| 1835年、コルトはE・H・コリアー(フリントロック式銃を改良して特許を取ったボストン市民)の足跡を辿ってイギリスに渡り、最初の特許(第6909号)を取得した。 |
| この時、銃の製造者やイギリスの役人はその銃に欠陥を見つけられなかったので特許の付与を躊躇していた。 |
| コルトは次にフランスに渡ってその発明の販売促進を行った。 |
| 2007年発行の「時の魂」によれば、コルトはアメリカ合衆国とフランスの間に起こりつつあった紛争に気付いた。 |
| コルトの愛国的な大望は祖国に仕えることであり、船で戻ることにしたが、その帰路でイギリスが中に入って調停したことを知った。 |
| 祖国に仕えたいというコルトの大望はそれを現す前に潰えてしまった。 |
| コルトがニュージャージー州パターソンで武器を造ることを決めたのはこの出来事の時と考えられている。 |
| コルトは家に戻ると直ぐにワシントンD.C.に急行し、1836年2月25日に後に第X9430号とされた「リボルバー拳銃」で特許を取得したColt,S.(1836-02-25).“ |
| この器械と1839年8月29日付け特許第1304号は、コルトのパターソン・ピストルと名付けた回転式後装填折り返し引き金武器の基本原理を保護したServen,J.E.;Metzger,C.(1946).''Pistols,FirstoftheFamousRepeatingFirearmspatentedandpromotedbySam'lColt.''SantaAna,CA.FoundationPress,p.5.。 |
| コルトは1836年4月にニューヨーク州とニュージャージー州の投資を集めて株式会社を設立した。 |
| 投資家の政治的なコネを使ってその会社は3月5日にニュージャージー州議会の認可を得た。 |
| 社名は「コルト特許武器製造会社」とした。 |
| コルトは、銃が売れるごとに自分の特許権に応じて特許使用権料を受け取ることとし、もし会社が解散した場合は、特許権が自分に戻されるという契約にした。 |
| この最初の「実使用リボルバーと最初の連続発射火器」は、衝撃振動の技術を集約することで可能となった。 |
| これは後に工業や文化の遺産に繋がる始まりであり、軍事工学の発展に計り知れない貢献を果たした。 |
| 皮肉なことに、後に革新的な改良を行った銃の名前が「ピースメーカー」だったことは象徴的である。 |
| コルトは、自分の設計したものがE・H・コリアーの回転式フリントロック銃の単なる実用化であったので、リボルバーを発明したとは言わなかった。 |
| E・H・コリアーの発明はイギリスで特許を取得しており、そこでは大きな評価があったBowman,H.W.(1963).inLucianCary:AntiqueGuns(AbridgedEditionFawcettBook553),4thprinting,Greenwich,Connecticut:FawcettPubications,p.94.。 |
| コルトにとって幸運なことに、ダーリング兄弟(類似の請求を行ったライバル発明家)に2ヶ月近く先行して特許を確保できていた。 |
| コルトは互換性のある部品の製作に大きな貢献を果たした。 |
| 当時の銃は手作りで高価だった。 |
| しかし、幾つかの部品は既に機械で作られていたので、コルトは全ての部品が機械で作ることと、部品に互換性を持たせることを望んだ。 |
| 彼の目標は製造ラインであった。 |
| 父親に宛てた手紙でコルトは、「最初の作業者は最も重要な部品の2,3を受け持ち、...確認して次の者に渡す。 |
| 次の者は部品を組み立てさらに次の者に渡す。 |
| その次の者は、と同じように繰り返して最後に完成品を仕上げる。 |