| 2003年全米オープンの男子シングルスで4大大会初優勝。 |
| 決勝戦では当年度の全仏オープン優勝者、フアン・カルロス・フェレーロ(スペイン)を6-3,7-6,6-3のストレートで圧倒した。 |
| ロディックはこの優勝により、それまで長年アメリカの男子テニス界を支えてきたピート・サンプラスとアンドレ・アガシの“後継者”として、さらに大きな注目を集めた。 |
| その後ロディックは11月3日付けの世界ランキングで史上2番目の若さ(20歳2カ月)で世界ランキング1位に上り詰めた。 |
| その後、ロディックはウィンブルドン選手権では2004年と2005年の2年連続、決勝でロジャー・フェデラーに敗れて準優勝になった。 |
| (フェデラーには2003年の同大会準決勝でも敗れているため、3年連続の苦杯となる)2004年アテネ五輪にアメリカ代表選手として初参加した時は、シングルス3回戦でチリ代表のフェルナンド・ゴンサレスに4-6,4-6で敗退する。 |
| オリンピック終了後の全米オープンでは、準々決勝でヨアキム・ヨハンソン(スウェーデン)に4-6,4-6,6-3,6-2,4-6のフルセットで敗れ、早い段階で大会連覇のチャンスを逃した。 |
| 2005年の全米オープンでは、1回戦でルクセンブルクのジレ・ミュラーに不覚を取り、6-7,6-7,6-7のストレートで敗退した。 |
| 2006年の全豪オープンで、ロディックは4回戦でキプロスのマルコス・バグダティスに4-6,6-1,3-6,4-6で敗退する。 |
| その後、ウィンブルドンでは3回戦でイギリスの新星アンディ・マレーとの“アンディ対決”に敗れてしまった。 |
| このとき世界ランキングは12位まで落ちている。 |
| ウィンブルドン選手権の終了後、ロディックは7月26日から新コーチとして往年のスーパースターだったジミー・コナーズを招聘した。 |
| コナーズに師事し始めた後、全米オープンで3年ぶり2度目の決勝進出を果たしたが、またもやフェデラーに2-6,6-4,5-7,1-6で敗れて準優勝に終わった。 |
| 2009年ウィンブルドンでは決勝でフェデラーに7-5,6-7,6-7,6-3,14-16のフルセットの末惜しくも敗れ、3度目の準優勝に終わった。 |
| しかしこの大会では、2009年から新たにコーチに招聘したラリー・ステファンキのもと、これまでのビッグサーブとフォアハンドだけに頼るものではなく巧みなネットプレーや粘りのあるテニスを展開し、準決勝では相性の悪い地元期待のアンディ・マレーにサービスエース数、ウィナー数ともに上回られながら、大事なポイントを制し6-4,4-6,7-6,7-6で勝利するなど、今後の活躍に期待が持てる大会となった。 |
| ロディックは長い間クレーコート開催の全仏オープンと相性が悪く、初出場時の2001年に3回戦まで進出した後は1・2回戦敗退止まりの成績が続いていた。 |
| ようやく2009年に初の4回戦進出を決めたが、第11シードのガエル・モンフィス(フランス)に4-6,2-6,3-6のストレートで完敗した。 |
| デビスカップのアメリカ代表選手としても、2007年にチームを12年ぶりの優勝に導いた。 |
| プライベートにおいては2009年4月17日に、2007年秋以降交際を続けていた水着モデルのブルックリン・デッカー(BrooklynDecker)と結婚した。 |
| その人気を生かし、児童虐待などの防止を呼びかけるチャリティーリストバンドをプロデュースするなど、社会的な活動も積極的に行っている。 |