| ケニーはハングオフという乗り方をしていたが、正統な乗り方を極めた結果である。 |
| ケニーの次の世代の若いアメリカ人ライダーには正統という言葉は馴染まない。 |
| 例をあげるとフレディ・スペンサー『天駆ける』(p129,p130)より。 |
| ケニーはを最後にWGPライダーとしては引退したが、ロードレースから引退したわけではない。 |
| 日本では1985年と1986年に鈴鹿8時間耐久ロードレースにライダーとして出場し、結果は二度ともリタイアであったが、ケニーの出場自体が日本のファンを喜ばせた『片山敬済[疾走する戦士たち]』(p86)より。 |
| ケニーはWGPライダー時代、その役割(世界チャンピオンなること)を完璧に果すために全力を尽したが、そのために結果として家庭を蔑ろにしてしまった。 |
| WGPライダー引退後は子供たちと遊び、よきパパである。 |
| ケニーにとってレーシングチームを運営する仕事は家庭と両立できるものである『片山敬済[疾走する戦士たち]』(p88,p89)より。 |
| ケニーがレーシングチームを設立する切っ掛けとなった出来事は、アメリカでレースをしていたウェイン・レイニーが突然スポンサーを失ない困っていたことだった。 |
| 若手ライダーをWGPに参戦するための支援をしようと思い立ち、ヤマハとマールボロの協力を得て、のWGP250ccクラスにウェインとアラン・カーターの二人のライダーを擁して参戦する。 |
| しかし、チーム設立のための準備期間が短かかったことと、250ccクラスはスポンサーのマールボロにとっては魅力がなかったために十分な資金的支援は得らず、チーム運営は思うようには行かなかったが『片山敬済[疾走する戦士たち]』(p89,p90)より。 |
| 、二人のライダーの戦績は、ウェインがランキング8位、アランが9位となり、二人ともトップ10入りした。 |
| 「100%でやってくれるんじゃなきゃイヤだ」(ケニー・ロバーツ)『片山敬済[疾走する戦士たち]』(p90)より。 |
| と返答し、本腰を入れて交渉してきたラッキーストライクをスポンサーにすることになった。 |
| チームに迎え入れるライダーの選考時には次のような話が流れた。 |
| 英語が話せるライダーがいい。 |
| エディ・ローソンとワイン・ガードナーを勧誘した。 |
| この話はどれも本当のことである『片山敬済[疾走する戦士たち]』(p91)より。 |
| 結局、ライダーはランディ・マモラとマイク・ボールドウィンに決まった。 |
| マイクを選んだことに関して、周囲の人々は不思議がった。 |
| ケニーによる人選の基準は、ライダーがレースに臨む姿勢である。 |
| ケニーが必要としているライダーとは、常に今よりも速く走れるライダーになりたいという向上心のあるライダーである。 |
| マイクはそのようなライダーであった『片山敬済[疾走する戦士たち]』(p91,p92)より。 |
| ケニーのチームは、にランディがランキング3位、マイクはランキング4位と好成績を修めた。 |
| イギリスGP(シルバーストーン)以外では、二人のライダーのうちどちらか一人または二人とも各レースで表彰台に上がっており、ケニーはこの結果に満足している『片山敬済[疾走する戦士たち]』(p93)より。 |
| ケニーは見事なチーム運営を行なった。 |
| ケニーが喜びを感じていることは、彼が運営するチームが発展することである『片山敬済[疾走する戦士たち]』(p92)より。 |
| ケニーはレーシングチーム運営をするにあたって、チームで働く人材を最重視している。 |
| 優秀な人材を獲得してチーム運営をすることが重要であると考えている。 |
| ポール・バトラーはそれに適任であり、ケニーはポールにチーム運営を任せている。 |
| ただ、ライダーの走りに関してはケニーでなくては助言ができない。 |
| その点で、やはりケニーはチームにとって重要な存在である。 |
| ケニーはこの2年間のレース活動を通して、スポンサーの変化に気づいた。 |
| ケニーによると、スポンサーが、既存の広告媒体(新聞や雑誌)を利用するよりもレース活動を支援した方が長期的視点に立つと有益である、考え始めているという。 |
| テレビや雑誌がレースを取り上げることによって、子供たちがレースに興味を示すようになり、長い目で見るとそれが、WGPに発展に繋がるとケニーは考えている『片山敬済[疾走する戦士たち]』(p94)より。 |