■
元々はケンブリッジには数理学部に入学しており第一作は確率論に関する論文。
■
ブルームズベリー・グループの中心人物の一人であり、彼らが起こした騒動に常に関わっていた。
■
バイセクシャルで、同じブルームズベリーの会員だったリットン・ストレイチーと愛人関係にあった。
■
後にロシア人バレリーナのリディア・ロポコワと結婚。
■
風流な遊び人としても知られていた。
■
午前中に自分の投資資産の運営を終わらせ、午後は趣味(学問・芸術・文学・政治など)に費やした。
■
死ぬ直前に残した言葉は“My only regret in life is that I did not drink more Champagne.”(人生のただ一つの後悔はシャンパンをもっと飲まなかったことだ。
■
1930年代、スターリン統治下のソ連を訪問したが、「社会主義には興味がない」と述べた。
■
アメリカに「一般理論」の入門書が最初に届いた際、右派の猛反対で発注のキャンセルが相次いだ。
■
経済学者の中でマルクスに次いで新古典派が嫌う人物とも言われている。
■
ただしケインズはマルクス主義にはまったく興味を示さなかった。
■
若いときに「資本論」を読んだ時は理解不能であったと述べている。
■
後にマルクス主義に対し、「恐ろしく非効率的である」と述べたとされる。
■
ハリー・ホワイトとともにIMFを創設したため、右翼からスパイ呼ばわりされた。
■
人間の手に異常な関心を持ち、自身と妻の手の鋳型を作り、友人達の手の鋳型も収集しようとした。
■
また、フランクリン・ルーズベルトとの初会談の際、ルーズベルトの爪の形を気にするあまり、公共事業等について自分が何を話しているのか、ほとんど上の空であったという。
■
アメリカ合州国での借款交渉より帰国した際、記者にイギリスはアメリカ合州国(当時は48州)の49番目の州になるという噂は本当かと尋ねられると、即座に「そんな幸運はないよ」と答えた。
■
第二次大戦後に保守派のチャーチルがケインズに対して「私も君の考え(平和の経済的帰結)が正しいと思っていた、しかし周りがそれを許さなかった」との発言をし、ケインズは終生チャーチルを軽蔑した。
■
弁論にも長けており、経済学者として活躍するようになったころには、その雄弁さゆえに負けることを恐れて、誰も議論をしてくれなくなった。
■
経済学者のフリードリヒ・ハイエクは後に彼に対して「彼は堕落した」と述べた。
■
ハイエクは広義の経済学界から身を引いたのは、雄弁家ケインズとの論争に敗北したからであった。