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プロフィール
- ケビン・ガーネットとは
- 生い立ち
- マーディン高校
- ファラガット高校
- ドラフトへの道のり
- キャリア初期
- フランチャイズプレイヤー
- 2004年のMVP受賞
- フラストレーション
- トレードへの道のり
- ボストンでの成功
- 現在
- ドラフト
ケビン・モーリス・ガーネット(KevinMauriceGarnett,1976年5月19日‐、アメリカ合衆国サウスカロライナ州グリーンビル生まれ)は北米プロバスケットボールリーグNBAのボストン・セルティックスに所属するバスケットボール選手。身長211cm、体重115kg。ポジションはパワーフォワード。愛称はK.G。1995年のNBAドラフトにて大学に進学せず高校から直接NBA入りをした選手として注目を集め、以後、ミネソタ・ティンバーウルブズのエースとしてシーズンMVP、オールNBAチーム、オールディフェンシブチームなどの各賞を受賞したほか4年連続で リバウンド王に輝くなど、長身に俊敏さを兼ね備えたオールラウンドな才能を武器にリ ...
生い立ち
| ケビン・モーリス・ガーネットはサウスカロライナ州グリーンビルで生まれる。 |
| 両親は結婚しておらず、そのためガーネットと彼の姉は美容師の母シャーリーによって育てられるが、女手一つで2人の子供を養うのは容易ではなく、さらに次女が生まれたことで一家はしばしば経済的困難に直面した。 |
| 実父オールイス・マカルーは学生時代、地元では名の知られたバスケットボール選手だったが、少年ガーネットも夜中に自室の窓からこっそり抜け出しては近所のプレーグラウンドに通い詰めるほどのバスケ少年となり、1980年代に一世を風靡したマジック・ジョンソンに強い憧れを抱いた。 |
| ガーネットが7歳の頃、シャーリーはアーネスト・イルビーと結婚するが、新しい父はスポーツに対してあまり理解を示さず、シャーリーとアーネストはガーネットに勉学に励むことを望んだこともあり、ガーネットは高校に進学するまではまともなチームでプレーする機会はなかった。 |
| 一家はガーネットが12歳のときに同州マーディンに移住する。 |
| なお、母シャーリーはエホバの証人の信者であったため、ガーネットは周囲の子供たちとは一風変わった少年時代を過ごし、彼が初めてクリスマスを祝ったのはプロ入りした19歳の時だった。 |
マーディン高校
| 1991年、ガーネットは地元マーディン高校に入学。 |
| 同校のバスケチームでガーネットは初めて組織化された試合を経験するが、彼は1年目のシーズンにて平均12.5得点14.0リバウンド7.0ブロックの成績を残す。 |
| なお、プロ入り後も着用し続ける事になる背番号『21』はこの頃から使用しているが、これは当時セント・ジョーンズ大学で活躍していたマリック・シーリーを意識してのことだった(このシーリーとは後にミネソタ・ティンバーウルブズ時代にチームメートとなる)。 |
| あたかも憧れのマジック・ジョンソンのようにオールラウンドな才能を発揮し始めたガーネットは、2年目のシーズンにはあらゆるポジションをこなす優秀な選手へと成長する。 |
| 一方で学業は順調とは言いがたく、学校側は学校のスターである彼に専門の家庭教師を付けようとしたが、この頃からすでにNBA入りを意識していたガーネットは学校のこの申し入れを拒んでいる。 |
| 3年目のシーズンには平均27.0得点17.0リバウンド7.0ブロックの成績を残し、チームをサウスカロライナ州のチャンピオンシップに導くと共に自身は州のMr.バスケットボールに選ばれた。 |
| 3年生にしてこのタイトルを獲得するのは同州初の快挙であった。 |
| NBA入りを目指すガーナットは順調なバスケキャリアを歩んでいるように見えたが、しかし1994年5月に事件は発生する。 |
| 校内にて黒人と白人の学生たちによる乱闘が発生。 |
| 駆けつけた警官たちは乱闘の周囲にいた学生全員を逮捕し、その中に偶然近くを通っていたガーネットも含まれていた。 |
| ガーネットは保釈金を払って釈放されるが、この乱闘事件のニュースは全米を駆け巡り、これまでにガーネットが築き上げてきた評判は一瞬にして壊されてしまうことになった。 |
| 同時期に長年の親友であったエルドリック・レーモンを交通事故で失うという悲劇も重なったガーネットは、裕福ではなかった少年時代にそうしたように、辛いこの時期をバスケットに情熱を傾けることで切り抜けようとした。 |
| ガーネットは夏にアマチュア・アスレチック・ユニオンの有名な大会であるケンタッキー・フープフェスに出場。 |
| ここでの活躍が認められ、全米から優秀な高校選手が集まるナイキ・サマーキャンプへ招待された。 |
| この場でガーネットはイリノイ州シカゴにあるファラガット高校から参加したロニー・フィールズと親交を深めるが、ガーネットの境遇を知ったフィールズはガーネットにシカゴに来るよう誘った。 |
| 母と姉の同伴のもとシカゴを訪れたガーネットは、ファラガット高校での再出発を決意した。 |
ファラガット高校
| 結果的にガーネットの再出発は大きな飛躍となった。 |
| サウスカロライナの小都市から全米有数の大都市であり、多くの高校生スター選手が犇くシカゴへの転居は、ガーネットを選手として大きくステップアップさせると共にメディアへの露出も増やす結果となったのである。 |
| ガーネットと後にプロ選手となるロニー・フィールズに率いられたファラガット高校アドミラルズはシーズンを28勝2敗の成績で勝ち抜き、イリノイ州チャンピオンへと上り詰める。 |
| ガーネット個人は平均25.2得点17.9リバウンド6.7アシスト6.5ブロックの成績を記録し、イリノイ州のMr.バスケットボールに選ばれている。 |
| また12月、セントルイスのキールセンターで開催されたコカ・コーラ/クモックス・シュートアウトでは会場を埋めた12,926人の観衆と名門大学のコーチ、そしてNBAスカウト陣を前にアドミラルズを58-55の勝利に導いた。 |
ドラフトへの道のり
| 当初ガーネットは大学への進学を目指していた。 |
| 当時NBA入りするには名門大学で活躍することでNBAスカウトからの注目を集めた上でNBAドラフトで指名されることが、ほとんど唯一の道と思われていたからである。 |
| しかしファラガット高校でガーネットはGPAでは3.8を取得していたが、一方でACT(アメリカ大学進学適性テスト)はパスしておらず、このことは彼がNCAAでプレーできるかについて疑問を投げ掛けた。 |
| ガーネットは受験対策のために設けられた特別クラスに編入していたが、ACTでは必要な17点を得ることができなかった。 |
| 大学進学への道には霧が立ちこめる中、バスケット選手としての評価は上がる一方のガーネットには、大学よりも高校卒業後すぐにNBA入りする方がよりスマートな方法に思えるようになった。 |
| 1995年4月、ガーネットは高校オールスターゲームであるマクドナルド・オールアメリカンゲームに参加するためにセントルイスに居た。 |
| ここで当時ガーネットと同じく高校スター選手だったヴィンス・カーター、シャリーフ・アブドゥル・ラヒーム、そしてステフォン・マーブリーと出会うが、マーブリーとは特に親しい関係を築き、この夏には彼と引っ切り無しに電話をし合ったため、毎月の電話料金は莫大な数字となったという。 |
| オールスターゲームでは18得点11リバウンド3ブロックをあげてチームを126-115の勝利に導き、自身はMVPを受賞。 |
| さらにUSAトゥデイ紙がその年の全米年間最優秀選手にガーネットを選んだことで、かねてからあったガーネットが高校卒業後直接NBA入りするのではないかという推測が勢いづき、また専門家たちはもしガーネットがドラフトにエントリーすれば1巡目で指名されるだろうと予測した。 |
| そして彼らの多くは1974年に19歳の若さでアメリカン・バスケットボール・アソシエーション(1967-1976年)のユタ・スターズに入団した往年の名選手、モーゼス・マローンと比較した。 |
| そしてガーネットは1995年のNBAドラフトへのエントリーを決意する。 |
| ガーネットと同じように高校卒業後すぐにNBAでドラフト指名されたのはダレル・ドーキンスとビル・ウィロウビーが指名された1974年のNBAドラフトが最後であり、それから実に20年以上も後のことである。 |
| つまり当時のNBAには高校卒業直後の選手がプロの世界で通用するかについてのサンプルが無く、ガーネットは1995年ドラフトの不確定要素となった。 |
| ドラフト候補生の中にはカレッジバスケで活躍したジョー・スミスやアントニオ・マクダイス、ジェリー・スタックハウス、ラシード・ウォーレスらがおり、より洗練されている彼らを指名する方がNBAチームにとっては安全な選択であった。 |
| しかし7フッター(身長213cm)級の長身にガード並みの技術と広い視野を持ち合わせるガーネットには多くの潜在能力が秘めているように見え、NBAスカウト陣にとっても無視できない存在だった。 |
| ミネソタ・ティンバーウルブズの新任バスケットボール部門副社長、ケビン・マクヘイルもそんな高校生選手に注目する人物の一人だった。 |
| ティンバーウルブズは1989年に誕生して以来、勝率4割を超えたことがない弱小チームであり、前年の1994-95シーズンも21勝61敗と大きく負け越しており、1995年のドラフトでは5位指名権を持っていた。 |
| ドラフト当日の6月28日。 |
| ジョー・スミス、アントニオ・マクダイスと、上位指名には予想通りの名前が並ぶ中、候補生の中で一際幼く、細く見えるケビン・ガーネットの名前は5番目に呼ばれた。 |
| 19歳のNBA選手の誕生であった。 |
| その直後、ガーネットは高校時代のコーチから電話でSAT(大学進学適性試験)の成績が970点であったことを知る。 |
| それは彼が大学でもプレーできる資格が十分にあったことを意味していた。 |
キャリア初期
| ガーネットが入団した1995-96シーズン、ミネソタ・ティンバーウルブズ(以下、ウルブズ)は移行段階の真っ只中に居た。 |
| 開幕当初のヘッドコーチ、ビル・ブレアはクリスチャン・レイトナーと新加入のトム・ググリオッタを先発フォワードに据え、新人ガーネットをベンチ起用した。 |
| ガーネットのNBA入りは、アマレ・スタウダマイアーやレブロン・ジェームズ、ドワイト・ハワードらといった高卒スター選手の登場を促すが、ガーネットのルーキーイヤーは彼らほど華々しいものではなかった。 |
| ガーネットは確かに長身も才能も持ち合わせていたが、回りの百戦錬磨のベテラン選手に比べて明らかに身体の線が細く、まだプロで活躍できるほどの肉体は出来上がっていなかった。 |
| ガーネットは毎晩のように自分よりも遥かに体格の良い選手に吹き飛ばされることとなり、彼にとってのルーキーイヤー前半は辛いものとなった。 |
| しかしガーネットを重用しないブレアHCをマクヘイルは20試合目で解雇し、後任にフィリップ・サンダースを起用。 |
| ガーネットに大きな可能性を感じたサンダースは彼を先発に抜擢し、さらにレイトナーにガーネットのサポートに回るよう指示した。 |
| この指示を不服としたレイトナーはサンダースHCに反発しことでシーズン中にチームから放出され、結果的にガーネットには多くのチャンスが回ってくるようになり、シーズン後半にはダブル・ダブルを連発するようになった。 |
| 最終的には平均10.4得点6.3リバウンド1.8アシストをあげてオールルーキー2ndチームに選出され、チームは26勝56敗の成績だった。 |
| なお、シーズン終了時点で19歳と11ヶ月だったガーネットは、当時は歴代最年少のNBA選手だった。 |
| 1996年のNBAドラフトでマクヘイルはガーネットと組めるガードの選手を探していた。 |
| そして目に留まったのがジョージア工科大学で活躍したステフォン・マーブリーだった。 |
| ガーネットにとってはマーブリーのウルブズ入りは願ってもないことであり、彼自身もマーブリーの勧誘に熱心に動いた末、ドラフト当日、マーブリーはミルウォーキー・バックスから4位指名された後、将来のドラフト指名権と引き換えにウルブズにトレードされた。 |
| ガーネットとマーブリーの若いデュオはユタ・ジャズのカール・マローンとジョン・ストックトンと比較されるようになり、チームのエースであるトム・ググリオッタと共にチームの核を占めるようになった。 |
| そして迎えた1996-97シーズン、ウルブズは40勝42敗の成績でチーム史上初のプレーオフ進出を果たし、平均17.0得点8.0リバウンド3.1アシスト2.1ブロックを記録したガーネットは2年目にして初のNBAオールスターゲーム(コーチ選出)に出場。 |
| チームにとってもガーネットにとっても会心のシーズンとなったが、プレーオフではアキーム・オラジュワン、そしてガーネットと同ポジションの大スター選手であるチャールズ・バークレー擁するヒューストン・ロケッツの前に3戦全敗で完敗を喫する。 |
フランチャイズプレイヤー
| 1998年の夏にフリーエージェントとなるガーネットは1997-98シーズン中からウルブズとの再契約交渉が始まったが、ガーネットがウルブズが提示した6年総額1億200万ドルという大型契約を断ったという報道はバスケットボール界に衝撃をもたらした。 |
| これらの報道は1997-98シーズンのガーネットに巨大なプレッシャーを与えることになったが、ガーネットは1月3日のデンバー・ナゲッツ戦で自身初のトリプル・ダブルとなる18得点13リバウンド10アシストをあげると、オールスターにはファン投票によって選出され、ウルブズ初のオールスター先発選手となった。 |
| シーズン後半にはエースのトム・ググリオッタが膝の故障に見舞われるもチームはむしろ勝ち星を増やし、最終的には45勝37敗の成績を残して2年連続のプレーオフ出場を果たし、ガーネット個人は平均18.5得点9.6リバウンド4.2アシスト1.8ブロック1.7スティールを記録した。 |
| プレーオフではゲーリー・ペイトン率いるシアトル・スーパーソニックスと対戦、先にシリーズに王手を掛けるも、2勝3敗で敗れて2年連続で1回戦負けを喫した。 |
| これにより新シーズンの1998-99シーズンは50試合に短縮されるという異例の事態となるが、ロックアウト発生の要因の一つにガーネットの巨額契約もあるとされている。 |
| ガーネットと共にウルブズの将来を支えるはずだったマーブリーがプレー内容で度々コーチ陣と衝突した末にチームに対してトレード要求し、シーズン中にニュージャージー・ネッツに去ってしまったのである(ガーネットの契約にマーブリーが嫉妬したからだとも言われている)。 |
| トム・ググリオッタもフリーエージェントとなってチームを去っていたためウルブズの陣容は変貌(テレル・ブランドンやガーネットと同期のジョー・スミス、学生時代のガーネットが憧れたマリック・シーリーが新加入している)。 |
| 契約上では超一流となったガーネットでは成績上でも大台の平均20得点10リバウンドを突破する20.8得点10.4リバウンド4.3アシスト1.8ブロック1.7スティールを記録して初めてオールNBA3rdチームに選ばれ、一流選手の仲間入りを果たしたが、チームは25勝25敗と前年よりも勝率を下げてしまい、プレーオフではまたしても一回戦で、ガーネットとは同い年で同じポジション、そしてこの年のファイナルMVPを受賞するティム・ダンカン擁するサンアントニオ・スパーズに敗れる。 |
| 1999-2000シーズン、期待の新人ウォーリー・ザービアックが加入したウルブズは順調なシーズンを送り、チーム史上初の50勝到達となる50勝32敗を記録。 |
| ガーネットはオールNBA1stチーム、オールディフェンシブ1stチームに同時に名を連ね、名実共にリーグを代表する選手となったが、プレーオフではポートランド・トレイルブレイザーズの前に1勝3敗で敗れ、5年連続のプレーオフ1回戦敗退を喫している。 |
| 2000-01シーズン、ガーネットは平均22.0得点11.4リバウンド5.0アシスト1.8ブロック1.4スティールを記録してオールNBA1stチーム、オールディフェンシブ2ndチームに選ばれたがチームは噛み合わず、新加入にはチャンシー・ビラップスの顔もあったがチームに勢いは生まれなかった。 |
| 2002年のポストシーズンはガーネットの社交界デビューの場となると思われたが、人々の期待はダーク・ノビツキー、スティーブ・ナッシュ擁するダラス・マーベリックスによってウルブズが3戦全敗を喫するという形で裏切られた。 |
| 6年連続プレーオフ1回戦敗退という事実を前に、ガーネットに対する批判は方々で聴かれるようになり、マジック・ジョンソンはガーネットが「チームメートが彼を必要とする時、彼は姿を消してしまう」と彼のクラッチ能力に疑問を示し、そしてガーネット最大の擁護者であったはずのマクヘイルでさえもガーネットはより攻撃的なる必要があると指摘した。 |
フラストレーション
| ガーネットは6年連続平均20得点10リバウンド5アシスト以上となる22.2得点13.5リバウンド5.7アシストを記録し、2年連続のリバウンド王、オールNBA2ndチーム、オールディフェンシブ1stチームに輝き、リーグ1位となる69回のダブル・ダブルを達成、フェニックス・サンズとの試合ではキャリアハイとなる47得点を記録したが、ウルブズは前年より大きく勝率を落とす44勝38敗の成績に終わり、優勝を争うどころかプレーオフ出場すら逃した。 |
| チームは急速に崩壊していき、2005年のオフには3年2,100万ドルのオファーを蹴ったスプリーウェルがチームを去り、さらにキャセールもトレードに出され、代わりにやって来たリッキー・デイビスやマルコ・ヤリッチらは2人の穴を埋められるほどの選手ではなかった。 |
| 2005-06シーズン、ガーネットは3年連続リバウンド王に輝く平均21.8得点12.7リバウンド4.1アシストの成績を残し(6年続けてきた平均20得点10リバウンド5アシスト以上の記録はついに途切れる)、オールディフェンシブ2ndチームに選出されるも7年連続選出されてきたオールNBAチームの選考からは漏れ、チーム成績は33勝49敗と更に下降する。 |
| 2006年のNBAドラフトでは全体6位指名でブランドン・ロイを指名するが、ウルブズは直後にランディ・フォイとの交換でロイをポートランド・トレイルブレイザーズにトレードに出している。 |
トレードへの道のり
| シカゴ・ブルズ、ロサンゼルス・レイカーズ、ゴールデンステイト・ウォーリアーズ、インディアナ・ペイサーズ、ボストン・セルティックス、フェニックス・サンズ、ダラス・マーベリックスと、様々なチームがガーネット獲得に手を挙げた。 |
| トレード内容はウルブズからのガーネット一人に対し、セルティックスからはアル・ジェファーソン、ライアン・ゴメス、セバスチャン・テルフィア、ジェラルド・グリーン、テオ・ラトリフの5人に加え、将来のドラフト指名権×2という内容であった。 |
ボストンでの成功
| 人々はセルティックスの大きな成功を予想し、80年代にセルティックスの黄金期を築き上げたラリー・バード、ケビン・マクヘイル、ロバート・パリッシュのトリオと比較して、ピアス、アレン、ガーネットの3人をビッグスリーと呼び、かつての栄光の復活を期待した。 |
| 一方で3人に戦力と予算が集中し過ぎているという指摘もあり、ガーネットやアレンとのトレードで閑散としているロスターの補強が急務となったが、一躍優勝候補筆頭に躍り出たセルティックスへの移籍を多くの選手が望み、セルティックスはジェームス・ポージー、P.J.ブラウン、そしてガーネットとは元チームメートのサム・キャセールの獲得に成功している。 |
| ガーネットのこのシーズンの個人成績はウルブズでエースを努めていた頃と比べればずっと劣る平均18.8得点9.2リバウンド3.4アシストだったが(9年間続けてきた平均20得点10リバウンド以上はこの年に途絶えた)、むしろガーネットへの評価は上がり、オールスターファン投票では1位となる2,399,148票を集め(腹部の怪我のため、試合には出場できなかった)、オールNBA1stチーム、オールディフェンシブ1stチームに名を連ねると共に、NBA最優秀守備選手賞をも受賞した。 |
| セルティックスのNBAファイナル進出に黄色信号が点ったかに見えたが、しかしデトロイトでの第3戦ではガーネットの22得点13リバウンド6アシストの活躍もあってセルティックスがロード初勝利をあげると、その後の3試合を2勝1敗としたセルティックスが4勝2敗でシリーズを制し、ついにセルティックスにとっては21年ぶりの、プロ13年目を迎えるガーネットにとっては初のファイナル初進出を決めた。 |
現在
| 大黒柱の不調でセルティックスは波に乗れず成績は50勝32敗と伸び悩み、ファイナルは遥かなる頂のように思われたが、成長目覚ましいレイジョン・ロンドの活躍でセルティックスはプレーオフを勝ち抜き、カンファレンス準決勝ではシーズン最高勝率を収めたクリーブランド・キャバリアーズを4勝2敗で破り、ガーネットはキャバリアーズの新戦力、アントワン・ジェイミソンをシリーズを通して封じて見せた。 |
ドラフト
| 大学に進学せず、高校から直接NBA入りしたガーネットの成功は、ドラフト候補生の低年齢化という現象を招き、以後コービー・ブライアントをはじめ、アマレ・スタウダマイアー、レブロン・ジェームス、ドワイト・ハワードらといった高校卒業直後にNBA入りするケースが急増し、高校卒業後、あるいは大学在学中にアーリーエントリーすることがNBAのスタンダードとなった。 |
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