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つながりの強いひと
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プロフィール
- ジョン・シピンとは
- 引退後
- エピソード
- 年度別打撃成績
- 表彰
- 記録
- 背番号
- 関連項目
ジョン・シピン(JohnWhiteSipin、1946年8月29日-)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ワトソンヴィル出身の元プロ野球選手(内野手)。
引退後
| カリフォルニア州サンタクララで、バッティングセンターを経営する小川勝『プロ野球助っ人三国志』毎日新聞社、1994年、ISBN4620310069。 |
エピソード
| 初めて日本に来たには、いつまで待っても来日せず、日本に来たのはキャンプ直前。 |
| その時の格好は長髪でヒッピーの様な服、釣り竿を持ってやってきたという。 |
| 翌日キャンプに行き、代打として出場したが、結果はぶざまな三振。 |
| それを見た福島良一は呆気にとられたという。 |
| 遊撃手の米田慶三郎(後に山下大輔)との二遊間は、当時リーグでも屈指の併殺率を誇った。 |
| 特に送球の速さは抜きん出ており、一塁手の松原誠は、あまりにシピンの速球が速いため左手がしびれてしまい、捕球するのを嫌がったといわれている。 |
| ファッションに独特の哲学を持っていたようで、鬚に加え、サイケデリックな私服で球場入りしたり、ヘルメットを被って二塁の守備についたりと、「派手で奔放な野生児」というイメージがあった。 |
| しかし巨人に移籍してからは「紳士たれ」の教えによって没個性なファッションに変えられてしまったのだが、凶暴性が顔をのぞかせてしまったようで、実際移籍したには2度も死球に怒ってマウンドに突進して投じた投手(大洋の門田富昭とヤクルトの鈴木康二朗)を殴って退場を宣せられたほどだ(大洋時代にも退場経験はあるが暴力がらみではなく、田中俊幸セ・リーグ審判の判定に激怒してホームベースに砂をかけたことによる。 |
| なお、鈴木投手を殴った時はそのあと逆に大杉勝男に殴られ返されてしまった。 |
| 大洋時代は監督命令でも無視するため厄介者扱いされていたがクリート・ボイヤーには逆らわず彼の命令には「イエス・サー」と答えていたという。 |
| しかしボイヤーが退団した翌年=には完全に厄介者扱いされこれが巨人移籍の原因になったという。 |
| 大洋時代は長嶋茂雄のことを「ナギー」や「シギィ」と親しみを主とした愛称で呼んでいたが、巨人に移籍してからは長嶋監督のことを「ミスター・ナガシマ」と、距離をおいた尊敬の念を持って呼んでいた。 |
| 大洋在籍時には巨人の小川邦和に独持のアンダースローで抑えられ、小川は"シピン殺し"と呼ばれた。 |
| がんばれ!!タブチくん!!のヤスダから「さすがジャイアンツじゃのう。 |
| シビンを持って試合かあー。 |
| 」と突っ込みを入れられたことがある。 |
表彰
| ベストナイン:2回(1972年、1973年)。 |
| ダイヤモンドグラブ賞:2回(1972年、1973年)。 |
| 月間MVP:1回(1975年7月)。 |
記録
| オールスターゲーム出場:5回(1972年-1974年、1977年、1979年)。 |
| 1000試合出場:1980年6月11日(217人目)。 |
背番号
| 37(1969年)。 |
| 2(1969年)。 |
| 38(1972年-同年途中)一旦38番で登録されたが、高橋重行投手が米マイナーリーグに野球留学して登録から外れ、空き番となっていた11番に変更した。 |
| 高橋は大洋に復帰した翌1973年から33番となった。 |
| 11(1972年途中-1980年)巨人移籍に際しては、「11」をつけていた当時新人の角三男(現・盈男)から譲ってもらう形で大洋時代から愛用の番号を背負った。 |
関連項目
| カリフォルニア州出身の人物一覧。 |
| 読売ジャイアンツの選手一覧。 |
| 読売ジャイアンツ歴代4番打者一覧。 |
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1946年
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ジョン・シピン(John White Sipin、 )は、... |
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1969年
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2対2のトレードでサンディエゴ・パドレスに移... |
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