| 王妃アンヌの親友で様々な宮廷陰謀に関わった。 |
| 14歳のカップルは将来の婚姻破棄の可能性をなくすために結婚の完遂を余儀なくされた(性的関係がないと婚姻無効を申し立てられ外交問題になる危険があった)。 |
| 公的には初夜は成就したと発表されたが、実際には失敗に終わり、その後数年間成就しなかったと見られている「ハプスブルクの女たち」p198-199。 |
| 彼女はルーヴル宮へスペイン人の女官や司祭とともに移ったが、アンヌはルイ13世の母后マリー・ド・メディシスから無視された。 |
| 宮廷の実権を握る母后は自分の嫁に敬意を払わず、一方、意気地のない若い国王は王妃に全く関心を示さなかった。 |
| スペイン人である王妃はフランス文化に慣れず、彼女はスペインの礼儀に従って生活を続け、フランス語はぎこちないままだった。 |
| だが、人々は彼女の美しさには感嘆していた。 |
| 彼女は栗色の髪、色白の肌、青い目そして並ぶ者なしと称された白い美しい手で名高かかった「世界の歴史8 絶対君主と人民」p54。 |
| この自慢の手を守るために彼女は美しいブレスレットで飾った典雅な手袋を着用していた。 |
| 1617年、ルイ13世はシャルル・ダンベール・ド・リュイヌとともに母后の影響力を排除すべく宮廷クーデターを謀り、4月26日に母后の寵臣コンチーノ・コンチーニを暗殺し、母后を幽閉する。 |
| 権力を握り公爵となったリュイヌはルイ13世と王妃の仲を改善しようと試みた。 |
| 彼はスペイン人の女官を追い出し、彼の妻リュイヌ公爵夫人マリーを始めとするフランス人に替えさせた。 |
| リュイヌ公爵夫人は王妃に強い影響を与え、やがて無二の友人となる。 |
| リュイヌ公は国王夫妻の親交を深めるための宮廷催しを開いた。 |
| アンヌはフランス風のドレスを着始め、リュイヌは王妃とベッドを共にするよう国王に勧めた。 |
| 何らかの発展があり、アンヌが病床に伏した時には国王はひどくとり乱す程になった「ハプスブルクの女たち」p204。 |
| だが、1619年、1621年と王妃が続けて流産をして国王が失望すると、再び関係は冷却化してしまった。 |
| 1622年3月14日、女官たちと遊んでいたアンヌが階段から落ちて三度目の流産をするとルイ13世は王妃を非難し、この様な不始末を仕出かしたリュイヌ侯爵夫人に激怒した。 |
| この後、国王はリュイヌ侯爵夫人を宮廷から追放してしまい、また夫のリュイヌ公は1621年12月に既に死去していた。 |
| この後、国王はプロテスタントとの内戦に集中するようになり、一方、王妃は分かち難い友人となっていた未亡人リュイヌ公爵夫人とシュヴルーズ公爵との再婚を擁護した。 |
| この後、シュヴルーズ公爵夫人は宮廷陰謀の中心人物となる。 |
| ルイ13世はリシュリュー枢機卿を重用するようになり、リシュリューの外交政策の基軸はフランスを両面から包囲するハプスブルク家との対抗であり、これは不可避的に王妃アンヌとの対立を引き起こした。 |
| アンヌは16年間も世継ぎをもうけることができないままであり、1624年にルイ13世はリシュリューを首席国務卿(宰相)に任命している。 |
| この頃にイングランド王チャールズ1世の寵臣バッキンガム公ジョージ・ヴィリアーズとのかりそめの恋愛が起こったとされる「聖なる王権ブルボン家」p79-81「ハプスブルクの女たち」p208-212。 |
| チャールズ1世とともにお忍びでフランスを訪ねたバッキンガム公はリュクサンブール宮でのバレエを観劇し、そこに女神役で出演した王妃アンヌに一目惚れし、1625年に王妹でイングランド王妃のヘンリエッタ・マリア・オブ・フランスをイングランドへ連れ帰るためにフランスを再び訪れたバッキンガム公と王妃アンヌが恋に落ちたというものである「聖なる王権ブルボン家」p79-81。 |
| 王妃がバッキンガム公へ贈ったダイヤの胸飾りがリシュリューの手の者に盗まれたが、バッキンガム公が港湾を封鎖させ代わりに精巧な模造品を王妃に送り返したという事件がラ・ロシュフコーの回想録に記述されている「ハプスブルクの女たち」p209-210。 |
| バッキンガム公はラ・ロシェル包囲戦でリシュリュー枢機卿が率いるフランス軍と戦って惨敗を喫してしまい、1628年に敗戦を恨んだ水兵によって暗殺された「図説イングランド海軍の歴史」p147。 |
| これらの話はアレクサンドル・デュマ・ペールの小説『三銃士』の題材になっている。 |
| シュヴルーズ公爵夫人の影響によって王妃はリシュリューと政治的に敵対するようになり、幾つかの陰謀に関与している。 |
| 謀反に関する不明朗な噂が宮廷内に広まり、特に有名なものがシュヴルーズ公爵夫人の画策による1626年のシャレー伯の陰謀や後年の国王の寵臣サン=マール侯(元々はリシュリュー自身が推挙した人物)の陰謀に王妃が関わっていたというものである。 |
| 1635年、フランスは三十年戦争に参戦してスペインに宣戦布告した。 |
| これにより王妃の立場は危ういものになる。 |
| 彼女の弟フェリペ4世との秘密裏の文通は姉弟の情愛を越えたフランスの機密に関わるものになっていた。 |
| 1637年8月、リシュリューがこの文通を発見し、王妃は審問にかけられて罪を認めさせられた「聖なる王権ブルボン家」p95-96「ハプスブルクの女たち」p219-221。 |
| シュヴルーズ公爵夫人は亡命し、王妃は厳重な監視下に置かれた。 |