輝き7
我らのアジアにも、生涯、希望の炎を燃やし続けた勇敢なる青年詩人がいた。これまで、アブエバ博士とも何度も語り合ってきた、フィリピン独立の父、ホセ・リサールである。彼は、外国の支配に苦しむ祖国に自由と正義を取り戻そうと、決然と立ち上がった。彼は、悪い権力者や聖職者と真っ向から戦い、冤罪(無実の罪)によって、三十五歳の若さで銃殺されたのである。その壮絶な死から、百年になる。
お母さんが無実の罪で牢獄に
リサールは、少年の日から、思いもよらぬ試練に襲われている。最愛のお母さんが、讒言に陥れられ、何の罪もなく二年もの間、投獄されたのである。「ウソ」によって、人を罪に陥れるこれが悪人のやり方である。今も、まったく同じである。母の入獄という衝撃のなかで、彼は、獄中の母を少しでも励まそうと、勉強に集中し、成績も向上させていった。そのころ、彼が愛読していた一冊の書物がある ... もっと見る
輝き7
我らのアジアにも、生涯、希望の炎を燃やし続けた勇敢なる青年詩人がいた。これまで、アブエバ博士とも何度も語り合ってきた、フィリピン独立の父、ホセ・リサールである。彼は、外国の支配に苦しむ祖国に自由と正義を取り戻そうと、決然と立ち上がった。彼は、悪い権力者や聖職者と真っ向から戦い、冤罪(無実の罪)によって、三十五歳の若さで銃殺されたのである。その壮絶な死から、百年になる。
お母さんが無実の罪で牢獄に
リサールは、少年の日から、思いもよらぬ試練に襲われている。最愛のお母さんが、讒言に陥れられ、何の罪もなく二年もの間、投獄されたのである。「ウソ」によって、人を罪に陥れるこれが悪人のやり方である。今も、まったく同じである。母の入獄という衝撃のなかで、彼は、獄中の母を少しでも励まそうと、勉強に集中し、成績も向上させていった。そのころ、彼が愛読していた一冊の書物がある。それは、フランスの文豪デュマの『モンテ・クリスト伯』巌窟王の物語である。私(名誉会長)も、戸田先生のもとで、何度となく学んだ書である。現在、私が対談をしている、香港の金庸先生は、「東洋のデュマ」と呼ばれているが、若き日の一書として、やはり、この作品をあげておられる。主人公のダンテス青年は、悪人の罠によって、十四年もの間、絶海の孤島に囚われの身となる。その孤島とはシャトー・ディフ島。この島を私もマルセイユから眺望したことがある〈一九八六年六月〉。そこには、思想犯や政治犯が収容される、堅固な牢獄があった。宗教弾圧で迫害された信仰者も投獄されていた。何の罪もない人々である。獄死した信仰者は、約二千人にのぼるという。小説でダンテス青年は、巌の如き信念で、この牢獄を脱出。あらゆる苦難をはねのけて、真実を明らかにし、仇を討つ。有名なドラマである。
青春時代には、徹底して"世界の名著"を読まなければ損である。たとえば、『永遠の都』(ホール・ケイン)、『レ・ミゼラブル』(ヴィクトル・ユゴー)、『九十三年』(同)、『戦争と平和』(トルストイ)、『赤と黒』(スタンダール)、『人形の家』(イプセン)、『三銃士』(デュマ)、『走れメロス』(太宰治)、『風と共に去りぬ』(マーガレット・ミッチェル)、『三国志』、『水滸伝』等々。どうせ読むなら、こういう本を読んでいただきたい。すべてが将来、自分の指導力となる。
「待て、そして希望をもて!」
『モンテ・クリスト伯』の最後の一節は、大変に有名である。「待て、そして希望をもて!」と。希望は永遠である。「忍耐」と「希望」こそ、青春の、そして人生の勝利の鍵である。青春時代は、悩みの連続である。思うようにいかない日もある。思うようにいかなくて当たり前、それが人生である。だからこそ面白い。だからこそ人格もできるのである。一日一日を耐え抜くしかない。そこにのみ栄光の朝日が昇る。
リサール少年も、この一節を生命に刻んだにちがいない。"今は、学んで、学び抜くのだ。鍛えて、鍛え抜くのだ。そして、いつか必ず、虐げられた人々の無念の思いを晴らしてみせる!断じて正義を証明してみせる。
リサール青年は、十八歳の時、スペイン語の文芸コンテストで、最優秀賞に輝いた。さらに翌年の作文コンクールでも、最高点を得る。しかし、授賞発表の段階で、彼の第一位は取り消されていた。「嫉妬」による謀略であった。これも、今なお多き卑劣なやり方である。しかし、リサール青年は挫けなかった。悪に支配された祖国が、自分を正当に評価しないのなら、世界に出よう!世界で、フィリ。ヒン人の真の力を示そう!この勇壮な心意気で、彼は世界へ雄飛した。
舞台は世界だ
ヨーロッパに渡ったりサール青年は、すさまじい勢いで学問を続ける。彼が生涯で学んだ語学は、英語、スペイン語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語、オランダ語、ポルトガル語、アラビア語、ロシア語、そして(フィリピンの)タガログ語、マレー語、サンスクリット語、中国語、さらに日本語など、なんと二十二もの言語であった。
輝き14
フィリピン独立の父、ホセ・リサールは、日本でもよく知られております。東京の日比谷公園には、明治二十一年(一八八八年)の彼の来日を記念する「ホセ・リサールの碑」もあります。なお、フィリピンといえば、岡山青年部が尊い交流を結んだことも、私(名誉会長)は忘れておりません。さて、リサールが、革命に殉じ処刑されてから、今年(一九九七年)で百一年。〈昨年、名誉会長は、逝去百年を記念して、フィリ。ビンの「リサール協会」から「リサール大十字勲章」を叙勲された〉
リサールが、命をかけて、フィリピンの人々に訴えたことは何か。それは、「強くなれ!強くなれ!」ということであります。「賢くなれ!賢くなれ!」ということであります。当時、祖国は、スペインの植民地。「しぼりとれるだけしぼりとる」という方針のもと、民衆はいつも権力者に利用され、聖職者に利用されていました。リサールは、一生涯、この「権力の魔性」と戦い、「聖職者の魔性」と戦ったのであります。彼は、自分の最後の小説に、こう書きました。「フィリピンに何の罪があるというのか?罪があるというなら、侵略者たちよりも『弱い』ということだけだ」
だから、民衆よ、強くなれ!と。.「奴隷になるな!人間というやつは、本性に悪を持っている。だから、『黙って引っ込んでいる人間』がいれば、その弱者に向かって、必ず力を乱用してくるものだ」。だから、強くなれ!と。
では、具体的には、何をすべきか?彼は呼びかけます。「苦しもう。そして働こう」。「悩もう。そして戦おう」。「苦しみの学校は、魂を鍛える。戦いの場は、魂を強くする」「フィリピンの民衆が、頭をあげ、胸を開いて、堂々と権利を主張する『強さ』をもっことだ。『正義のためなら死んでもいい』という人間になることだ。そういう高さまで自分たちを高めれば、強くなれば、賢くなれば、その時に、本当の自由は来る!」と。彼は、国の内外の政治的な動きを冷静に分析しながら、今は、いろいろな動きに巻き込まれるよりも、祖国を強くすることに、全力を注ぐべきだとしました。自分たちが強くなれば、そこから「道」は、いくらでも開ける。消耗するな。力をつけよ。そのために、「苦労しよう」「働こう」と、民衆に訴えたのであります。彼は、民衆を信じました。革命家である主人公に、こう語らせております。「インテリは、ひとりも私を助けようとしてくれなかった。学識のある階級には、恐怖と惰弱しかなかった!金持ち階級には、利己主義しかなかった!若い者たちには、無邪気さしがなかった!私を助け、味方するものは、山の中、追放された土地、貧しい人々の間にしかいなかった!」と。そして、彼は、新しい青年たちに期待しました。「祖国の幸福のために、青春の時を、夢を、情熱を捧げる若者は、どこにいるのか?先輩たちが失った『生命の道』をもち、『思想の純潔』をもち、『情熱の火』をもっている青年たちよ!われわれは、お前たちを待っている。おお、青年たちよ、現れよ!われわれは、待っているのだ!」これが、彼の叫びだったのであります。〈リサールの小説は(『反逆・暴力・革命―エル・フィリブステリスモ―』岩崎玄訳、井村文化事業杜)から趣意〉
処刑のとき、人々は、彼があまりにも落ち着いているので、不思議に思いました。銃殺隊に囲まれながら、ひざまずきもしない。目隠しも拒否したのです。「胸をねらって、撃ち抜いてくれ」彼の声も、晴れ晴れとしておりました。軍医は、「きっと見せかけにちがいない。こんなに落ち着いていられるはずがない」と思った。そして、リサールに近づき、「脈をとらせていただいてもいいですか?」と言った。リサールは、黙って腕を差し出す。軍医は驚いた。「まったく正常です」脈拍は、平常通りだったのであります。民衆に「強くなれ!強くなれ!」と訴えた彼は、身をもって、模範を示しました。そして、百一年前の冬の日の朝。銃弾に倒れた彼は、体をくねらせ、「東」へと倒れた。それは、愛する祖国に昇る旭日を仰ぎ見るかのようでありました。〈カルロス・キリノ著『暁よ紅に』(駐文館訳、駐文館から〉 戻る



























