| 父スコット・B・ハミルトンは鉄工所を経営し、新聞の寄稿漫画家でもあった。 |
| ハミルトン家はスコットランド系アイルランド人で、ウェールズ系やアメリカ・インディアンの血も引いており、代々長老派教会の信徒であった。 |
| 母親モード・ホィーナリイは元教師でクエーカー教徒だった。 |
| ハミルトンの誕生後間もなく、父親が農場経営に失敗し、貧困生活を送った末、6歳の時に母親の故郷ニューキャッスルに転居した。 |
| 父親は地方新聞社に就職する。 |
| 10歳でハイスクールに入学し、14歳で厳格な長老派教会の学校であるウェストミンスター・カレッジに入学し、物理学を専攻する。 |
| しかし、周囲の学生との年齢差に悩み、『オール・ストーリー・マガジン』誌や『アーゴシー』誌などのパルプ・マガジンのファンタジー小説にのめりこむようになる。 |
| その結果、学業や礼拝をおろそかにするようになり、3年次の半ば、17歳で放校される。 |
| その後ペンシルベニア鉄道のパート仕事を点々とする。 |
| 1924年、20歳で短編「BeyondtheUnseenWall」を書き、『ウィアードテールズ』誌に持ち込む。 |
| 同作は改稿の末、『ウィアードテールズ』誌1926年8月号に「マムルスの邪神」(''TheMonster-GodofMamurth'')として掲載され、作家デビューする。 |
| 続けて第2作となる長編「AcrossSpace」(火星人が地球を滅ぼすために他の惑星を軌道から引き離してぶつけようとするというストーリー)を執筆し、『ウィアードテールズ』誌1926年9月号から11月号に掲載される。 |
| 1928年、短編「凶運の彗星」(''TheCometDoom'')を『アメージング・ストーリーズ』誌に発表し、メジャー誌にデビューを果たす。 |
| しかし、狭いファン層向けのマイナー雑誌『ウィアードテールズ』への恩を忘れず、H・P・ラヴクラフトやロバート・E・ハワードらと共に中核メンバーであり続け、1926年から1948年までに79編の作品を同誌に寄稿している。 |
| SF黎明期に多くのスペースオペラを発表。 |
| 地球規模、あるいは宇宙規模の大危機を数多く描き、「ワールドレッカー(宇宙破壊者)」「ワールドセイヴァー(世界救済者)」の異名をとった。 |
| 当時の作品は、深みは少ないが、アイディアが豊富で、その後のSFでしばしば使われるガジェットが多数含まれている。 |
| 主なスペースオペラ作品に「星間パトロール」シリーズ、「スターキング」シリーズ、「キャプテン・フューチャー」シリーズがある。 |
| 1930年代ごろからは年下の友人、SF作家ジャック・ウィリアムスンの影響もあり意図的に作風を変え始め「フェッセンデンの宇宙」河出書房新社奇想コレクション版、これまで通りの豊富なアイディアの中にペシミスティックな虚無感を盛り込むようになった。 |
| このころの代表的な作品のひとつが、マッド・サイエンティスト物の名作として知られる短編「フェッセンデンの宇宙」である。 |
| これは実験室内に「ミニチュアの宇宙」を創造してしまう科学者を描き、我々の住む宇宙もその種の科学者の創造物ではないかという不安感を掻き立てる名作である。 |
| また1935年から1940年にかけてミステリ専門のパルプ・マガジン『ポピュラー・ディテクティブ(PopularDetective)』誌、『スリリング・ディテクティブ(ThrillingDetective)』誌、『スリリング・ミステリー(ThrillingMystery)』誌などに30編のミステリを発表している「フェッセンデンの宇宙」河出書房新社奇想コレクション版。 |
| 1940年代にはロサンゼルスに居を構えて執筆活動の傍ら、SFファンダムや後進の若手作家たちとの交流を深める。 |
| 1946年12月31日に同じSF作家のリイ・ブラケットと結婚(ちなみにこのときの付添人はリイの後輩作家で弟子でもあったレイ・ブラッドベリが務めた)。 |
| 結婚を機にオハイオ州キンズマン(Kinsman)に転居。 |
| 1946年から1966年にかけて、旧知の編集者モート・ワイジンガーの誘いでDCコミックの看板タイトル『スーパーマン』と『バットマン』の原作を書いている(総計314編)。 |
| 中でも特に著名なものは「SupermanUndertheRedSun」(ActionComics#300,1963。 |
| 遠未来の赤い太陽に照らされた地球ではスーパーパワーが発揮できず、そこから脱出できなくなるというストーリー。 |
| 第二次世界大戦後には既に過去の作家と見なされるようになっていたが、『時果つるところ(CityatWorld'sEnd)』(1951年)でカムバック、健在ぶりを示した。 |
| 戦後の代表作としてほかに『虚空の遺産(TheHountedStar)』(1960年)がある。 |
| 最晩年にはニュー・スペースオペラとも言うべき「スターウルフ」シリーズを発表した。 |
| しかし第3巻『望郷のスターウルフ』(WorldoftheStarwolves)を発表し、第4巻『RunStarwolf』に取り掛かった直後の1977年2月1日、カリフォルニア州ランカスターにおいて腎臓手術の予後不良により死去(72歳)。 |
| 大の読書家で、ドイツ語、フランス語、イタリア語を自由に読みこなした。 |
| また音楽愛好家でもあり、バッハからニューオーリンズ・ジャズまで、グランド・オペラから民謡まで多くのレコードをコレクションしていたSFマガジン1997年8月号『ハミルトン追悼特集号』「夫を偲ぶ」(リイ・ブラケット)。 |