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プロフィール
- グレッグ・ラロッカとは
- アメリカ時代
- ヤクルト時代
- オリックス時代
- プレースタイル
- 死球に関するエピソード
- 人物
- 年度別打撃成績
- タイトル
- 表彰
- 記録
- 背番号
- 関連項目
- 関連サイト
グレゴリー・マーク・ラロッカ(GregoryMarkLaRocca,1972年11月10日-)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州出身の元プロ野球選手(内野手)。
アメリカ時代
| マサチューセッツ大学を経て、のMLBドラフト10巡目(全体の262番目)でサンディエゴ・パドレスに指名され契約。 |
| 9月7日にメジャーデビュー。 |
| にメジャー再昇格。 |
ヤクルト時代
| 5月9日の対西武ライオンズ戦(神宮)では3打席連続本塁打、翌日の5月10日には1イニング2本塁打を記録した。 |
| セ・パ交流戦では.343の好成績を残したが、8月に左膝負傷・手術で戦線離脱した。 |
| シーズン中に復帰出来なければ来期の契約をしないことを通告されたが、シーズン末期に復帰した。 |
| 1年トータルでは103試合出場、打率.285、18本塁打とそれなりの成績を収め、ファンを安堵させた。 |
| 翌年の処遇はしばらく不透明だったが、12月1日に自由契約選手として公示され、退団。 |
| 信頼できる中距離バッターを求めていたオリックス・バファローズへの入団が決定した。 |
オリックス時代
| 4月5日、対千葉ロッテ戦で本塁打を放ち、全球団から本塁打(大阪近鉄を除きオリックス、東北楽天を含む12球団)を達成。 |
| 8月24日の対東北楽天17回戦で、延長10回裏に渡邉恒樹から「人生初」となるサヨナラ弾を、レフトスタンドへ放った。 |
プレースタイル
| 左方向への打球が多い中長距離打者である。 |
| オリックス在籍時はタフィ・ローズやアレックス・カブレラと(2009年シーズンはホセ・フェルナンデスも含む)「ビッグボーイズ打線」を形成していた。 |
| オリックスでの打撃好調の理由を記者に質問された際には「タフィが後ろで打ってくれるから、自分は思い切りバットが振れるんだ」と語っており、ローズに対して全幅の信頼を寄せている事がうかがえる。 |
| 満塁の場面に強く、広島時代の2004年は通算3本塁打、打率5割を超え、2005年8月10日の対ヤクルト戦(神宮)でも前田智徳と共に1試合2満塁本塁打(チームとしては27年ぶりの快挙)を放った。 |
| 守備では主に二塁、三塁で起用され、一塁(かつては遊撃も)の守備もこなせるユーティリティープレイヤーである。 |
| 守備範囲は広いほうではなく、また人工芝球場では捕球ミスによる失策がやや多かったが、基本的には堅実であり、ジャンピングスローやダイビングキャッチなどで度々ファンを湧かせた。 |
| 走力も初の春季キャンプで測った時もタイムはチームでも速かった方で、決して鈍足ではなかった。 |
| オリックス時代は守備位置が隣である遊撃手の大引啓次を可愛がっており、大引も打撃の師としてラロッカを慕っていた。 |
| 大引が好守を見せた時にはお互いが仲良く決めのポーズを出す姿がしばしば見られた。 |
| 大引自身も仲の良い外国人選手としてラロッカの名を挙げている |
| 怪我がちな体質であり、死球(後述)や守備での負傷による戦線離脱が多かった。 |
| 日本ではシーズン通しての出場が在籍7年間でわずか2シーズンに留まった。 |
死球に関するエピソード
| 死球の多い選手として知られており、2007年に受けた28死球は1シーズン最多死球の日本記録である。 |
| 2010年までの7シーズンで3度のリーグ最多死球、歴代13位にあたる通算109個の死球を記録している。 |
| この間の1被死球あたりの打席数は約21.8(2375打席・109被死球)で、歴代最多被死球の記録をもつ清原和博の48.0打席で1被死球(9403打席・196死球)の2倍以上のペースで死球を受けている。 |
| 常にボールに向かって打ちにいく打撃スタイルであるため、内角の厳しいボールが来ても避けない事が多く、それが死球を誘発している原因と考えられる。 |
| オリックス移籍時に清原について記者から質問された事があったが、その際「彼と死球の数で勝負しようか」と語っている。 |
| 2007年は前半戦だけで20個の死球を受けた。 |
| オールスターゲーム前に「さすがにオールスターでは死球はないだろうね」とコメントしたが、第1戦の第1打席で上原浩治から死球を受けたが、すっぽ抜けのカーブでダメージも少なかったためか、両手を拡げて健在をアピールし、ファンの笑いを誘った。 |
| 9月17日の対千葉ロッテマリーンズ戦(京セラドーム大阪)で清水直行からシーズン25個目の死球を受け、岩本義行の持つ日本記録を更新した瞬間は観客に向かって手を振り、マウンド上の清水にも一礼した。 |
| オリックス球団営業部では“痛い偉業”をたたえて、死球新記録グッズの開運袋「当てたロッカ」を発売した。 |
| 同年の年俸交渉では、前例の無い「死球数でのインセンティブ」を希望していることが判明。 |
| 年俸のアップ幅の中には死球による怪我の「治療費」まで盛り込まれた |
人物
| オフにはアメリカの自宅近くの日本語教室で日本語を学ぶなどファンとの交流を非常に大切にしている選手で、今でも広島のファンの人気は高い。 |
| 特に牛角がお気に入りで、遠征先にある牛角には必ずと言っていいほど通うという(広島時代はマイク・ロマノとジョン・ベイルとよく一緒に行っていた)。 |
| ちなみに広島時代、遠征で栗原健太の実家の焼肉屋で山形牛を食べて、「美味い!」と絶賛した。 |
| 練習中に焼肉について語るほどの焼肉好き(偶然にも東京ヤクルト時代の背番号が29(ニク)となっていた)。 |
| 2007年9月28日、オリックス球団を通じて日本二分脊椎・水頭症研究振興財団に100万円を寄付すると発表した。 |
| ラロッカ夫人が障害者教育を専攻しており、夫人の影響を受けて「日本のために恩返しがしたい」と寄付を申し出た経緯をラロッカ自身が明らかにした。 |
| 2008年の春季キャンプで、テリー・コリンズ監督と練習方法を巡って激しく口論した。 |
| ただ意見をぶつけ合うのはアメリカ人なら当然で、これが監督であっても同じで、双方ともシリアスな問題でなく、しこりはないと語っている。 |
| 本拠地である京セラドーム大阪、スカイマークスタジアムへは電車で通っているようで、両球場の最寄り駅やその周辺でファンにサインをする姿が度々見られる。 |
| ただし、2010年後半、二軍暮らしを余儀なくされていた際には、マイカーであじさいスタジアム北神戸に通っていた。 |
| その際、フレディ・バイナムやフェルナンド・セギノールなど、二軍にいる外国人選手を同乗させていた姿が度々目撃されている。 |
年度別打撃成績
| 2010年度シーズン終了時。 |
| 各年度のはNPBにおける歴代最高、太字はリーグ最高。 |
表彰
| ベストナイン:2回(2004年:二塁手中日・荒木雅博と同時受賞、2007年:三塁手)。 |
記録
| 初出場・初先発出場:2004年4月2日、対中日ドラゴンズ1回戦(ナゴヤドーム)、3番・二塁手として先発出場。 |
| 初安打・初打点:同上、9回表に岩瀬仁紀から中前適時打。 |
| 初盗塁:2004年4月9日、対横浜ベイスターズ1回戦(広島市民球場)、1回裏に二盗(投手:ピート・ウォーカー、捕手:相川亮二)。 |
| 初本塁打:同上、3回裏にピート・ウォーカーから右越2ラン。 |
| 初死球:2004年4月14日、対阪神タイガース2回戦(阪神甲子園球場)、3回表に前川勝彦から。 |
| 100本塁打:2007年8月28日、対福岡ソフトバンクホークス16回戦(スカイマークスタジアム)、4回裏に和田毅から左越ソロ ※史上251人目。 |
| 100死球:2009年7月28日、対福岡ソフトバンクホークス12回戦(長崎ビッグNスタジアム)、8回表に森福允彦から ※史上13人目(史上最速)。 |
| シーズン最多死球28個(2007年)。 |
| 全球団から本塁打:2007年4月5日、対千葉ロッテマリーンズ3回戦(京セラドーム大阪)、8回裏に薮田安彦から左越逆転決勝2ラン ※史上7人目。 |
背番号
| 20(2000年)。 |
| 62(2002年-2003年)。 |
| 43(2004年-2005年)。 |
| 29(2006年)。 |
| 30(2007年-2010年)。 |
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1972年
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グレゴリー・マーク・ラロッカ(Gregory Mark... |
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2004年
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初出場・初先発出場:、対中日ドラゴンズ1回... |
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