少(32歳8日、それまでの記録はジミー・フォックスの32歳338日)、出場試合数では史上3番目の早さ(1855戦目、最速記録はマーク・マグワイアの1639戦目)でメジャー史上22人目の通算500本塁打を達成した。 |
| シーズンを通して好不調の波はあったものの、3度目の50本塁打以上、自己最高の156打点を記録し、二冠王に輝いた。 |
| 2007年10月28日、ヤンキースとの残り3年の契約オプションを行使しない事を表明し、正式にフリーエージェントとなった。 |
| その後、10年総額2億7,500万ドル(約309億円)、出来高払いを含めると3億ドル(約330億円)の契約で残留した。 |
| 2008年、シーズン途中に右太ももを痛めて20試合以上欠場したが、11年連続35本塁打以上を記録。 |
| 9月3日のタンパベイ・レイズ戦では、ロドリゲスがレフトポール際に放った打球にメジャーリーグ史上初めてビデオ判定が適用された(判定は本塁打)。 |
| 年末には2009年に行われるWBCにはドミニカ代表として出場すると表明した。 |
| その後、WBCドミニカ代表の合宿に合流したが、直後に右臀部の故障が判明。 |
| WBC出場を取りやめ、緊急手術を受けた。 |
| リハビリを経て、5月8日のボルティモア・オリオールズ戦で復帰した。 |
| その復帰戦の第1打席で初球本塁打を放ち、現地のYESネットワークの実況は「Afairytaleswing」(おとぎ話のようなスイング)と表現した。 |
| 10月4日、レギュラーシーズン最終戦となる対タンパベイ・レイズ戦で6回無死1、2塁から逆転3ランを放つと、この回2度目の打席で満塁本塁打を放ち、1イニング7打点のアメリカンリーグ新記録を達成した。 |
| この日の2本塁打、7打点で30本塁打、100打点に到達し、12年連続の「30本、100打点」はメジャーリーグタイ記録で、通算13度目はメジャーリーグ新記録となった。 |
選手としての特徴
| 打撃では内野フライのような急角度で上昇した打球が、勢いを失わずにそのままスタンドインするような弾道を描く打球を放つ |
| バリー・ボンズにはバットスピードでは劣るものの、生来のパワーはボンズ以上とも言われ、フィールドのあらゆるところに打球を運ぶことができるスカウティング・レポート『月刊スラッガー』2004年4月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-4、12-15頁。 |
| 走塁ではスイングが大きく打席から飛び出すのが遅いながらも一塁到達まで4.2秒の俊足を誇り、シーズン46盗塁を記録したこともある。 |
| 中軸を打つ機会が多くなってからは盗塁を試みる機会が少なくなったが、成功率は高く、年齢が30代に差し掛かってもなお年間で20程度の盗塁を記録し、必要なときに効果的な走塁をみせる。 |
| 遊撃手としてはデレク・ジーターやノマー・ガルシアパーラ、ミゲル・テハダが華やかな動きをするのに対して、より伝統的で基本に忠実な動きをする遊撃手だと評され、打球がホームプレートから離れたその瞬間に動き出し、非常に滑らかな動きの守備をした。 |
| ヤンキース移籍後はデレク・ジーターが遊撃手として絶対的存在があったため三塁手に転向し、三塁線側からかなり離れて守る。 |
| ファールフライ捕球やバント処理など、三塁手特有の細かいプレーの際にミスがまま見られ、三塁手としては未だゴールドグラブに選出されたことが無い。 |
イメージを気にする?
| 2003年12月にアシュトン・カッチャーが進行役を務めるドッキリ番組『パンクト』で「優勝できないチームに所属する負け犬」と一般人から罵られるシチュエーションのいたずらを仕掛けられたが、放映承諾書のサインを拒み、収録テープも破棄させた。 |
| 2007年2月には自著の絵本の販売促進活動として出演する予定だった番組の質問に対して事前に制限を加えようとしたが、局のニュース方針に反することから局側が制限の具体的内容を問い合わせたところ、ロドリゲス側は回答をせず、当日になって突然に出演キャンセルを代理人経由で申し入れた。 |
| その後よりニュース性の薄い娯楽番組2本に出演したが、そのひとつマーサ・スチュワートが司会を務めるショー番組では和やかな雰囲気で皮肉を言われるという屈辱を受けているhttp://www.newsday.com/sports/baseball/yankees/ny-spbest075083904feb07,0,6474362.column?coll=ny-yankees-print。 |
| 2006ワールド・ベースボール・クラシックでは当初ドミニカ代表として参加することを表明しながら参加自体をとりやめ、その後再びアメリカ代表として参加することを大会メンバー発表直前に自身のホームページを通じて明らかにしたため、ホワイトソックス監督のオジー・ギーエンから「最初のドミニカ代表の表明は、ヒスパニックの人々の歓心を得るための偽善行為だ」と非難された(後にギーエンは謝罪した)。 |
| その年のスプリングトレーニングでは、記者とのインタビューや会話で意識して粗野な言い回しを使うなど通常とは全く別のイメージを演出し、「本来の彼はなんなのだ、彼に人格の核はあるのか」と番記者たちを唖然とさせたhttp://sports.espn.go.com/espn/eticket/story?page=arod。 |
| エラーや三振を量産して激しいブーイングを浴びた2006年には、一時的に調子が上向いた8月半ばに「チームに故障者が続出したためこれまで隠してきたが、実は自分も本来なら故障者リスト入りするほどの怪我を押し隠して出場し続けていたんだ。 |
| 彼のイメージに拘る性癖はプレイにも影響を及ぼし、ジョー・トーリ監督はしばしば「彼は打席で自分を印象づけようとし過ぎる」と懸念を抱いていた。 |
| しかし2007年のスプリングトレーニングの開始直後、「もう嘘をつくのはやめる」と前置きをして、かつての親友デレク・ジーターとの現在の関係や契約当時スポーツ史上最高額であった高額契約について率直な考えを表明した。 |
| 2007年4月は、2発の逆転サヨナラホームランを含む14本塁打、打率3割5分5厘、34打点という爆発的なスタートを記録、シーズンを通じて好調を維持したが、またしてもプレーオフでは不調に陥り、批判を浴びた。 |
人の怒りを招きやすい?
| ケン・グリフィー・ジュニアが1999年オフにマリナーズを去ったとき、ロドリゲスは「これで我々は長打を打ちながら負けるというチームではなくなった。 |
| テキサス・レンジャーズと10年で2億5,200万ドルというスポーツ史上最高額契約を結んだ2000年オフの12月に、ESPNラジオのインタビューで今後誰がこの巨額契約記録を破ると思うかと聞かれ、「2億5,200万ドルは自分のように若くしてこれだけの才能があればこそのものであり、破るのは難しいだろう。 |
| ヤンキースと勝負するとき、バーニー・ウィリアムズやポール・オニールはマークするけど、誰も「デレクに気をつけろ」とは言わない。 |
| その後ロドリゲスは記者に対してジーターを過度に褒め上げ、ジーターの契約額については10年契約ではなく5年か6年のつもりで言ったのだと釈明し、本心を言っているというよりも自分のイメージ回復に努めているように見えるとの記事も書かれた。 |
| 2007年のスプリングトレーニングでアレックスは、ジーターとの関係について、今でもチームメートとしては全く問題ないものの、当時ほどの仲ではないと語っているhttp://www.nytimes.com/2007/02/20/sports/baseball/20yanks.html?_r=1&oref=slogin&pagewanted=allhttp://mlb.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20070219&content_id=1807513&vkey=spt2007news&fext=.jsp&c_id=nyy&partnered=rss_nyy。 |
| 2003年オフにヤンキースへ移籍した直後にESPNのインタビューで、3年前のレンジャーズへの移籍について、「事前に『アレックス、このチームは君と24人の子供たちになるだろう』と教えられていれば自分はレンジャーズには行かなかった」とコメントした。 |
| これに対して、レンジャーズの選手たちはチーム内で「TheCooler(士気を削ぐ者)」というあだ名をロドリゲスにつけ、最も親しかったマイケル・ヤングでさえ、ロドリゲスが去ったあとチームの結束力が向上したと認めるコメントをした。 |
| また、2005年のスプリングトレーニングの走塁練習では、三塁手ハンク・ブレイロックが、2004年のプレーオフでのロドリゲスの守備妨害を真似したが、これは皮肉とも考えられる。 |
国籍
| 生まれ故郷のアメリカ合衆国と、両親の故郷ドミニカ共和国の二重国籍保持者であり、英語とスペイン語のバイリンガルである |
| 幼少時にドミニカ共和国のサントドミンゴに3年間滞在した経験があり、メジャーに昇格する前はドミニカ共和国のウィンターリーグにも参加していた。 |
| ワールド・ベースボール・クラシックにはアメリカ合衆国・ドミニカ共和国の双方で出場資格があり、第1回大会にはドミニカ代表として参加すると見られていたが、一旦は「アメリカ、ドミニカのどちらの名も傷つけたくない」として出場辞退を表明。 |
| 再びドミニカ代表のユニフォームを着てプレーすることを、ロドリゲス自身と家族が望んでいると語り、出場を熱望したが |
その他
| フロリダの高校時代、当時ロサンゼルス・ドジャースの監督トミー・ラソーダと出会い、卒業したらドジャースに入団したいと云う希望があった。 |
| 最も仲のいいプレーヤーは、テキサス・レンジャーズ時代に同僚であったマイケル・ヤングhttp://mlb.mlb.com/NASApp/mlb/news/article.jsp?ymd=20050908&content_id=1202299&vkey=news_nyy&fext=.jsp&c_id=nyy。 |
| 2001年からシアトル・マリナーズに加入したイチローとは同じチームでプレーしたことはないが、一緒にNBA観戦に行ったりhttp://web.archive.org/web/20040407023136/number.goo.ne.jp/from_number/574/special_features/spe2/index.html、アメリカで発売されたイチローの本に推薦文を寄せた経験もあるhttp://www.amazon.co.jp/Ichiros-Art-Playing-Baseball-All-Star/dp/0312358318/ref=sr_1_18/250-5379772-7454644?ie=UTF8&s=english-books&qid=1176873332&sr=1-18。 |
獲得タイトル・表彰・記録
| アメリカンリーグ年間MVP3回:2003年、2005年、2007年。 |
| 本塁打王5回:2001年(52)、2002年(57)、2003年(47)、2005年(48)、2007年(54)。 |
| シルバースラッガー賞10回:1996年、1998年-2003年(遊撃手部門)、2005年、2007年、2008年(三塁手部門)。 |
| アメリカンリーグ月間MVP10回:1996年8月、2002年7月・8月、2003年8月、2005年5月・8月、2006年5月、2007年4月・6月、2010年9月。 |
| MLBオールスターゲーム選出14回:1996年-1998年、2000年-2008年、2010年、2011年。 |
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1975年
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アレクサンダー・エマニュエル・ロドリゲス(... |
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1993年
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マイアミ大学への入学書へサインをしていたが... |
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アレックス・ロドリゲスさんについてのひとこと紹介
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