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プロフィール
- カリグラとは
- 概要
- 出自
- 父との旅
- 家族の離散
- ティベリウス帝の元での生活
- 初期の施政
- 病気と陰謀、豹変
- 社会改革
- 財政危機と飢饉
- 建設事業
- 元老院との対立
- 自己の神格化
- 東方政策
- 醜聞
- 暗殺とその余波
ガイウス・ユリウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス(、12年8月31日-41年1月24日)は第3代ローマ帝国皇帝(在位:37年-41年)。 ユリウス・クラウディウス朝の皇帝の1人である。 カリグラ(カリギュラとも表記)の名でよく知られているが、個人名から ガイウス帝とも呼ばれる。「 カリグラ」は幼少の頃に履いていた小さな軍靴に由来する愛称である。
概要
| 短い在位期間に、カリグラは壮大な建設事業と領土の拡大に力を注いだ。 |
| また最高権力者としての威信を高めることに努め、彼を打ち倒そうと繰り返される陰謀から自身の地位を懸命に守りつづけたが、元老院も関与した陰謀により、41年に親衛隊の一部将校らによって暗殺された。 |
| その治世を通じてローマ市民からは人気が高かったが、現存する後代の史料ではいずれも、カリグラは狂気じみた独裁者であり、残忍で浪費癖や性的倒錯の持ち主であったとしている。 |
| しかし現存する一次史料の数は少なく、カリグラの治世の実態には不明な点が多い。 |
初期の施政
| 37年3月16日にティベリウスが死去し、その遺産と「プリンケプス」の称号は、共同後継者であるカリグラとティベリウスの孫ゲメッルスが相続することとなった。 |
| ティベリウスは77歳で死の床についたにもかかわらず、古代の歴史家の中には、彼は暗殺されたのだと主張する者もいるタキトゥス『年代記』VI.50。 |
| タキトゥスは、カリグラの即位を早めた方がローマ市民も喜ぶと考えた親衛隊長官のマクロが、ティベリウスに枕を押し付けて暗殺したのだと書いており、スエトニウスにいたってはカリグラ自身が手を下したのではないかとも記している。 |
| 一方、アレクサンドリアのフィロンやフラウィウス・ヨセフスはティベリウスの死は自然死であったと記録しているPhiloofAlexandria,''OntheEmbassytoGaius'' |
| マクロの助けを得て、カリグラはティベリウスの遺言のうちゲメッルスに関する条項はゲメッルスの狂気を理由として反故にし、それ以外の部分のみティベリウスの遺志に従ったCassiusDio,''RomanHistory'' |
| カリグラは元老院からプリンケプスの称号を授与されると、3月28日にローマ入りし、民衆から「我らの子」「我らの星」との歓呼の声をもって迎えられたスエトニウス『ローマ皇帝伝』「カリグラ」 |
| カリグラは「日の昇る所から沈む所まで、すべての世界の」民衆からの尊敬をかちえた最初の皇帝と呼ばれたPhiloofAlexandria,''OntheEmbassytoGaius'' |
| 24歳の若さで、何一つ実績がないにもかかわらず、これほど熱烈にカリグラの即位が歓迎されたのは、ティベリウスの不人気の裏返しである。 |
| 晩年のティベリウスはカプリ島に隠棲しながら書簡で元老院宛てに指示を出すばかりで、一般市民はおろか貴族や元老院の前にもほとんど姿を現さず、疎遠な態度をとっていたスエトニウス『ローマ皇帝伝』「ティベリウス」 |
| またティベリウスは支出削減のために剣闘士の試合や競技会などの催事の予算を大幅に縮小したスエトニウス『ローマ皇帝伝』「ティベリウス」 |
| 名将ゲルマニクスの記憶も残っていたローマ軍団や属州民にとっては、ゲルマニクスを冷遇し、その家族を追放したティベリウスに対する反感とカリグラへの同情の念は強かった。 |
| 特に軍団兵にとって、かつて小さな軍服を着て父ゲルマニクスの横に座りながら自分たちとともに従軍した少年が皇帝の座に就くことは何よりも喜ぶべきことであった。 |
| そもそもアウグストゥスが自分の一門から後継者を出すことを望んでいたにもかかわらず、直接的な血縁関係になかったティベリウスが皇帝となったのは、血縁者の中から皇帝にふさわしい人物が得られず、妻の連れ子ティベリウスを養子とすることしかできなかったためであるスエトニウス『ローマ皇帝伝』「ティベリウス」 |
| しかしカリグラは、アウグストゥスの姉を祖母とするゲルマニクスと、アウグストゥスの実の孫である大アグリッピナの間に生まれた男子であり、父母双方を通じてアウグストゥスと血のつながりがあり、その正統性は明らかであった。 |
| カリグラの即位を祝うため3ヶ月にわたって催された公共の祝典行事においては、実に16万匹を超える動物が生贄として奉げられたとの逸話もスエトニウスによって伝えられているスエトニウス『ローマ皇帝伝』「カリグラ」 |
| 即位してから最初の7ヶ月間におけるカリグラの治世はまったくの幸福に満ち溢れたものだった、とフィロンは証言しているPhiloofAlexandria,''OntheEmbassytoGaius'' |
| その多くが政治的な配慮によるものであったにせよ、カリグラの最初の施政は非常に寛大なものであったといわれている。 |
| 支持を得るために、親衛隊や都市部の兵士のみならずイタリア国外の軍まで含めた軍隊の兵士たちに賞与を支給した。 |
| また、ティベリウスの作成した反逆罪に関する書類を破棄し、これにまつわる裁判は過去のものだとして追放者たちを呼び戻したスエトニウス『ローマ皇帝伝』「カリグラ」 |
| さらに帝国の税制によって逼迫した人々を保護し、性犯罪者を帝国から追放したほか、剣闘士による試合を復活させたりもしたスエトニウス『ローマ皇帝伝』「カリグラ」 |
| カリグラはまた、亡き母や兄弟の遺骨を集めて持ち帰り、アウグストゥス廟に安置したCassiusDio,''RomanHistory''LIX.3。 |
病気と陰謀、豹変
| 幸先よく統治を開始したカリグラではあったが、37年の10月に深刻な病に倒れる。 |
| カッシウス・ディオも若干触れてはいるCassiusDio,''RomanHistory'' |
| フィロンによれば、カリグラは皇帝になってからというもの入浴と飲酒とセックスに耽溺するようになっていたためウィルスに感染したのだとのことであるPhiloofAlexandria,''OntheEmbassytoGaius''II.14。 |
| カリグラの苦悩を思って悲嘆と同情に暮れたため、帝国全体が麻痺状態に陥ったとさえ伝えられているPhiloofAlexandria,''OntheEmbassytoGaius''III.16。 |
| やがてカリグラは全快しているが、このときの臨死体験こそがカリグラの治世の分岐点になったとフィロンは強調しているPhiloofAlexandria,''OntheEmbassytoGaius''IV.22。 |
| フラウィウス・ヨセフスは、即位してから最初の2年間のカリグラは高貴で穏健な君主であったが、それ以降暴君へ変貌していったのだと述べているフラウィウス・ヨセフス『ユダヤ古代誌』XVIII.7.2。 |
| 病から立ち直ってすぐにカリグラは、彼が回復してくれるならば自分の命を奉げてもよいと誓った忠実な人物を呼び出し、約束を守ってもらおうと要求しながら、崖から突き落とすなどして何人か殺害したCassiusDio,''RomanHistory'' |
| またカリグラは妻を追放し、義父のマルクス・シラヌスや従弟のティベリウス・ゲメッルスは自殺を強要されたPhiloofAlexandria,''OntheEmbassytoGaius''V.29。 |
| フィロンの伝えるところによれば、ゲメッルスは自分が皇帝の座に就くために、カリグラが病に臥せっているあいだに陰謀を企てていたというPhiloofAlexandria,''OntheEmbassytoGaius''V.28。 |
| スエトニウスは、これらの陰謀はいずれもカリグラによる空想の産物にすぎなかったと結論づけているスエトニウス『ローマ皇帝伝』「カリグラ」 |
社会改革
| さらに騎馬隊や元老院の増員さえも許可したCassiusDio,''RomanHistory'' |
| おそらく最も重要なことは、カリグラが政務官選挙を民衆選挙に戻したことであろうスエトニウス『ローマ皇帝伝』「カリグラ」 |
| これらの人々は熟慮の結果、公職がふたたび大衆の手に渡れば必ずや多くの災いが起こることだろうと考えたのである」と述べているCassiusDio,''RomanHistory'' |
財政危機と飢饉
| スエトニウスは38年から始まったものだと述べているスエトニウス『ローマ皇帝伝』「カリグラ」 |
| 古代の歴史家は、カリグラは個人資産を押収するために、無辜の人々に対する不当な起訴や科料、果ては殺害まで行なうようになったと主張しているスエトニウス『ローマ皇帝伝』「カリグラ」 |
| ティベリウスが死去した時点で、ティベリウスに何がしかの物品を遺贈すると書かれていた存命人物の遺言書は、同じ物をカリグラに贈与しなければならないものとする解釈が定められたCassiusDio,''RomanHistory'' |
建設事業
| カリグラが寄与した中でも最も優れた事業は、エジプトからの穀物輸入を増加させることとなった、レギウム(現レッジョ・ディ・カラブリア)およびシチリアの港湾開発であったとヨセフスは評価しているフラウィウス・ヨセフス『ユダヤ古代誌』XIX.2.5。 |
| カリグラはアウグストゥスの神殿とポンペイの劇場を完成させたのち、サエプタ・ユリア近郊に円形劇場の建設を開始したスエトニウス『ローマ皇帝伝』「カリグラ」 |
| クラウディア水道の建設に着工したのもカリグラであり、これらはのちに大プリニウスを驚嘆させたスエトニウス『ローマ皇帝伝』「クラウディウス」 |
| 他にサモスの僭主ポリクラテスの宮殿の再建や、エフェソスにあるディディマのアポロ神殿の完成、アルプス高地での新都市建設などを計画した。 |
| この橋はやはり巨大な浮橋を利用してヘレスポントス海峡を横断したペルシア王クセルクセス1世への対抗心から作られたものだといわれている。 |
| カリグラ(泳げなかったスエトニウス『ローマ皇帝伝』「カリグラ」 |
| 当時のイタリア首相であったムッソリーニよってこの船のための博物館も設立されたが、第二次世界大戦の戦火によって焼失し、数枚の写真を残すのみとなった |
自己の神格化
| カリグラは公の場所へ姿を現わすにあたり、ヘラクレスやメルクリウス、ウェヌス、アポロなどといった神々や半神の扮装をするようになったのであるPhiloofAlexandria,''OntheEmbassytoGaius''XI-XV。 |
| 伝えられるところによれば、彼は政治家たちとの会合において自己を神と呼び、公文書においてもしばしばユピテルと称されるようになったCassiusDio,''RomanHistory'' |
| フォルム・ロマヌム(現フォロ・ロマーノ)のカストルとポルックス神殿はパラティーノの皇帝宅に直結され、カリグラに奉納されたSanford,J.:" |
東方政策
| それを支えたのは、37年にカリグラが皇帝に即位したのちにヨルダンの総督となり、カリグラの親友でもあったアグリッパ1世であるフラウィウス・ヨセフス『ユダヤ古代誌』XVIII.6.10;PhiloofAlexandria,''Flaccus''V.25。 |
| しかし、フィロンはカリグラの自己神格化がユダヤ教と相容れぬものであったことを指摘し、カリグラにその責任ありとしているPhiloofAlexandria,''OntheEmbassytoGaius''XVI.115。 |
| フラックスは、ユダヤのシナゴーグに皇帝の彫像を据えることでギリシア系住民とカリグラを懐柔しようと試みたがPhiloofAlexandria,''Flaccus''VI.43、その結果、都市部で暴動が発生したPhiloofAlexandria,''Flaccus''VII.45。 |
醜聞
| 彼らは、カリグラが妹たちと近親相姦に耽っていたばかりか、彼女らを他の男たち相手に売春させていたと非難しているのであるCassiusDio,''RomanHistory'' |
暗殺とその余波
| カリグラに対して計られながら失敗に終わったいくつもの陰謀は、こうした苛烈な命令が原因となって引き起こされたものだとヨセフスは述べているスエトニウス『ローマ皇帝伝』「カリグラ」 |
| 41年1月24日、神君アウグストゥスに奉げる笑劇や悲劇を上演していた少年俳優劇団に対して激励の言葉をかけていたカリグラを、カエレアと数名の親衛隊将校が呼び止めたスエトニウス『ローマ皇帝伝』「カリグラ」 |
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