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プロフィール
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ジェイムズ・ハリントン(またはrが1つのHarington)(1611年1月3日-1677年9月11日)はイングランドの古典的共和主義思想の政治哲学者。1656年に著した共和国論『オセアナ』が有名。
生涯
| ジェイムズ・ハリントンは1611年、父サプコテス・ハリントン(Sapcote(s)Harrington)と母ジェーン(JaneSamwellorSamuell)の子として生まれた。 |
| 1615年に死んだ初代エクストンのハリントン卿は大伯父にあたる。 |
| 1629年、彼はオックスフォードのトリニティ・カレッジに特別自費生(gentlemancommoner)として入学。 |
| 在学中の1629年に父が死去しており、2年後に学位をとらずに退学した。 |
| ハリントンは死んだ父の遺産でヨーロッパ大陸へと渡った。 |
| 彼は一時ドイツ義勇軍に入り、その後オランダ、デンマーク、ドイツ、フランス、イタリアへと旅を続けた。 |
| 旅の際、教皇の足への口づけを拒んだり、ヴェネツィアへの旅の際にイタリア共和主義の知識を得たりしていたと言われる。 |
| ハリントンは1636年頃にイングランドへと戻り、国王チャールズ1世の供をして1639年からのスコットランド攻略、すなわち主教戦争に加わった。 |
| この戦争は失敗に終わり、それが元で国王は議会と対立、イングランド内戦が起こる。 |
| その結果国王は議会に囚われ、イングランド北部のニューカッスル・アポン・タインに拘束されたが、ハリントンの強引な手法でロンドン近くのホールディンビー・ハウスに移された。 |
| ハリントンは1647年5月に王室執事となった。 |
| しかし1648年に国王は再び議会派に捕まり、翌1649年に処刑された。 |
| 250px|thumb|left|1737年に再出版された『オセアナ』の表紙。 |
| 国王チャールズの死後、ハリントンは共和国論『オセアナ』の執筆に没頭する。 |
| この作品は一度は護国卿となっていたオリバー・クロムウェルに没収されたが、クロムウェルの娘クレイポア夫人のとりなしで返却され、1656年にクロムウェルに捧げる形で出版されたPocockwritesthatthisexplanationofCromwelliancensorship"hastheauthorityoffamilytradition,butisnotespeciallyconvincing."Morecredible,hefinds,isthat''Oceana''criticizestheProtectorate'smaintenanceofa''standingarmy''(inordertoholdpower),aconceptclearlydenouncedin''Oceana''andotherEnglishrepublicantractsofthetime,infavoroflocallycontrolledregiments(militia).Pocock,"Intro",8-9.。 |
| 『オセアナ』には、執政官と議員を無記名投票・任期制で選ぶよう述べられており、オリバー・クロムウェル死後ハリントンらはロータ・クラブと呼ばれる組織を作ってこれを実現するよう運動したが、成功はしなかったtheRotabeing"aselectdebatingsociety"whichconducted"highqualitydiscussions"where"proposalswereformallyvotedon"bymembersof"salience",whichmayhaveincludedSamuelPepys.Höpfl,''ODNB'',p.388.。 |
| オリバー・クロムウェルの死後、共和制は短期間で終わり、1660年にチャールズ2世が王位に就いて王政復古となる。 |
| 1661年12月28日、ハリントンは逮捕され、まともな裁判も無いままにロンドン塔に幽閉される。 |
| これを不当としてハリントンの姉妹らはヘイビアス・コーパス(保護令状)を出すが効果なく、プリマス沿岸のセントニコラス島に移された。 |
| しばらくしてハリントンは親戚から援助された5000ポンドの保釈金で釈放される。 |
| 1675年、ハリントンはバッキンガムシャーの貴族の娘と結婚するが、子が無いままその2年後の1677年に死去、ウェストミンスターの聖マーガレット教会に埋葬された。 |
参考文献
| H.M.Höpfl,"Harrington,James",''OxfordDictionaryofNationalBiography'',vol.25,eds.H.C.G.Matthew;BrianHarrison(Oxford:2004),386-391.citedas'Höpfl,''ODNB'''.。 |
| J.G.A.Pocock,"EditorialandHistoricalIntroductions",''ThePoliticalWorksofJamesHarrington''(Cambridge:1977),xi-xviii;1-152. |
Further reading
| Blitzer,Charles.''AnImmortalCommonwealth:thePoliticalThoughtofJamesHarrington''(Hamden,Conn.:ArchonBooks,1970;1960); |
| Cotton,James.''JamesHarrington'sPoliticalThoughtanditsContext''(NewYork:GarlandPub.,1991); |
| Dickinson,W.Calvin.''JamesHarrington'sRepublic''(Washington,DC:UniversityPressofAmerica,1983); |
| Downs,Michael.''JamesHarrington''(Boston:TwaynePubs.,1977); |
| Pocock,J.G.A."Interregnum:the''Oceana''ofJamesHarrington",chapter6inPocock,''TheAncientConstitutionandtheFeudalLaw:aStudyofEnglishHistoricalThoughtintheSeventeenthCentury,areissuewitharetrospect''(Cambridge:1987;1957); |
| Pocock,TheWorkofJ.G.A.Pocock:''Harringtonsection''.。 |
| Russell-Smith,HughFrancis.''HarringtonandhisOceana;astoryofa17thcenturyUtopiaanditsinfluenceinAmerica''(NewYork:OctagonBooks,1971); |
| Scott,Jonathan."TheRaptureofMotion:JamesHarrington'sRepublicanism",inNicholasPhillipson;QuentinSkinner,eds.''PoliticalDiscourseinEarlyModernBritain''(Cambridge:1993),139-163; |
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父サプコテス・ハリントン(Sapcote(s) Harrin... |
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彼はオックスフォードのトリニティ・カレッジ... |
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