| バニヤンは「天路歴程」を二部構成で書き、第一部は1678年に、第二部は1684年にロンドンで出版された。 |
| 執筆は1回目の収監のときに始め、恐らく2回目のときに終わったと考えられている。 |
| 二部が一巻に合わさっている本の初版は1728年に発行された。 |
| 誤ってバニヤンの作とされた第三部が1693年に発行され、1852年に再版された。 |
| この第三部の題名は''ThePilgrim'sProgressfromThisWorldtoThatWhichIstoCome''と言った。 |
| 「天路歴程」は史上最もよく知られた寓話であり、非常に多くの言語に翻訳された。 |
| プロテスタント伝道団は聖書に次ぎ最優先で天路歴程を翻訳するのが普通だった。 |
| これ以外のバニヤンの二つの成功作は、比較的知られていない。 |
| 架空の伝記''TheLifeandDeathofMr.Badman''(1680年)と、寓話''TheHolyWar''(1682年)である。 |
| バニヤンの内面を明らかにした三番目の本が''GraceAboundingtothechiefofsinners''である。 |
| これは非常に冗長で、バニヤン自身の全てが記されているが、彼がこれを書いた動機がキリスト教の赦しの概念を分かりやすいように賛美し、彼自身のような経験をした人たちを慰めることであったことを除けば、耐えられないほど独善的に感じられる。 |
| 上記の作品は数多くの版を重ね、誰もが読めるようになっている。 |
| 例えば大英博物館やニューヨーク公立図書館には、ジェームズ・レノックスが収集した天路歴程のさまざまな版が納められている。 |
| バニヤンの著作のほとんどが説教を発展させたものであったにも関わらず、彼は多作の作家となったばかりでなく、人気のある伝道師になった。 |
| 神学的には彼は清教徒であったが、彼には陰気なところが少しも無かった。 |
| 友人だったロバート・ホワイトが描いた肖像画では、バニヤンの本当の性格の魅力が表れている。 |
| バニヤンは背が高く、赤毛で、高い鼻、大きい口、そして輝く目を持っていた。 |
| 彼には英語の聖書以外の学問が無かったが、あらゆる聖典を知っていた。 |
| また彼は1575年に翻訳されたマルチン・ルターの''CommentaryontheEpistletotheGalatians''にも影響を受けた。 |
| バニヤンが牢獄から釈放される少し前、彼はキッフィン、ダンバーズ、デューン、ポール他と論争を起こしている。 |
| 1673年、彼は''DifferencesinJudgementaboutWater-BaptismnoBartoCommunion''を著した。 |
| ここで、''キリストの教会''は明らかに聖者であると露見したキリスト教徒、彼自身の神の光に従って歩くキリスト教徒を信仰会派に入れない保証を持たない、という前提を取った。 |
| 彼は「水を使った洗礼を神の慣行とする」ことは認めたが、それを偶像化することは認めなかった。 |
| それは、洗礼が無いことを理由に本当のキリスト教徒として認めた人を除名する原因になると考えたからだった。 |
| キッフィンとポールは、''SeriousReflections''で回答を発表した。 |
| そこでは、聖餐は洗礼を受けた信者に限ることに賛成の立場を取っており、ヘンリー・ダンバーズの著書''Treatiseofbaptism''(1673、1674年)で彼の承認を得た。 |
| この討論は、カルバン派バプテストに、洗礼を受けていない信者を含む会派についての疑問を未解決のまま残す結果となった。 |
| バニヤンの教会は幼児洗礼者を組合員として認めており、最終的に幼児洗礼主義(会衆主義)となった。 |
| バニヤンは、おそらく英語の本で最も広く読まれ、聖書以外のいかなる本よりも多くの言語に翻訳されていた「天路歴程」を書いたという名声を得ている。 |
| 幅広く人の心に訴えるこの作品の魅力は、優しさの感触、趣きあるユーモア、心動かす力強い言葉遣いのほとばしり、そして英語に特有の表現を駆使して、筆者の強力な想像力が登場人物、事件そして場面を、まるで読者が知っている現実そっくりに作り上げる、物語の面白さにある。 |
| マコーリーは次のように評している:。 |
| 「読者はみなあの広い通り、狭い通り、そして百回行き来した道を知っている」。 |
| 「17世紀後半のイングランドではきわめて優れた想像力を持つ心には二種類しかいなかった。 |
| 一つは失楽園を作り出す心、もう一つは天路歴程を作り出す心である。 |
| バニヤンは60冊の本と小冊子を書いたが、その中で''GraceAbounding''は現在の自叙伝で最も興味深い作品の一つであるが、知名度の点では''theHolyWar''が天路歴程に次ぐ。 |
| 日本の天皇の1946年1月1日の詔書(人間宣言)に「我国民ハ動(やや)モスレバ焦躁ニ流レ、失意ノ淵ニ沈淪セントスルノ傾キアリ」とある。 |
| これは英文で起草した幣原喜重郎首相が「theSloughofDespond」と書いたものを日本語訳したもので、『天路歴程』の第一部の一節を踏まえた表現であった。 |