| 1917年-グラーツ市立歌劇場でデビュー。 |
| 首席指揮者の座を約束されていた。 |
| しかしリヒャルト・ワーグナーの友人であったカール・ムックがベームの「ローエングリン」を聴いた際に感激し、当時バイエルン国立歌劇場音楽監督だったブルーノ・ワルターにベームを紹介した。 |
| 1921年-ワルターの招きにより、バイエルン国立歌劇場の指揮者に転任。 |
| ワルターはベームに多大なる影響を与え、特にモーツァルトの素晴らしさを教えた。 |
| そしてまたベームもモーツァルトの権威として知られることになる。 |
| ワルターとの交遊関係は戦中戦後を通じて続くこととなるが、1922年からはワルターに代わり、クナッパーツブッシュが音楽監督になった。 |
| しかしクナッパーツブッシュも、モーツァルトに関してはほとんどベームに任している。 |
| 1927年-ダルムシュタット市立歌劇場音楽監督に就任(1931年まで)。 |
| この時の総監督は、後年メトロポロタン歌劇場の名物総支配人となるルドルフ・ビングであり、彼らの友情は終生続くこととなる。 |
| 1931年-ハンブルク国立歌劇場音楽監督(1934年まで)。 |
| 1934年-ドレスデン国立歌劇場総監督に就任。 |
| ダルムシュタットでは現代オペラの上演に力を注いだが、特にアルバン・ベルクの「ヴォツェック」を指揮して絶賛され、ベルク本人との友情も芽生え、ベルク作品の世界的普及に尽力した。 |
| ハンブルク時代よりR・シュトラウスとの親交が始まり、R・シュトラウスゆかりのドレスデンに転任すると、1935年にはR・シュトラウスの「無口な女」の世界初演を行い、さらに1938年にはR・シュトラウスから献呈された「ダフネ」も世界初演した。 |
| 1943年-ウィーン国立歌劇場総監督に就任。 |
| シュヴァルツコップなど才能ある歌手を次々と見いだして伝説的なベーム・アンサンブルを作り上げた。 |
| 1944年にはシュトラウス生誕80年祭ではR・シュトラウスに祝辞を述べ、臨席のもと「ナクソス島のアリアドネ」を指揮した。 |
| 1945年にはオーストリア(当時はドイツに併合されていた)からフランツ・シャルク以来となる「オーストリア音楽総監督」の称号を受けた。 |
| 第二次世界大戦での戦局悪化に伴い、R・シュトラウスより芸術上の遺言(今後のオーストリア音楽界をどのように運営・維持すべきか)を託された。 |
| また同時にR・シュトラウスのスケッチブックなど、貴重な資料も渡された(これらはベームの死の直前にウィーン・フィルに寄贈されている)。 |
| ドイツ・オーストリア敗戦後に連合軍から演奏活動停止命令を受けたが、1947年に復帰。 |
| 1954年-2度目のウィーン国立歌劇場総監督に就任。 |
| 1955年11月には連合軍の爆撃により焼失していたウィーン国立歌劇場が再建され、この記念すべき再開記念公演の「フィデリオ」を指揮した。 |
| 続いて「ドン・ジョヴァンニ」「ヴォツェック」「影のない女」を指揮している。 |
| ちなみにベームは当初、ドン・ジョヴァンニの指揮をワルターに依頼したが、高齢を理由に辞退した。 |
| しかしその代わりにワルターは、ウィーン国立歌劇場でブルックナーの『テ・デウム』とベートーヴェン第9交響曲を演奏したウィーン国立歌劇場総監督辞任後は特定のポストには就かず、フリーランスとして客演や録音活動を中心に据えた。 |
| 1962年-バイロイト音楽祭に初登場、「トリスタンとイゾルデ」を指揮。 |
| ヴィーラント・ワーグナーとともにオペラ史に燦然と輝く新バイロイト様式を作り上げた。 |
| 1964年-「オーストリア(共和国)音楽総監督」(戦前のものは自然消滅)の栄誉を授けられている。 |
| 1967年-ウィーン・フィル創立125周年を記念し、特にベームのために創設された「名誉指揮者」の称号を授けられた。 |
| 1973年-オーストリア政府から若い指揮者の為の「カール・ベーム賞」制定が発表される。 |
| 1974年-「ニキシュ=ベーム指環賞」が制定された。 |
| この他にも、「ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団名誉指揮者」「ロンドン交響楽団桂冠指揮者」「ウィーン市、グラーツ市、ザルツブルク市の各名誉市民」「ドイツ連邦功労十字勲章」「バイロイト黄金名誉指環」「バイエルン国立歌劇場名誉会員」「ダルムシュタット国立歌劇場名誉会員」「ベルリン・ドイツ・オペラ名誉会員」などが与えられている。 |
| またザルツブルク音楽祭は長年にわたるザルツブルク音楽祭に対するベームの功績をたたえて、フェルゼンライトシューレ(ザルツブルク祝祭小劇場)とホワイエの間の大ホールを「カール・ベーム・ザール」と名付けている。 |
| さらに出身地であるグラーツとザルツブルクを結ぶインターシティ列車をカール・ベーム号(IC517/518)と名付けた。 |
| これは現在も運行されている。 |