| 2人は仙台商業高等学校(現仙台市立仙台商業高等学校)の同級生で、高校時代のラグビー部で知り合う。 |
| 高校時代は現在の見た目とは正反対で、富澤は不良グループの1人で、伊達は優等生タイプであった。 |
| 部活動では同じラグビー部に所属していたが、同じ学級にはなったことは無い。 |
| また、現在では伊達が金髪で富澤が黒髪だが、デビュー当時は富澤が金髪で伊達が黒髪だったこともある。 |
| 部活で知り合って以来の親友で、下積み時代から現在まで1度も殴り合いのケンカをしたことがない(口ゲンカはしょっちゅう)。 |
| 卒業後、お笑い芸人になりたかった富澤は、就職すると辞めにくいとの理由でピザ屋でのアルバイトをしていた。 |
| 伊達は、福祉系の専門学校へ進学するが、3ヶ月で中退。 |
| 父の斡旋で福祉関連の会社に就職し、サラリーマンとして生活してゆくつもりであった。 |
| 富澤は、1995年に創立された吉本興業仙台事務所(仙台吉本)への所属を目標に別の相方と組んで「ゆやゆよん」というコンビ名でアマチュア活動をしていたが、所属以前に仙台吉本が撤退してしまった |
| 仙台吉本が閉鎖されたため、富澤は、もともとは伊達と組みたかったので、既に福祉関係の仕事に就いていた伊達を誘い、3年かけて口説き落としたという。 |
| その背景には伊達の祖父も死に接し「人生、好きな事やらないとなあ」と悟り伊達が会社を辞める決意をしていた。 |
| 1998年に二人で上京(これは同期だったポプラ並木が上京し、お笑い芸人として活動を始めた影響とのこと)。 |
| 3年の期限を設けた。 |
| 二人はまず『親不孝』と言うコンビを結成、その後、24歳の時に浜田ツトムを入れたトリオで『サンドウィッチマン』を結成。 |
| 浜田が脱退(現在は『メインストリート』というコンビで活動)した後も元のコンビ名には戻さず、そのままになっている。 |
| ライブではウケていたがテレビ関係者からは声がかからなかった。 |
| かたっぱしからライブに出演していたある日、遂にとあるライブにテレビカメラが入り日本テレビの番組『エンタの神様』への出演が決まった。 |
| 2005年5月28日にエンタの神様に初登場。 |
| これが初めてのテレビ出演となる。 |
| かつてはホリプロやH・R事務局に所属していた。 |
| しかしお笑いの事を解っていないマネージャー等に、ネタの内容について注意される事を嫌い、自由にネタをできる会社を探したところ、フラットファイヴに所属する事になるテレビ番組「さんまのまんま」より以前所属していた事務所フラットファイヴの社長である堀田訓幸もホリプロ出身である。 |
| M-1グランプリ2007において、大会唯一の敗者復活枠からの優勝。 |
| 2010年7月1日より、2005年から約5年間所属していた事務所のフラットファイヴを離れ、担当マネージャーが立ちあげた(株)グレープカンパニーの所属となった。 |
| 同時に、フラットファイヴに所属していた多くの芸人達も、ホロッコ・ブラジルマンを除く殆どが共に(株)グレープカンパニーへとそのまま移籍した。 |
| 2007年10月27日、2人の母校・仙台商業高等学校の文化祭「仙商祭」に出演した |
| ただし、2人が在学中の頃の青葉区の校舎から、泉区に新築移転していた。 |
| この時のサンドウィッチマンの出演料は交通費代ということで10万円だった。 |
| 2008年は単独ライブと日程が重なったため、出演できなかった。 |
| 2008年1月26日、仙台市の泉中央副都心にあるイトーヨーカドー仙台泉店で、fmいずみ「サンドウィッチマンのラジオやらせろ!(仮)」の公開収録を行った(観衆は2000人。 |
| 2007年6月に同所で行った公開収録での動員は50人-->。 |
| 宮城県知事から「みやぎ夢大使 |
| 伊達みきおが2009年5月11日、自身のブログでフリーアナウンサーの熊谷麻衣子と結婚することが明らかになり、さらに、相方の富澤たけしは、2009年4月2日に年下の一般人彼女と入籍していた事が、2009年6月8日に所属事務所を通じてFAXでマスコミ各社に明らかになった。 |
| 同年の夏、両者共結した。 |
| キングオブコント2009ではM-1との2冠を目指し出場し、決勝進出を果たす。 |
| 1stラウンドを1位で折り返すものの、結果は東京03に逆転されて2位。 |
| 翌年度以降は出場していない。 |
| 2011年3月、宮城県気仙沼市でのロケ中に東北地方太平洋沖地震が発生し被災したが、すぐに避難し二人ともブログで無事であることを報告。 |
| (後述)。 |