| 2002年7月7日、シュートボクシング「S-cup2002」で初来日。 |
| 1回戦ではマヌエル・フォンセカにKO勝ち、準決勝では土井広之にKO勝ち、決勝では鄭裕蒿に判定勝ち。 |
| 19歳にして優勝を果たした。 |
| 2003年7月5日、K-1WORLDMAX2003に初出場。 |
| トーナメント1回戦でアルバート・クラウスと対戦。 |
| 左目付近をカットし1R終了時点で棄権、TKO負けとなった。 |
| 試合後、「クラウスの肘による攻撃でカットした。 |
| きれいな試合ではなかった」とコメントした。 |
| 2004年2月1日、SHOOTBOXING2004"∞-S〜infinity-S〜vol.1にて土井広之と対戦し、4Rタオル投入TKO勝ちでWSBA世界スーパーウェルター級初代王座を獲得した。 |
| 2004年9月19日、S-cup2004に出場。 |
| 1回戦、準決勝を勝ち抜くと、決勝では宍戸大樹にTKO勝ちし、S-cup連覇を果たした。 |
| 2005年5月4日、K-1WORLDMAX2005のトーナメント1回戦でマルフィオ"ザ・ウォーリヤータイガー"カノレッティに判定勝ち。 |
| 7月20日の準々決勝では小比類巻貴之に判定勝ち、準決勝では安廣一哉にTKO勝ち、決勝では前年の優勝者ブアカーオ・ポー.プラムックに延長判定勝ちし、初優勝を果たした。 |
| 2006年4月5日、K-1WORLDMAX2006のトーナメント1回戦でアマラ忍に判定勝ち。 |
| 6月30日の準々決勝ではヴァージル・カラコダに1Rにダウンをもらうも逆転KO勝ち、準決勝では魔裟斗に判定勝ち、決勝は前年と同じ組み合わせとなりブアカーオ・ポー.プラムックと対決。 |
| 2Rまで互角に試合を進めるも左フックを受けダウン。 |
| その後パンチを纏められて3ダウンし、準優勝となった。 |
| 2006年7月8日、オランダで結婚式を挙げた。 |
| 2006年11月3日、S-cup2006に出場。 |
| 1回戦でマルフィオ"ザ・ウォーリヤータイガー"カノレッティに判定勝ち、準決勝でダニエル・ドーソンに判定勝ちしたが、決勝で緒形健一に判定負けし、3連覇を阻まれた。 |
| 2007年6月28日、K-1WORLDMAX2007のトーナメント1回戦でオーレ・ローセンに右クロスカウンターでKO勝ち。 |
| 10月3日の準々決勝ではドラゴに再び右クロスカウンターでKO勝ち、準決勝ではアルバート・クラウスに判定勝ち、決勝は魔裟斗のタオル投入によるTKO勝ち、2度目の優勝を果たした。 |
| 2007年10月28日、SHOOTBOXINGBATTLESUMMITGROUNDZEROTOKYO2007でアンディ・オロゴンと対戦。 |
| 1Rに右ストレートでダウンを奪われるも、2Rにダウンを奪い返すなどして、判定勝ち。 |
| 2007年11月24日、オランダでのシュートボクシング興行を自らプロデュース。 |
| ニキー・ホルツケンと72.5kg契約で対戦し、判定勝ち。 |
| 2008年3月2日、オランダでヨードセングライ・フェアテックスと対戦し、判定勝ち。 |
| 2008年4月9日、K-1WORLDMAX2008FINAL16のトーナメント1回戦でマイク・ザンビディスと対戦。 |
| 延長Rまで縺れる接戦になるも、最後は左ハイキックでKO勝ち。 |
| 7月7日、K-1WORLDMAX2008FINAL8のトーナメント準々決勝でウォーレン・スティーブルマンズと対戦し、判定勝ち。 |
| 2008年10月1日、K-1WORLDMAX2008FINALのトーナメント準決勝でアルトゥール・キシェンコと対戦し、延長R判定負け。 |
| 今大会よりロングスパッツの着用が禁止されたため、トランクスで登場した。 |
| 2008年11月22日、S-cup2008に出場。 |
| 1回戦ではエドウィン・キバスにTKO勝ち、準決勝では宍戸大樹に判定勝ち、決勝では緒形健一にTKO勝ち。 |
| 3度目の優勝を果たした。 |
| 2009年3月14日、イタリアで開催されたOktagonでジョルジオ・ペトロシアンと対戦。 |
| 3Rまでは互角の戦いを繰り広げるも、延長Rにダウンともとれるようなスリップがあり、判定負けを喫した。 |
| 2009年4月21日、K-1WORLDMAX2009FINAL16のトーナメント1回戦でリーロイ・ケスナーと対戦。 |
| 1Rに2度、3Rに1度のダウンを奪い、大差の判定勝ちを収めた。 |
| 2009年7月13日、K-1WORLDMAX2009FINAL8のトーナメント準々決勝でアルトゥール・キシェンコと再戦し、延長R判定勝ちを収めた。 |
| 2009年10月26日、K-1WORLDMAX2009FINALに出場。 |
| 準決勝でブアカーオ・ポー.プラムックに延長Rを2-1で判定勝ちするも、決勝でジョルジオ・ペトロシアンに2Rに左膝蹴りでダウンを奪われ、判定負けを喫し、準優勝となった。 |
| 2009年11月12日、大晦日での引退を表明している魔裟斗との試合が、谷川貞治K-1イベントプロデューサーより発表された。 |
| 当初、魔裟斗は「今年のチャンピオンと引退試合をしたい」と語っており、世界王者のジョルジオ・ペトロシアンに魔裟斗は「大晦日空いてるかな?」「大晦日、日本で待ってるよ。 |
| 」と挑戦を表明していたが、そのペトロシアンが今年の10月の山本優弥戦で、右手中指を骨折していることが判明し、準優勝、そして魔裟斗が1度も勝利を収めたことのない、サワーとの引退試合が決定した |
| 2009年12月31日、Dynamite!!〜勇気のチカラ2009〜で魔裟斗の引退試合(3分5R延長1R、ロングスパッツ着用可のK-1特別ルール)の相手を務め、一進一退の攻防を見せ、4R序盤にダウンを喫するが、直後に猛反撃し、5Rにはダウン寸前まで追い詰めるが惜しくも及ばず判定負け。 |
| 2010年1月30日、BeastoftheEastでファディル・シャバリと対戦し、3-0の判定勝ちでWFCAタイボクシング世界ジュニアミドル級王座を獲得したが |
| 2010年9月18日、シュートボクシング「維新-ISHIN-其の四」で日菜太と対戦。 |
| 開始48秒スタンディングチョークスリーパーによりタップアウト勝ちを収めた |
| 2010年11月23日、連覇を目指しSHOOTBOXINGWORLDTOURNAMENTS-cup2010に出場。 |
| 1回戦でボーウィー・ソーウドムソンと対戦し、1Rにダウンを奪われるが、2Rと3Rにダウンを奪い返して逆転KO勝ち。 |
| しかし、この試合で背中を負傷し、準決勝ではシュートボクシング初参戦となったトビー・イマダに打撃では圧倒しながらも、投げで2度のシュートポイントを奪われ1-2の判定負けを喫した |
| 2010年12月11日、IT'SSHOWTIMEアテネ大会で欠場したジョルジオ・ペトロシアンに代わってパジョンスックと対戦し、5-0の判定勝ち。 |
| 試合後、リングを降りる際に日本人記者に対して「背中、とても痛い、大丈夫じゃない」と日本語で話した |
| 2011年2月5日、スペインにてアブラハム・ロクエニと対戦し、2R開始直後にダウンを奪われるが、その後は圧倒し、3Rにダウン寸前まで追い詰めるが、出血したロクエニに対して終了直前にレフェリーがドクターチェックを指示(通常は出血がラウンド終了間際の場合、試合の流れを切らないように終了してからチェックすることが推奨されている)し、ドクターチェックが行われた際にロクエニのセコンドが傷口にワセリンを塗るという反則行為を行ったにもかかわらず、減点されないなどの地元判定もあって、判定負けを喫した。 |
| 2011年3月6日、IT'SSHOWTIMEでローシン・オズニと70kg契約で対戦。 |
| 下馬評では77kg級トップファイターであり、中量級では前代未聞の194cmという長身を誇るオズニが有利とされたが、2Rにダウンを奪うなど圧倒して5-0の判定勝ちを収めた |
| 2011年3月19日、故郷スヘルトーヘンボスにシュートボクシング・ヨーロッパ本部となる自身のジムCAESARGYMHOLLAND/TEAMSOUWERのオープニング・セレモニーを行い、参加した関係者やピーター・アーツ、ドラゴらと共に東日本大震災の被災者へとメッセージを送り、4月23日に後楽園ホールで行われる次戦について「ファイトマネーを被災者のために活用する。 |
| 日本のために戦う。 |
| 試合は勿論だし、復興支援にも全面的に協力したい」と宣言した |
| 2011年4月23日、東日本大震災復興チャリティー大会となったSHOOTBOXING 2011act.2にて、佐藤嘉洋と対戦。 |
| 「日本の危機を救おうとするサワーの心意気に共鳴した」という理由で、試合まで1ヶ月という短い準備期間ながら参戦してきた佐藤に対して敬意を抱いたサワーが、SBルール対策の出来ていない佐藤に配慮してこの試合は投げ技・絞め技・関節技禁止、首相撲有りの3分3R特別ルールで行われ |