| 1928年7月、フランキー・イェールが死んだ。 |
| 彼の死はニューヨーク・マフィアの全体的なリーダーになるというマッセリアの野心の促進剤であったように見える。 |
| 同年10月、ブルックリン区を支配していたマフィアボス、サルヴァトーレ・"トト"・ダクイッラがピーター・モレロらによって殺された。 |
| ダクイッラはかかり付けの医院からの帰宅途中、3人の男に通りで声をかけられた。 |
| 会話しているうちに次第に議論が白熱化し、男のうちの1人が銃を抜いて、ダクイッラを射殺した。 |
| 以前から、ダクイッラとモレロの関係が悪化しつつあることは知られていた。 |
| おそらく原因はニューヨーク・マフィア内でのダクイッラの相談役としての地位の上昇が、モレロには我慢できなかったのだと思われる。 |
| そして、この件が元でモレロと彼のファミリーの運命も下がり始めていった。 |
| その後、ダクイッラのファミリーはマッセリアの盟友であるアル・ミネオと彼の用心棒のスティーブ・フェリーニョが引き継いだ。 |
| 1929年6月、シロ・テッラノーヴァは、フランキー・マーロウ殺害との関連について質問された。 |
| マーロウは殺害された日の夜、テッラノーヴァと共に食事をしていた。 |
| 同胞のシチリア人として、マーロウは新しく暗黒街のボスとなったジョー・マッセリアに対し敬意を表するか、あるいはマッセリアの要求に応じようとしなかった。 |
| フィリップ・マーロウはニューヨーク暗黒街の重鎮であった。 |
| だが、彼は状況の変化に気づいていなかった。 |
| 結果、マーロウはモレロらの力を見誤り、悲劇的な最期を遂げる事となった。 |
| マーロウの体の銃創は、アル・カポネのシカゴ・アウトフィットらが使っているマシンガンから発射された弾丸であった。 |
| それはフランキー・イェールや聖バレンタインデーの虐殺で使用されたものと一致していた。 |
| 使用された武器は後に聖バレンタインデーの虐殺に参加していたフレッド・"キラー"・バークを逮捕した折、当局の手に渡ることになった。 |
| 次に、マッセリアはイェールの組織の乗っ取りに動いた。 |
| そしてアンソニー・カーファーノをイェール・ファミリーのボスにした。 |
| カーファーノらはイェール運営していたギャンブルと密造酒の販売を支配した。 |
| また、港湾での恐喝行為もしていたが、港湾区域はダクイッラ・ファミリーのボス、アル・ミネオが牛耳っていた。 |
| ジョー・マッセリアは今や"ジョー・ザ・ボス”としてニューヨーク最大のマフィア・ファミリーを率いるボスとなっていた。 |
| 他のシチリア系ギャング達は、それまで彼の帝国の一部には組み込まれていなかったが、氷密輸業者やブロンクスのマフィアボスのトム・レイナらは、ダクイッラとマーロウに起こった事に注意し、彼に敬意を払い始めた。 |
| だが、それはジョー・マッセリアがニューヨーク暗黒街を全て掌握した唯一の存在というわけではない。 |
| 労働組合を暴力で支配したルイス・バカルターやグラフそれとウェクシー・ゴードンやオウニー・マドゥンのような密造酒業者達らは政治的コネを作り、莫大な富を得て、強力なギャング団を組織していた。 |
| そして他に急速に勢力を拡大していたダッチ・シュルツやブロードウェイ・ギャングはマッセリアらの存在を認めようともしなかった。 |
| 当時のマフィア達のほとんどは同胞のイタリア人移民からの搾取に集中していた。 |
| マッセリアはまず、ブロードウェイ・ギャング団の取り込みを計り、そしてギャング団のリーダー格だったチャールズ・ルチアーノに目をつけた。 |
| ルチアーノはギャング団で唯一のシチリア出身者だった。 |
| 他のメンバー、フランク・コステロはカラブリア地方出身、ジョー・アドニスはナポリ近郊生まれ、アルバート・アナスタシアはカラブリア出身。 |
| ヴィト・ジェノヴェーゼはナポリ生まれ、そしてマイヤー・ランスキーとバグジー・シーゲルはユダヤ人であった。 |
| ルチアーノは秘密結社の儀式と慣習に対しほとんど関心が無く、伝統的なマフィアに対して不満を抱いているとわかった。 |
| ルチアーノにとってそれは我慢出来ないものであった。 |
| しかし、彼の出生地は後に彼に幸運をもたらすものになった。 |
| 当時、民族的に排他的な組織であったマフィア内で、シチリア人でなかった彼の仲間達と共に彼の勢力は後々拡大していくこととなった。 |