| クレンペラーは身長ほぼ2メートルの大男で性格は狷介にして不羈、加えて自他ともに認める女好きでもあることから、逸話の多さで知られる。 |
| また、自身の命や指揮者生命に関わる怪我や病気も数多い。 |
| 躁鬱病やアメリカ時代の脳腫瘍のみならず、後頭部からステージ下に転落して頭部を強打し背骨を骨折、モントリオール空港で転んで足と腰骨を複雑骨折するなど、様々な事故を体験しているがそのつど復活を遂げている。 |
| このほか、次のような逸話がある。 |
| 1911年の夏、クレンペラーはリヒャルト・シュトラウスのガルミッシュの別荘を訪れている。 |
| その際、シュトラウスはマーラーが常に「救済」を求めていた点に触れて、シュトラウスに「一体何から救済されるべきなのか、私には分からない。 |
| 朝机に坐って、アイディアが脳裡に浮かんできたとき、私は確かに救済を必要としていない。 |
| マーラーは何を言おうとしていたのだろうか?」と言われたと書き残している。 |
| クレンペラーは「二人の音楽家の対立点はまさしくここだった」と回想録で述べている。 |
| 1958年9月に、クレンペラーは寝室で寝タバコのまま寝込んでしまい、火をベッドに延焼させてしまう。 |
| それを消そうとし水と間違えて樟脳(カンフル)をばらまいてしまい重度のやけどを負ってしまった。 |
| その後、一年近く治療に専念することになったが、前述の通り、翌1959年8月にフィルハーモニア管弦楽団との終身のレコード契約を結ぶと、クレンペラーはたちまち回復して演奏活動に復帰した。 |
| ハンブルクの指揮者時代に、クレンペラーはある女性オペラ歌手と不倫関係となった。 |
| その歌手と共演し帰宅した際、待ち伏せしていた不倫に怒った相手の夫(指揮者)から棍棒で打たれた。 |
| 次のステージに頭に包帯を巻いてピットに現れたところ、客席からはブーイングとヤジが飛び出した。 |
| クレンペラーは客席に向かって怒鳴った。 |
| 「俺の音楽が聴きたくないやつは出ていけ!」。 |
| アメリカ時代、ソプラノ歌手の自宅に無理矢理押し入ろうとして、もめごとになった。 |
| その後、友人たちの尽力でサナトリウムに入ることになったが、すぐさまそこを出てしまい、この一件は「ニューヨーク・タイムズ」の一面記事となった(タイトルは「クレンペラー、サナトリウムから失踪」であり、保護する時の注意事項として、性的に興奮した時のみ危険と記事中に書かれた)。 |
| これら一連のスキャンダルにより、アメリカにおけるクレンペラーの評判は完全に失墜した。 |
| ヨーロッパに復帰後、ブダペストでリヒャルト・ワーグナーの『ローエングリン』を指揮した際、ローエングリンを演じるテノール歌手の見せ場である「ローエングリンの名乗りの場」で観客が盛大な拍手を延々と続けたため、クレンペラーは観客と口論した挙句、いったん指揮を放り出した。 |
| なおこの録音は現存する。 |
| 同じくブダペストで『ニュルンベルクのマイスタージンガー』を指揮したときのこと。 |
| オーケストラのコンサートミストレスは、当時弱冠19歳のワンダ・ウィウコミルスカ。 |
| しかし3幕になると、ウィウコミルスカは退屈しついうとうとしてしまう。 |
| 作曲家パウル・ヒンデミットの講演会で質疑応答になった際、クレンペラーが手を挙げた。 |
| リハーサルの最中、女性演奏者がクレンペラーのズボンの「社会の窓」が開いていることに気づき(ワイシャツもはみ出ていた)、「あの…ファスナーが開いています」と言ったところ、クレンペラーはこう答えた。 |
| 「それとベートーヴェンの音楽に何か関係があるのかね?」。 |
| ある朝、クレンペラーの娘ロッテがホテルの父の部屋をノックした。 |
| 部屋は散らかり服は散乱し、ベッドには若い女性がいた。 |
| ある劇場でモーツァルトのオペラ『魔笛』を上演したときのこと。 |
| クレンペラーは3人の侍女・3人の少年を歌う女性歌手達といちゃつきたいと思った。 |
| 歌手からの苦情を受けた劇場支配人は、クレンペラーに対し「このオペラハウスは売春宿ではございません」と注意しようとしたが、間違えて「この売春宿はオペラハウスではございません」と言ってしまった。 |
| フィルハーモニア管弦楽団の女性チェロ奏者を気に入ったクレンペラーは、自作のピアノ三重奏曲を試したいという名目でホテルの自室に誘った。 |
| クレンペラーは別の男性ヴァイオリン奏者も同時に誘ったため、彼女は安心して誘いに応じた。 |
| いざ3人で演奏するという際、ピアノの前のクレンペラーは男性ヴァイオリン奏者にぐちゃぐちゃの手書き譜面を渡して言った。 |