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つながりの強いひと
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オスカー・モルゲンシュテルン
ドイツ生まれの経済学者。ジョン・フォン・ノイマンと共にゲーム理論の創始者。日本ゲーム理論の父である鈴木光男の師。ゲルリッツに生まれる。母はドイツ帝... |
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アラン・チューリング
アラン・チューリング(AlanMathisonTuring,1912年6月23日-1954年6月7日)はイギリスの数学者。 |
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銀林 浩(ギンバヤシ コウ) 1927年、東京に生まれる。東京大学理学部数学科を卒業。明治大学教授を経て、同大学名誉教授。専門は代数学・整数論・経営数学・... |
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ENIACの主要開発者の一人。ジョンズ・ホプキンス大学卒。物理学博士。1930年代からコンピュータを構想し、多くの試作機を製作していた。1941年、ペンシルベニ... |
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ENIACの主要開発者の一人。ペンシルベニア大学卒。1941年、大学院生だった頃、ジョン・モークリーと出会い、1944年〜1946年にENIACプロジェクトに主任技師と... |
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ナイマン・ヤーノシュ
別名: ジョン・フォン・ノイマン ,ナイマン・ヤーノシュ
【英】 John von Neumann , Margittai Neumann Janos Lajos フォン・ノイマン とは、 ハンガリー ... |
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井上健
日本の比較文学者、東京大学総合文化研究科教授、日本比較文学会会長。 |
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ノーバート・ウィーナー
ノーバート・ウィーナー(NorbertWiener,1894年11月26日-1964年3月18日)はアメリカ合衆国の数学者。ミズーリ州コロンビア生まれ。サイバネティックスの創設... |
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天才数学者
■NUMBERS ~天才数学者の事件ファイル
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ロバート・オッペンハイマー
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モーリス・ウィルクス
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クロード・エルウッド・シャノン(ClaudeElwoodShannon、1916年4月30日-2001年2月24日)はアメリカの電気工学者、数学者。20世紀科学史における、最も影響を... |
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エドワード・テラー
対立
ハンガリー生まれでアメリカに亡命したユダヤ人核物理学者である。アメリカの「水爆の父」として知られる。ローレンス・リバモア国立研究所は彼の提案によっ... |
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プロフィール
- ジョン・フォン・ノイマンとは
- 来歴
- 数学
- 物理学
- 気象学
- 経済学
- 計算機科学
- 核兵器開発への加担
- 晩年
- 逸話
- 邦訳
- 関連項目
ジョン・フォン・ノイマン(ハンガリー名 ナイマン・ヤーノシュ、ドイツ名ヨハネス・ルートヴィヒ・フォン・ノイマン)(JohnvonNeumann(MargittaiNeumannJánosLajos,JohannesLudwigvonNeumann),1903年12月28日-1957年2月8日)はハンガリーの数学者。20世紀科学史における最重要人物の一人。数学・物理学・工学・経済学・計算機科学・気象学・心理学・政治学に影響を与えた。第二次世界大戦中の原子爆弾開発や、その後の核政策への関与でも知られる。最初に結婚したクヴェシュ・マリエッタの娘マリーナ・フォン・ノイマン・ホイットマンは、1973年からピッツバーグ大学経済学部教授だった。197 ...
来歴
| 1903年 ブダペストにて3人兄弟の長男として生まれた。 |
| 父は銀行の弁護士マックス・ノイマン、母はマーガレット・カンで、ともにハンガリーに移住したユダヤ系ドイツ人だった。 |
| 幼い頃より暗算と語学の才能を見せた。 |
| 英才教育も受け、能力を伸ばす。 |
| 6歳で8桁の割り算を行い(後に入学するギムナジウムの先生が父に「この子は数学の才能があるので、大学では数学を教えてもらうように」と話したという)ギリシャ語を話せた。 |
| 8歳で微分積分をものにした。 |
| 興味は数学にとどまらず、家の図書室にあった44巻本の歴史書を読了した。 |
| 好んで読んだもの、特に世界史やゲーテの小説などに関しては一字一句間違えず暗唱できた。 |
| 長じてからも数学書や歴史書を好み、車を運転しながら読書することもあったという。 |
| ノーベル物理学賞受賞者ユージン・ウィグナーとは中学・高校で顔見知りだったという。 |
| 1913年 父親が貴族の称号をお金で購入した(オーストリアのユンカーに相当する位)。 |
| この段階で「ヤーノシュ・ノイマン」は「ヤーノシュ・フォン・ノイマン」になり、さらにドイツ語のヨハン・フォン・ノイマン''JohannvonNeumann''に変わることになる。 |
| 1914年 ブダペストにあるルーテル・ギムナジウムへ入学。 |
| 1921年 ギムナジウムを首席で卒業。 |
| ブダペスト大学(EötvösLorándTudományegyetem)の大学院で数学を学ぶ。 |
| 数学よりも金になる学問をつけさせようと望んだ父親がセオドア・フォン・カルマンに相談した結果、ベルリン大学とチューリッヒ工科大学を掛け持ちして化学工学を学ぶことになった。 |
| 授業を欠席しても試験では非常に優秀な成績だった。 |
| 23歳で数学(実験物理・化学も同時に)博士号を授与された。 |
| 1926年 論文がダフィット・ヒルベルトに甚く気に入られ、ゲッティンゲン大学でヒルベルトに師事する。 |
| ヒルベルトも彼に感心するばかりで、瞬く間にヒルベルト数学の旗手となった。 |
| 1927年から1930年 最年少でベルリン大学の私講師(''Privatdozent'')を務めた。 |
| 1930年代はナチス政権を嫌い、ノイマン一家はアメリカ合衆国に移住することになり、ジョンというアメリカ風の名前に改名した。 |
| 奇妙なことに兄弟は皆異なった姓の表記に変え、ヤーノシュは、フォン・ノイマンvonNeumannという貴族風の匂いが強く残る苗字に、彼の兄弟たちはVonneumannとニューマンNewmanにした。 |
| 1930年 プリンストンに招かれ、プリンストン高等研究所の最年少会員に選ばれ(4人のメンバーのうち2人はアルベルト・アインシュタインとクルト・ゲーデルであった)、1933年以降この研究所で数学の教授を務めた。 |
| 1931年 ゲーデルが不完全性定理を証明し、転機を迎える。 |
| この証明はノイマンの活動を広げることに繋った。 |
数学
| 純粋数学では、数学基礎論、集合論や測度論、作用素環論、エルゴード理論、またゲーム理論の成立に貢献している。 |
| 特にミニマックス定理の証明は数学の分野だけでなく、企業経営における戦略の理論や、軍事戦略の基礎理論、ゼロサムゲームにおける戦略(将棋やチェスなどのコンピュータプログラムを含む)などに指針を与え社会に大きな影響を与えた。 |
| 数学基礎論ではゲーデルとは別に、第二不完全性定理を発見している。 |
| 公理的集合論の正則性公理を提唱した。 |
物理学
| 物理では量子力学の数学的基礎付けを行っている。 |
| 量子力学の解釈の中で現在主流のコペンハーゲン解釈は、ノイマンの考えが最も大きな影響を及ぼした。 |
| 彼は量子力学の波動関数の収縮という現象を、量子力学の数学的枠組みで説明することができないことを証明した。 |
経済学
| フォン・ノイマン多部門成長モデルによる経済成長理論への貢献、。 |
| 生産集合・再生産の生産システム概念の導入、。 |
| ブラウワーの不動点定理を使い均衡の存在を証明。 |
| 経済学でのもっとも大きな貢献として、オスカー・モルゲンシュテルンと共に経済学にゲーム理論を持ち込んだ。 |
| この応用をもってゲーム理論の本格的な幕開けとされ、現在経済学ではミクロ、マクロと並ぶ重要な分野として確立している。 |
計算機科学
| EDVAC開発に参加した際、ストアードプログラム方式に関する論文を自分名義で発表したため、ストアードプログラム方式の考案者であると言われていた。 |
| その方式は「ノイマン型コンピュータ」とも言われ、現在のほとんどのコンピュータの動作原理である。 |
| アラン・チューリング、クロード・シャノンらとともに、現在のコンピュータの基礎を築いた功績者とされているが、実際にはEDVAC開発チームのジョン・エッカートとジョン・モークリーが発想した方式をまとめ、数学的基礎を与えたと言われている。 |
| セル・オートマトンの分野を自ら創出し、(当時はろくにコンピュータも無かったにもかかわらず)実に方眼紙とペンだけで、自己増殖の事例を構築してみせた。 |
| ユニバーサル・コンストラクタの概念は彼の死後、「自己増殖オートマトンの理論」''TheoryofSelfReproducingAutomata''として肉付けされることになった。 |
| 「フォン・ノイマン・マシン」という表現が使われることがあるが、この表現は「ノイマン型コンピュータ」のアーキテクチャのことを指すだけでなく、この「自己増殖マシン」のことも指すことがある。 |
| この自己増殖マシンを使用すれば、例えば月全体を探索するというような大規模探索の課題は、指数級数的な増加の利点を活かして、最も効率的に行うことができることを示してみせた。 |
| アルゴリズムの研究にも貢献。 |
| ドナルド・クヌースは、彼が有名な「マージソート」アルゴリズム(ソーティングのアルゴリズム)の発明者であると指摘している。 |
| クヌースは数値流体力学の分野にも挑戦したことも指摘している。 |
| R.D.Ritchmyerとともに、"人工粘性"''artificialviscosity''を決定するアルゴリズムを開発し、その成果により人類の衝撃波についての理解が進歩することになった。 |
| その後の天体物理学の分野の進歩や、高度なジェットエンジンやロケットエンジンの開発に、この研究は大いに貢献している。 |
| 流体力学、空気力学の問題をコンピュータで計算する時には、計算すべき格子点(グリッド)が多くなりすぎるという問題があるのだが、この"人工粘性"という数学的な道具を用いることで、基本的な物理学特性を損なわずに、衝撃の伝播をコンピュータで計算しやすい形で表現することができるようになったのである。 |
| 人工知能の父のジョン・マッカーシーとマービン・ミンスキーにも論文指導やアドバイスを行い、大きな影響も与えている。 |
核兵器開発への加担
| (「原子爆弾」、「広島市への原子爆弾投下」、「長崎市への原子爆弾投下」の項も参照のこと)。 |
| 1937年にアメリカに移住してほどなく応用数学を研究し始め、ドイツとの戦争に数値解析が必要と考えたノイマンは、アメリカ合衆国陸軍に自ら志願する。 |
| これはノイマンに化学の道を開いたカルマンが弾道研究所の責任者だったので不思議ではなかったが、不採用になった。 |
| しかしほどなくして爆発物の分野での第一人者となり、特にアメリカ合衆国海軍へのコンサルティングの仕事をした。 |
| この分野での彼の主要な結果に「大きな爆弾による被害は爆弾が地上に落ちる前に爆発したときの方が大きくなる」がある。 |
| この理論は、広島と長崎に落とされた原子爆弾にも利用された。 |
| またアメリカ合衆国による原子爆弾開発のためのマンハッタン計画に参加していた。 |
| 長崎に投下されたプルトニウム型原子爆弾ファット・マンのための爆縮レンズの開発を担当し、1940年代に爆轟波面の構造に関するZND理論を確立し、この理論を元に10ヶ月に渡る数値解析によって、爆薬を32面体に配置することによって、原子爆弾が実際に実現できることを示した。 |
| 赤狩りの際はエドワード・テラーと対立してロバート・オッペンハイマーを擁護し、ソ連のスパイだったクラウス・フックスとの共同作業で自身も非難されている。 |
| また、日本に対する原爆投下の目標地点を選定する際には「京都が日本国民にとって深い文化的意義をもっているからこそ殲滅すべき」だとして、京都への投下を進言した。 |
| このような側面を持つノイマンは、スタンリー・キューブリックによる映画『博士の異常な愛情』の登場人物のモデルの一人ともされている。 |
晩年
| 1950年代には様々な仕事を引き受け、特にアメリカ合衆国空軍へのコンサルティングが増え、1953年に発足した通称「フォン・ノイマン委員会」の答申によって合計6種の戦略ミサイルが開発された。 |
| 太平洋での核爆弾実験の観測やロスアラモス国立研究所での核兵器開発の際に放射線を浴びたことが原因となって、1955年に骨腫瘍あるいはすい臓がんと診断された(同僚のエンリコ・フェルミも1954年に骨がんで死亡している)。 |
| 癌は全身に転移。 |
| その後も精力的に活動を続け、合衆国政府の相談役として重要な役割を果たし続けていた。 |
| 原子力委員会初代委員長ルイス・ストラウスの回想によれば「あるとき国防総省がノイマンに相談することになった…移民だった彼のベッドはいまや国防長官、副長官、陸海軍の長官や参謀長達に囲まれていた」という。 |
| 1956年にウォルター・リード病院に入院。 |
| 死が間近になると、以前は信仰に熱心でなかったにもかかわらず、一度目の結婚時に改宗したカトリック教会の司祭と話すことを望んで、周囲を驚かせた。 |
| 猛烈な痛みに苦しめられながら最期を迎え、ニュージャージー州のプリンストン墓地に埋葬されている。 |
逸話
| その驚異的な計算能力と特異な思考様式、極めて広い活躍領域から「悪魔の頭脳」「火星人」「1000分の1インチの精度で噛み合う歯車を持った完璧な機械」と評された。 |
| 圧倒的な計算能力については数々の逸話が残っている。 |
| 電話帳の適当に開いたページをさっと眺めて、番号の総和を言って遊んでいた。 |
| 水爆の効率概算のためにエンリコ・フェルミは大型計算尺で、リチャード・P・ファインマンは卓上計算機で、ノイマンは天井を向いて暗算したが、ノイマンが最も速く正確な値を出した。 |
| ENIACとの計算勝負で勝ち、「俺の次に頭の良い奴ができた」と喜んだ。 |
| しかし死の直前には腫瘍が脳にまで達し、3+4という一桁の計算すらできなかった(上記「晩年」の節の記述のごとく)。 |
| トーマス・J・ワトソンと親交を結んでおり、IBMの特許取得にかかわっていた。 |
| 入院後は車椅子で救急車に乗ってまで、アメリカ原子力委員会の会合に出席したりした。 |
| ノーベル経済学賞受賞者ポール・サミュエルソンの教科書をみて「ニュートン以前の数学ではないか」と言って笑った。 |
| ノーベル経済学賞受賞者ジョン・ナッシュのナッシュ均衡に関する歴史的論文を一瞬見て「くだらない、不動点定理の応用ではないか」と貶めた。 |
| クルト・ゲーデルの次に第一不完全性定理を理解したといわれている。 |
| この分野で自分に先んじたゲーデルのことは例外的に尊敬しており、生涯高く評価し続けた。 |
| 何十年も居住している家の棚の食器の位置すら覚えられなかった他、1日前に会った人物の名前すら浮かばなかった。 |
| 政治での立場はタカ派であった。 |
| 青年期に経験したハンガリー革命、アーサー・ケストラーの『真昼の暗黒』やスターリン政権下のソビエト連邦への短い旅行などを通じて、ソ連に敵意を燃やしていた。 |
| ソ連への核攻撃を強く主張し、死後、Life誌が伝えた( |
| ハト派だったノーバート・ウィーナーとは性格から政治信条まで好対照だった為、比較に出されることが多い。 |
| ウィーナーとはサイバネティックスの分野で共同研究をしたが、結局は打ち解けなかった。 |
関連項目
| 博士の異常な愛情または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか(主人公ストレンジラブのモデルとされる)。 |
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1937年
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アメリカに移住してほどなく応用数学を研究し... |
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1950年
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「なぜ明日彼らを爆撃しないのかと言われたら... |
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ジョン・フォン・ノイマンさんについてのひとこと紹介
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