| その後は、愛人のロンプレ夫人とマルティニーク島に戻ってしまった。 |
| ついに、2人は1785年の春に離婚した。 |
| 裁判は、ジョゼフィーヌの勝訴となった。 |
| 息子のウジェーヌはアレクサンドルが、娘のオルタンスはジョゼフィーヌが引き取る事になった。 |
| ジョゼフィーヌは、1788年の夏にオルタンスを連れてマルティニーク島の実家に戻った。 |
| しかし、1790年の秋、黒人奴隷が大挙して白人の農園主を襲うなど、不穏な情勢になったため、彼女はパリに戻った。 |
| 前夫のアレクサンドルは、自由主義者として進んでフランス革命に同調し、議員として三部会にも選出され、議長まで務めた。 |
| しかし新憲法により議席を失って再び軍人に戻り、1793年の春にはライン方面軍最高司令官になっていた。 |
| ところが、彼はイギリスとの戦いに敗れ、外敵通謀を疑われ、カルム監獄に投獄された。 |
| 続いてジョゼフィーヌまで、投獄されてしまった。 |
| 1794年7月24日にアレクサンドルは処刑された。 |
| しかし、その3日後、ロベスピエールも処刑され、ジョゼフィーヌは8月3日に釈放された。 |
| それからジョゼフィーヌは離れていたウジェーヌも引き取り、彼には大工の見習いをさせ、オルタンスにはお針子をさせた。 |
| その後、ウジェーヌは1795年に起きたヴァンデミエールの反乱を鎮圧した事で、一躍有名になったナポレオン・ボナパルト将軍の許を、父の形見のサーベルを返してもらいに訪れた。 |
| アレクサンドルは素行の悪い父だったが、ウジェーヌは父を尊敬し、美化している所もあった。 |
| ナポレオンは少年の訴えに感動し、剣を返してやった。 |
| その後、ジョゼフィーヌがこのお礼にナポレオンの家に出向き、この縁で、ナポレオンとジョゼフィーヌは1796年3月9日に結婚した。 |
| 母の再婚に、オルタンスは賛成した。 |
| しかし、思いがけず自分が取り持つ事になった母の再婚について、ウジェーヌは反対だったらしい。 |
| だがこれ以降、彼はナポレオンの下で軍人として戦う事になった。 |
| 1798年5月4日、ウジェーヌはナポレオンのエジプト遠征に同行した。 |
| だが遠征の最中にジョゼフィーヌの浮気が発覚し、離婚の危機に発展してしまった。 |
| ウジェーヌは、エジプト遠征中に、いかにナポレオンがイポリット・シャルルの事で悩んでいるか、それにも関わらず自分に愛情を注いでくれ、自分がどれほど感動しているか、直ちにイポリットとの浮気を止める事などを、母に手紙で切々と訴えていたのだった。 |
| しかし、このウジェーヌの手紙は、イギリス政府に押収され、ジョゼフィーヌの許には届いていなかった。 |
| 結局、ウジェーヌとオルタンスの涙の懇願や、まだ残っていたジョゼフィーヌへの愛情から、ナポレオンは離婚を思い止まった。 |
| これを境に、ジョゼフィーヌの浮気もなくなり、安定した夫婦生活になったため、ウジェーヌも安堵した。 |
| 彼は多くの戦いで、見事な軍功を立て、順調に昇進していった。 |
| また、彼は有能なだけでなく、誠実な人柄で、このような点からも、ナポレオンの厚い信頼を寄せられた。 |
| 1806年に、ナポレオンはそれまでのウジェーヌの働きを認め、イタリア副王にした。 |
| 同年に、彼はバイエルン王マクシミリアン1世の娘アウグステと結婚した。 |
| これは、アウグステの結婚相手がすでに決まっていたのを、ナポレオンが強引に婚約解消させてウジェーヌと結婚させたものだった。 |
| しかし夫婦仲はとても良く、7人もの子供に恵まれた。 |
| ジョゼフィーヌ・マクシミリアーネ・ウジェニー・ナポレオーネ (スウェーデン国王オスカル1世妃)。 |
| オギュスト・シャルル・ウジェーヌ・ナポレオン (ポルトガル女王マリア2世の最初の夫)。 |
| アメリー・オギュスト・ウジェニー・ナポレオーヌ (ブラジル皇帝ペドロ1世の後妻)。 |
| テオドランド・ルイーズ・ウジェニー・オギュスト・ナポレオーヌ。 |
| マクシミリアン・ジョゼフ・ウジェーヌ・オギュスト・ナポレオン (ロシア皇帝ニコライ1世の娘ニコラエヴナの夫)。 |
| しかし、野心ばかり強いナポレオンの兄弟達は、ナポレオンに厚遇されている彼の存在を、その母ジョゼフィーヌと同様に敵視していた。 |
| 1809年には、ウジェーヌは母にナポレオンとの離婚に同意するよう説得している。 |
| 1813年、ライプツィヒの戦いでは、ジョアシャン・ミュラが保身のため妻のカロリーヌと共に、敵国であるイギリスやオーストリアと内通し、ウジェーヌはミュラの軍に阻まれてナポレオンを救援に行けなかった。 |
| ウジェーヌは、1814年の4月になって義父のマクシミリアン1世に帰順を勧められても、まだ自分の部隊を死守して戦い続けていたが、4月11日にナポレオンが退位すると降伏し、マクシミリアン1世にもうナポレオンに協力しない事を誓約した。 |
| その後、ウジェーヌはマクシミリアン1世によって、ロイヒテンベルク公の爵位を与えられた。 |
| 1824年に、ウジェーヌはミュンヘンで死去した。 |
| lmo:EugenideBeauharnais。 |