| 1978年、ジェフリーは高校卒業を控えていたが、離婚を巡り家庭裁判所で泥仕合を続けていた両親は、それぞれに家を出て別居しており(弟は母親の元に引き取られていた)、家には彼一人だけが取り残されていた。 |
| この頃に自分が同性愛者であることに気付き、その苦悩と孤独を紛らわせるため、アルコールに逃避することも覚えていた。 |
| 高校在学中に、登校前に酒を飲んだことで教師から叱責を受けたり、ロッカーからジンのボトルが発見されたことで停学処分を受けたこともあった。 |
| 高校卒業を孤独のうちに迎えたジェフリーは、その数日後、町外れでロックコンサート帰りの19歳のスティーブン・ヒックスというヒッチハイカーを拾った。 |
| 音楽の趣味が合い、また彼好みのタイプだったことから、酒とマリファナで自宅へ誘った。 |
| 両親が離婚して以来、空き家となっていた自宅にヒックスを連れ込み、住んでいたころの思い出を語り聞かせた。 |
| ダーマーは、人と打ち解けることの喜びを初めて味わったが、彼が父親の誕生日祝のために帰宅すると言い出した。 |
| 彼を帰したくないダーマーは、手近にあったダンベルでヒックスを背後から殴って、気を失ったところを絞殺。 |
| 死体の衣服をはぎ取って肛門を犯し、ナイフで腹部を切り裂くと、鮮血をすくって体に浴びた。 |
| その内臓を床に広げて血だらけにし、その上を転がって遊んだ。 |
| その後死体を床下へ運び込み、バラバラに解体した。 |
| しばらくは手元においていたが、腐敗しだしたため、首以外の部分はゴミ袋に詰めて近くの森に埋めた。 |
| これが、ジェフリー・ダーマーの初めての殺人である。 |
| この殺人は衝動的なものであり、長くダーマーのトラウマとなることとなった。 |
| この事件以後、彼はますますアルコールに依存することとなる。 |
| 彼は逮捕後、この事件を「もっとも思い出したくない出来事」として語っている。 |
| その後、再婚した2番目の妻、シャリを伴って帰宅したライオネルの勧めで、ダーマーはオハイオ州立大学へ進学する。 |
| 経営学を専攻したものの、重度のアルコール依存症に陥っていたダーマーは授業をまともに受けられる身ではなかった。 |
| 大学での彼の日常は講義に出席する代わりに、飲み代を稼ぐために血液銀行で売血し、その金で大学の寮の自室で浴びるように酒を飲むというものだった。 |
| 結局、1学期終了と同時に大学から退学勧告を受けた。 |
| その後、アメリカ陸軍への入隊手続きをとったダーマーは、アラバマ州のフォート・マクレラン基地に配属となり、憲兵になるための訓練を受けるが挫折。 |
| テキサス州サンアントニオのフォート・サム・ヒューストン基地に転属を命ぜられ、そこで新たに衛生兵としての訓練を受ける。 |
| 訓練が終了すると、旧西ドイツのバウムホルダーにある、駐独アメリカ軍第8歩兵師団68連隊第2大隊に配属された。 |
| 入隊当初は勤務成績も良く、順調に昇進もしていたが、ドイツ勤務となり基地内の免税店で酒が安く買えるようになると再び酒浸りの日々を送るようになり、任務がこなせなくなったため、1981年に兵役満了を待たずして除隊となったが、陸軍はダーマーの将来に配慮して不名誉除隊にはせず、健康上の理由による名誉除隊とした。 |
| なお、ドイツ駐留時代、バウムホルダー基地周辺で5件の未解決殺人事件(被害者のうち一人は女性)が発生している。 |
| ダーマーはこれについて自白しておらず、犯人も不明のままだが、その手口からダーマーの犯行だとする声が根強く残っている。 |
| 陸軍除隊後、ダーマーはフロリダのリゾート地で日銭仕事をしながらぶらぶらしていたが、やがてライオネルに帰郷するための交通費を無心してオハイオへ舞い戻り、祖母の元に身を寄せることになる。 |
| ここでも相変わらず酒浸りの生活は改まることはなく、学生の時と同じように血液銀行で頻繁に売血を繰り返したためブラックリストに載せられたり、バーで問題を起こしては警察の世話になったりしていたが、その一方、経済的な安定を得るためにミルウォーキーのアンブロシア・チョコレート社の工場作業員として就職し、家族を安心させるという面も見せた。 |
| 就職してほどなく、ミルウォーキーのゲイバーやクラブに通うようになったが、そこでも無愛想で孤独な一匹狼、という評判が立った。 |
| ダーマーは目をつけた男に睡眠薬を混ぜた酒を飲ませるようになったが、暴行目的というよりは薬の量や薬効を調べるための実験に近かった。 |
| しかし、ある日、「クラブ・バス・ミルウォーキー」という店で飲み仲間の一人が意識を失って病院へ担ぎ込まれたため、同店から出入り禁止を言い渡され、それから間もない1986年9月8日、12歳の少年ふたりにマスターベーションを見せたとして、1年間の保護観察処分を言い渡された。 |