| 1980年頃に高校生だったカーク・ハメット、トム・ハンティングらによって結成される。 |
| 当時はジューダス・プリーストのカバーなどを演奏していたという。 |
| 1982年にゲイリー・ホルト、ジェフ・アンドリューズ、ポール・バーロフが加入し地元のクラブなどで本格的に活動を始める。 |
| 1983年にカーク・ハメットがメタリカへデイブ・ムステインの後任として加入するために脱退すると、後任にリック・ヒューノルトが加入し、続いてベースがロブ・マッキロップに交代する。 |
| 1985年、トリッド・レコードと契約し、デビュー・アルバム『BondedbyBlood』をリリース。 |
| アルバムリリース後のツアーでは、スレイヤー、ヴェノム等と共演し、その時の模様はビデオ『CombatTour-TheUltimateRevenge-』としてリリースされる。 |
| 1986年、ポール・バーロフが脱退。 |
| 地元のローカル・バンドのレガシー(後のテスタメント)のスティーヴ・スーザを後任に迎えるが、印税の支払いをめぐってトリッド・レコードとの間にトラブルが起こり活動が停滞してしまう。 |
| 翌年、新たにコンバット・レコードと契約し、2ndアルバム『PleasuresOfTheFlesh』をリリース。 |
| 1989年には3rdアルバム『FabulousDisaster』をリリース。 |
| ヨーロッパツアーや、アメリカでアンスラックス、ハロウィン等との「MTVHeadbangersBallTour」を行うなど順調な活動を行うが、ツアー中にトム・ハンティングが脱退。 |
| 残りのライブではヴァイオレンスのペリー・ストリックランドが助っ人参加し、ツアー終了後にアンスラックスのローディーをやっていたジョン・テンペスタが加入する。 |
| 1990年にキャピトル・レコードより4thアルバム『ImpactIsImminent』でメジャーデビューを飾る。 |
| このアルバムではゲイリー・ホルトとリック・ヒューノルトの二人がH-Teamとしてプロデュースを行った。 |
| アルバムリリース後、スイサイダル・テンデンシーズ等とアメリカツアーを行った他、12月には初の日本公演を行う。 |
| コンバット・レコードとの契約消化のため、1991年にライブアルバム『GoodFriendlyViolentFun』(1989年7月に地元サンフランシスコで行われたライブを収録)、1992年にベストアルバム『LessonsInViolence』(1st~3rd・GoodFriendlyViolentFunから選曲のベスト)がリリースされる。 |
| 1992年にジューダス・プリーストなどのプロデュースを手掛けたクリス・タンガリーディスをプロデューサーに迎え、5thアルバム『ForceOfHabbit』をリリースするが、ニルヴァーナ、パンテラの台頭や、メタリカのブラックアルバムのヒットに影響され、メタル・シーンがヘヴィでグルーブ重視の方向に進む中、彼等もスピードを抑え目でグルーブ主体の曲に路線を変更してしまい、ファンの不評を買ってしまう。 |
| また、レコード会社のサポートも得られないまま、活動が停滞してしまい、ジョン・テンペスタの脱退もあってバンドは解散状態に陥ってしまう。 |
| 1993年5月に予定されていた日本公演のため、モードレッドのギャノン・ホールをヘルプに迎え来日公演を行い、その後解散。 |
| 1997年にロブ・マッキロップを除く1st発表時のメンバーで再結成し、3月8日に地元サンフランシスコでショーを行う。 |
| この時の模様を収録したライブCD『AnotherLessonInViolence』をセンチュリー・メディアよりリリースしたが、その後自然消滅の形でバンドは再び解散。 |
| 2001年に癌との闘病中だったテスタメントのボーカル、チャック・ビリーの為のベネフィットイベント「ThrashOfTheTitans」に出演。 |
| このイベントのためデス・エンジェル、フォビドゥン、ヴァイオレンス、ヒーゼン、ラーズ・ロキットなどの多くのベイエリア・スラッシュメタルバンドが一時的に再結成を行う。 |
| このイベントの成功により、活動を再開するバンドも多数出て、エクソダスも再々結成という形で活動を再開することになる。 |
| 2002年にポール・バーロフが脳卒中で亡くなり、後任としてスティーヴ・スーザが復帰する。 |
| 2003年8月にニュークリア・ブラストと契約を行い、元サバトのギタリストで、アーチ・エネミー、テスタメント、クリーター、ネヴァーモア等のアルバムを手掛けたことで有名なアンディ・スニープをプロデューサーに迎えレコーディングを行う。 |
| 2004年、復活第一弾となる6thアルバム『TempoOfTheDamned』をリリースし、3度目の日本公演を行う。 |
| しかし、日本公演終了後にスティーヴが脱退(正式には解雇)。 |
| 予定されていた南米ツアーをエグジュームドのマット・ハーヴェイ、スキンラブのスティーブ・エスクイヴェルらをヘルプに迎え行う。 |
| 2005年、スティーヴの後任にロブ・デュークスが加入し、新作のレコーディングに入るが、今度はトム・ハンティング、リック・ヒューノルトが脱退。 |
| 後任に、元ヒーゼンのリー・アルタス、テスタメントを脱退したばかりのポール・ボスタフが加入し、再びアンディ・スニープをプロデューサーに迎えて、7thアルバム『ShovelHeadedKillMachine』をリリースした。 |
| 2007年、トムが復帰。 |
| それに伴ってポールが脱退するが、これについてゲイリーは元々彼はトムが復帰するまでのあくまで「サポートメンバー」としての参加だったことをコメントしている。 |
| その後8thアルバム『TheAtrocityExhibition...ExhibitA』をリリースした。 |