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つながりの強いひと
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プロフィール
- ジェフ・ベックとは
- 生い立ちと初期
- ジェフ・ベック・グループ
- フュージョン期
- エレクトロニカ、テクノロックサウンドに接近
- ギター
- アンプ/エフェクター
- 奏法
- ディスコグラフィ
- 関連サイト
ジェフリー・アーノルド“ ジェフ” ベック(GeofferyArnold"Jeff"Beck,1944年6月24日-)は、イギリス、サリー、ウォリントン出身のギタリスト。
生い立ちと初期
| 1944年、ロンドン南方のウォリントンで中流家庭に生まれる。 |
| 一家は両親と姉の四人暮らしであった。 |
| (姉のエセルとは双子の姉弟)ジェフは地元の私立小学校に入学。 |
| この頃から母親によるピアノのレッスンを受けるシンコーミュージック刊・ジェフベック孤独の英雄伝説(なかむら☆よういち著・1978年・0073-61051-3129)より。 |
| 12歳になるとジュニア・アート・スクールに通い始める。 |
| ロックン・ロール、ロカビリーに興味を持ったジェフは、友人から弦が三本しか張られていないガット・ギターを手に入れる。 |
| それに満足できなくなると、ベニヤ板を使い黄色いペンキを塗ったギターを作り上げた。 |
| ギターにのめり込むジェフの姿を見て、母親は25ポンドのグヤトーンを買い与えた。 |
| 16歳になるとウィンブルドン・カレッジ・オブ・アートに入学する。 |
| ジェフは学友達と最初のバンド、ナイト・シフトを結成し、地元のクラブへの出演を果たすようになる。 |
| 1962年、エプソム・アート・スクールに通っていた姉から、同校に在籍していたジミー・ペイジのことを知らされ、意気投合する(但しペイジはヤードバーズのドキュメンタリーで、「ベックは11歳の頃から知っているよ」と話している)出典が付記されていないので、一旦コメントアウトします。 |
| まもなくジェフはアート・スクールを退学、ナイト・シフトを解散し新たなバンド、トライデンツを結成する。 |
| トライデンツで活動する傍ら、セッション・ギタリストとして様々なセッションにも参加している。 |
| トライデンツでの音源はアルバム『ベッコロジー(Beckology)』に三曲が収録されている。 |
| 1965年、スタジオ・ミュージシャンとしてセッションワークで多忙だったペイジに紹介される形で、エリック・クラプトン脱退直後のヤードバーズに参加する。 |
| ヤードバーズは1966年、ベースのポール・サミュエル・スミスが脱退、その後任としてペイジがベーシストとして加入。 |
| やがてベースをクリス・ドレヤと交代したペイジは、ジェフと二人でリード・ギターを担当、ヤードバーズはツイン・リード編成で活動、シングル「''HappeningsTenYearsTimeAgo/PsychoDaises''」が発表した。 |
| この時期にバンドはミケランジェロ・アントニオーニ監督の『欲望』に出演、この映画でジェフはギターを破壊している。 |
| 様々な活動やツアーを行いながらも次第にメンバー間の確執が表面化し、ついにはアメリカ・ツアー時にジェフはステージを放棄し、12月中旬に健康上の問題を理由に脱退することとなる。 |
ジェフ・ベック・グループ
| ヤードバーズ脱退後、ジェフはミッキー・モストとプロデュース契約を結び、ソロ・シングル「''HiHoSilverLining/Beck'sBolero''」を発表する。 |
| この「''HiHoSilverLining''」は大ヒットし、NME誌のチャートで17位を記録する。 |
| その後ベックは自身の新たなバンドを結成する。 |
| このバンドは一般には「ジェフ・ベック・グループ」と呼ばれているアルバムの正式な名義はジェフ・ベックであり、ツアーもジェフ・ベックの名義で行われた。 |
| ヴォーカルにはショットガン・エクスプレスに所属していたロッド・スチュアート、ベーシストがロン・ウッド『ジェフベック孤独の英雄伝説』によれば、ロン・ウッドは当初セカンド・ギタリストとして加入した。 |
| ベースは当初、元ザ・シャドウズ(TheShadows)のジェット・ハリス(JetHarris)が参加する予定だったが、ハリスが参加出来なくなり、ロン・ウッドがベース担当に変更となった。 |
| 、ピアニストがニッキー・ホプキンス『ジェフベック孤独の英雄伝説』によれば、トゥルースの時はセッション参加であり、それを契機に正式加入した。 |
| 、ドラマーがエインズレイ・ダンバー『ジェフベック孤独の英雄伝説』によれば、エインズレイ・ダンバーはレコーディング・メンバーとしては初代だが、厳密にはその前に3人のドラマーが存在する。 |
| 最初は元プリティ・シングスのヴィヴ・プリンスが参加する予定だったがそれが不可能となり、代ってトライデンツ時代の仲間だったレイ・クックが選ばれたがリハーサルの時点で脱退、その後ロッド・クーンが加入したが、3月に行われた最初のライブの後に解雇。 |
| エインズレイ・ダンバー加入後の最初のライブは5月の英国国内ツアー。 |
| であった。 |
| バンドはこのラインアップでシングル「''Tallyman/RockMyPlimsoul''」を発表するが、ほどなくエインズレイが脱退、代わってミック・ウォーラー(MickyWaller)が加入し、アルバム『トゥルース』を録音するこの『トゥルース』はわずか4日で録音された物であった。 |
| 出典が付記されていないので、一旦コメントアウトします。 |
| その後、メンバーの確執が表面化、1969年になってロン・ウッドとミッキー・ウォーラーが脱退。 |
| 代ってドラムスがトニー・ニューマン(TonyNewman)に、ベースがダグラス・ブレイクに交代したが、ダグラス・ブレイクは短期間で解雇され、ロン・ウッドが再び加入した。 |
| セカンド・アルバム『ベック・オラ』の発表と前後してニッキー・ホプキンスが脱退。 |
| さらにロン・ウッドがフェイセズに加入する為脱退。 |
| ロッド・スチュワートも最終的にロン・ウッドと共にフェイセズに加入する。 |
| その頃ジェフは、ヴァニラ・ファッジのティム・ボガート、カーマイン・アピスと接近、彼らにロッド・スチュワートをボーカリストとして加え、新たなバンドを結成する予定であったが、直前の1969年11月2日にカスタム・メイドのT型フォードを運転中ロンドン南30マイルのメイドストーンで交通事故を起こし重傷を負い、三ヶ月の入院を余儀なくされる。 |
| この出来事により、新バンドの構想は白紙となってしまう。 |
| 怪我が完治したジェフは新たなメンバーを集め、再び自身のリーダーバンドを結成する。 |
| このバンドは日本では「第二期ジェフ・ベック・グループ」とも呼ばれている。 |
| このグループはベースにクライヴ・チェイマン、キーボードにマックス・ミドルトン、ドラマーにコージー・パウエル、ヴォーカルにボブ・テンチというメンバーであった。 |
| このバンドはジャズやモータウンといったブラック・ミュージックからの影響を大きく受けており、それまでのブルース路線とは異なるものだった。 |
| 1971年に『ラフ・アンド・レディ』、翌年『ジェフ・ベック・グループ』を発表し、その活動も好調に行われたものの、ジェフは再びカクタスで活動していたティム・ボガートおよびカーマイン・アピスと接触。 |
| 8月のアメリカ・ツアーで突如メンバーを変更して、第二期ジェフ・ベック・グループは空中分解してしまう。 |
| バンドに残ったボガートとアピスに加えヴォーカリストとしてポール・ロジャース招聘を図るもこれは失敗し、結局ベック・ボガート・アンド・アピスとして活動することとなる。 |
| ベック・ボガート・アンド・アピスは二枚のアルバムを残し、1974年にはジェフとティムの対立から自然消滅する。 |
| なお、1974年4月のパリ公演後にディープ・パープルを脱退(公式発表は6月)したリッチー・ブラックモアの後釜として候補に挙がっているが、実際にはオーディションに至らなかったと言う経緯があるシンコーミュージック刊リッチー・ブラックモア・狂気の雷舞(酒井康著0073-61042-3129)より。 |
フュージョン期
| 翌1975年、ビートルズのレコーディングプロデューサーでもあったジョージ・マーティンをプロデューサーに迎え、当時流行していたフュージョン色の濃い初のインストゥルメンタルアルバム『ブロウ・バイ・ブロウ』を発表。 |
| このアルバムはセールス面でも成功し、インストゥルメンタルアルバムにもかかわらずアメリカでゴールドディスクを獲得している。 |
| 『ブロウ・バイ・ブロウ』発表の1年後、ナラダ・マイケル・ウォルデン(ドラム)やヤン・ハマー(キーボード)らを起用し、またしても全編インストゥルメンタルの『ワイアード』を発表。 |
| ジャズ・ロック的な要素を全面に出したアルバムとなった。 |
| 1980年代に入ると、同じくヤードバーズ出身のジミー・ペイジ、エリック・クラプトンと共に、A.R.M.Sコンサートに参加し、三人が共演。 |
| エリックと共に、シークレットポリスマン・コンサートで共演。 |
| アルバム、「ハニードリッパーズ(TheHoneydrippers)」に参加し、ジミー・ペイジ、ロバート・プラントと共演した。 |
| 1985年にアルバム『フラッシュ』をリリースする。 |
| このアルバムではそれまでのスタイルから転換を図り、ナイル・ロジャースやアーサー・ベイカーをプロデューサーに迎え、ヴォーカル入りの曲を主体にして制作したアルバムである。 |
| 収録曲「エスケープ」がグラミー賞の最優秀ロック・インストゥルメンタル賞を受賞し、また、「ピープル・ゲット・レディ」での旧友ロッド・スチュワートとの共演がMTV等で話題になった。 |
エレクトロニカ、テクノロックサウンドに接近
| 1989年のアルバム『ギター・ショップ』は、グラミー賞の最優秀ロック・インストゥルメンタル賞を受賞。 |
| その後は、ビッグ・タウン・プレイボーイズとのコラボレーション作『クレイジー・レッグス』の発表や、「フランキーズ・ハウス」のサウンドトラック制作、セッション・プレイヤーとしての活動はあったものの、オリジナル・アルバムはしばらく発表しなかった。 |
| そして、10年の間隔を経て1999年に『フー・エルス!』をリリース。 |
| サイドギターにジェニファー・バトゥンを起用し、打ち込みを多用したテクノサウンドがメインのアルバムとなった。 |
| 『フー・エルス!』のリリースの1年後、テクノロック路線をさらに押し進めた『ユー・ハド・イット・カミング』をリリース。 |
| 来日時に久米宏がメインキャスターであったニュースステーションにも生出演し、「ナディア」(オリジナルはニティン・ソウニー)を演奏している(ただし演奏は本番前に収録したものであった)。 |
| さらに2003年、自身の名前を冠した『ジェフ』をリリース。 |
| プロツールスを使用した大胆なドラムンベースを大幅に導入したアルバムとなった。 |
| 2003年には9月にロイヤル・アルバート・ホールでのデビュー40周年記念コンサートを行う。 |
| 2006年は世界ツアーを行い、日本ではウドー・ミュージック・フェスティバルに参加。 |
| 2009年には、同じステージの様子を収録したDVD原題=PerformingThisWeek:LiveatRonnieScott's/邦題=ライヴ・アット・ロニー・スコッツ・クラヴも発売された。 |
ギター
| ヤードバーズの在籍時及びその加入以前はフェンダーのテレキャスターやエスクワイヤーを使用している。 |
| ジェフ・ベック・グループではギブソン・レスポールスタンダードが使用ギターに加わり、第2期ジェフ・ベック・グループの頃はフェンダー・ストラトキャスターも使用している。 |
| BBAからアルバム『ブロウ・バイ・ブロウ』の頃までは1954年製のギブソン・レスポール“オックスブラッド”このレスポールを再現したカスタムショップ製シグネイチャー・モデルが販売されている。 |
| を主に使用していたが、同時に他のギターも並行して使っている(1975年8月に日本で開催されたワールド・ロック・フェスティバルではオープニングでストラトキャスターを使い、途中でレスポールに持ち代えている)。 |
| 「哀しみの恋人達」では、セイモア・ダンカンが組んだ、ギブソンのハンバッカー・ピックアップを2基搭載したテレキャスター(通称「テレギブ)を使用していた。 |
| また1980年の来日公演でのパンフレットにはローランドのGRギターシンセサイザーを使っている写真が掲載されている。 |
| 近年は自分用にモディファイされたストラトキャスターをメインで使っており、2007年のステージを収録したビデオソフトではストラトキャスター主体で演奏している事が確認出来る。 |
| シグネイチャーモデルは2001年にアップデートされ、ピックアップがレースセンサーからベックモデル専用のカスタムワインドのセラミックノイズレス(ホット・ノイズレス)に、また、ストラトの歴史上もっとも太いといわれたネックがそれより薄い物に変更された。 |
アンプ/エフェクター
| 第1期ジェフ・ベック・グループではテレキャスターにマーシャル200ワットアンプと4つのスピーカー・キャビネットを組み合わせている。 |
| 第2期ジェフ・ベック・グループのShortBusinessやRainesParkBluesなどではレスリースピーカーを使用してドップラー効果を得るといった試みがなされている。 |
| 特定の曲での使用例では、ライヴ・ワイアーに収録されたシーズ・ア・ウーマンやフル・ムーン・ブギーなどでトーキング・モジュレーターが使用されている。 |
| 以前はプロコの「RAT」(ディストーション)を使っていたが、現在はハンドメイドのオーバードライブペダルを使用している。 |
奏法
| フレージングはブルースやロックンロールを元にしたペンタトニック・スケールが基本になっている。 |
| 1980年代以降は、フィンガー・ピッキングに移行する。 |
| アルバムでは1985年の「フラッシュ」以降になるが、1983年のアームズ・コンサート(ARMSCharityConcert)を収録したビデオ映像でも既にピックを使っていない1986年来日公演パンフレットの記述(諏訪洋二による解説)より。 |
| その理由は、インタビューによると「1枚のピックより、5本の指を使った方が上手く弾け、いい音が出せる」というコメントもあるし、「70年代、僕はかなり酔っぱらっている事が多くなって、ピックを落とすようになり、最後には自分の指だけで演奏するようになった。 |
| ピックを使う場合はオルタネイト・ピッキングを主体としているが、その場合でも中指や薬指でのフィンガーピッキングを加える事がある。 |
| トレモロアームを多用する演奏スタイルであり(ストラトキャスターを使う一番の理由はトレモロアームがあるから、とベック自身が述べている)、右手でアームを包み込むような状態のまま演奏することが多い。 |
ディスコグラフィ
| 『トゥルース』-''TRUTH(1968)''。 |
| 『ベック・オラ』-''(Cosa-Nostra)BECK-OLA(1969)''。 |
| 『ラフ・アンド・レディ』-''ROUGHANDREADY(1971)''。 |
| 『ジェフ・ベック・グループ』-''JEFFBECKGROUP(1972)''。 |
| 『ベック・ボガート・アンド・アピス』-''BECK,BOGERT&APPICE(1973)''。 |
| 『ブロウ・バイ・ブロウ』-''BLOWBYBLOW(1975)''。 |
| 『ワイアード』-''WIRED(1976)''。 |
| 『フラッシュ』-''Flash(1985)''。 |
| 『ギター・ショップ』-''JeffBeck'sGuitarShopWithTerryBozzioAndTonyHymas(1989)''。 |
| 『ジェフ』-''Jeff(2003)''。 |
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1944年
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ロンドン南方のウォリントンで中流家庭に生ま... |
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1962年
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エプソム・アート・スクールに通っていた姉か... |
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