| 1970年3月、当時「ジェームス・ブラウン・オーケストラTheJamesBrownOrchestra」と呼ばれていたバック・バンドに大幅なメンバーチェンジがあった。 |
| メイシオ・パーカー(テナーサックス)をはじめとするメンバーのほぼ全員が脱退した。 |
| それに伴い、ブーツィー・コリンズ(ベース)らを中心とする新しいバンドが迎え入れられる。 |
| 彼らは「JBズTheJ.B.'s」と名付けられ、その名義でのリリースも行うようになった。 |
| この時期のザJBズの主要なメンバーは次の通りである。 |
| ダリル・ジャミソン(Darryl'Hasaan'Jamison)-トランペット。 |
| クレイトン・ガネルズ(Crayton'Chicken'Gunnels)-トランペット。 |
| フレッド・ウェスリー(FredWesley)-トロンボーン。 |
| ロバート・マックロー(RobertMcClaugh)-テナーサックス。 |
| クレア・ピクニー(St.ClairPickney)-テナーサックス。 |
| フェルプス・コリンズ(Phelps'Catfish'Collins)-ギター。 |
| ハーロン・マーティン(Harlon'Cheese'Martin)-ギター。 |
| ウィリアム・コリンズ(William'Bootsy'Collins)-ベース。 |
| ジョニー・グリッグス(JonnyGriggs)-パーカッション。 |
| フランク・ワディー(FrankWaddy)-ドラム。 |
| クライド・スタブルフィールド(ClydeStubblefield)-ドラム。 |
| ドン・フアン・マーティン(DonJuan'Tiger'Martin)-ドラム。 |
| ビッキー・アンダーソン(VickiAnderson)-ボーカル。 |
| ダニー・レイ(DannyRay)-MC。 |
| 1970年の末からは、フレッド・ウェスリーが音楽監督となった。 |
| フレッド・ウェスリーが75年に脱退するまでの4〜5年間は、「ファンク完成期」とでも言うべき時期であり、ブラウンの何度目かの黄金期である。 |
| 1971年から75年までの主要メンバーは次の通り。 |
| ジェローム・サンフォード(Jerome'Jasaan'Sanford)-トランペット。 |
| ダリル・ジャミソン(Darryl'Hasaan'Jamison)-トランペット。 |
| アイク・オークレー(IkeOakley)-トランペット。 |
| フレッド・ウェスリーFredWesley-トロンボーン/音楽監督。 |
| ジミー・パーカー(JimmyParker)-アルト・サックス。 |
| メイシオ・パーカー(MaceoParker)-アルト・サックス ※1973年頃再加入。 |
| セント・クレア・ピンクニー(St.ClairPickney)-テナー・サックス。 |
| エルディー・ウィリアムス(EldeeWilliams)-テナー・サックス。 |
| スウィート・チャールズ・シェレル-キーボードおよびベース。 |
| ジミー・ノーラン(JimmyNolen)-ギター ※1972年頃再加入。 |
| ハーロン・マーチン(Harlon'Cheese'Martin)-ギター。 |
| ロバート・コールマン(RobertColeman)-ギター ※1971〜2年頃脱退。 |
| フレッド・トーマス(FredThomas)-ベース。 |
| ジョニー・グリッグス(JonnyGriggs)-パーカッション。 |
| ジョン・スタークス(John'Jabo'Starks)-第一ドラマー。 |
| ジョン・モーガン(JohnMorgan)-第二ドラマー。 |
| マーサ・ハーヴィン(Martha'High'Harvin)-バックボーカル。 |
| ダニー・レイ(DannyRay)-MC。 |
| ボビー・バード(BobbyByrd)-フィーチャー・ボーカル またはオルガン。 |
| リン・コリンズ(LynnCollins)-フィーチャー・ボーカル。 |
| 1974年には、ブラウンはアフリカで公演している。 |
| アフリカのザイール(現コンゴ民主共和国)の首都のキンシャサで、ボクシング世界ヘビー級タイトルマッチが行われた。 |
| 挑戦者モハメド・アリと王者ジョージ・フォアマンが対戦し、「世紀の一戦」「キンシャサの奇跡」と謳われた。 |
| この試合をプロモートしたドン・キングが同時に開催したアフリカのウッドストックと宣伝された音楽フェスティバルに、ブラウンが出演した。 |
| この模様は、映画「モハメド・アリかけがえのない日々」や映画「SOULPOWER」で観ることができる。 |
| その後、1977年頃からに起こった「ディスコ・ブーム」とともに、ブラウンは皮肉にも、その起源のひとりであるにも関わらず、時代にそぐわないアーティストと見なされるようになった。 |
| 1976年の『''GetUpOffaThatThing''』や77年の『''Bodyheat''』などのヒットもあるが、70年代後半はブラウンのセールスは低調で冬の時代である。 |