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プロフィール
- スペツナズとは
- 創設と発展
- アフガン戦争
- ソ連崩壊
- 第1次チェチェン戦争
- 第2次チェチェン戦争
- 編成
- 支隊
- 下士官・准士官
- 下級将校(尉官)
- 上級将校(佐官)
- 関連サイト
スペツナズ(,Spetsnaz)とは、ロシア語の「特殊任務部隊」()の略語である。最も有名なものとしてソ連軍、ロシア連邦軍参謀本部情報総局(,GRU)に所属する特殊部隊がある。戦時の敵後方での偵察、破壊工作や要人の暗殺を任務としているが、平時にも私服で破壊対象の偵察活動(スパイ活動)を展開している。「スペツナズ」という語そのものは、「SAS」(イギリス陸軍)、「USASOC」(アメリカ陸軍特殊部隊群、通称「グリーンベレー」)等とは異なり、特定の部隊を指す語ではないので注意を要する(本稿で記述するGRUの他にも、例えばロシア連邦保安庁やロシア内務省、ロシア対外情報庁等に ...
創設と発展
| 1950年10月24日、ソ連国防相ヴァシレフスキーソ連邦元帥と参謀総長セルゲイ・シュテメンコ大将の命令により、各120人の46個独立特殊任務中隊が創設された。 |
| 総員数は、5,500人を僅かに超えた。 |
| しかし、軍縮が始まった1953年、35個特殊任務中隊が解散された。 |
| 1957年1月11日、シェルストネフ少将は、中隊が多方面に渡る戦闘能力を有していないと主張し、中隊編制の代わりに大隊編制(400人)規模の特殊任務部隊を創設することを提案した。 |
| 1957年8月29日付地上軍総司令官令により、5個独立特殊任務大隊が編成された。 |
| 当時、ジューコフ元帥はスペツナズ将校養成のために、GRUにタンボフ第2空挺学校を開校することを構想していたが、彼が失脚したため、結局この学校は創設されなかった。 |
| 1961年8月20日、ソ連共産党中央委員会は、「パルチザン支隊の組織及び装備のための要員訓練及び特殊機材の開発に関する」決定を公布した。 |
| 当決定に従い、1962年2月5日、参謀本部は戦時におけるパルチザン運動の展開のために、1,700人の予備役軍人を選抜して旅団に編入し、1ヶ月以内に召集を行うことを軍管区司令官に命令した。 |
| 1962年3月27日付参謀本部令により、特殊任務旅団の定数草案が立案された。 |
| 1962年末までに、ベラルーシ、極東、ザカフカーズ、キエフ、レニングラード、モスクワ、オデッサ、沿バルト、沿カルパチア及びトルキスタン軍管区に、常設の特殊任務旅団が編成された。 |
| この再編の結果スペツナズは、12個独立中隊、5個独立大隊及び10個旅団となった。 |
| 1963年、ベラルーシ、沿バルト及びレニングラード軍管区領域において、スペツナズの最初の大規模演習が行われた。 |
| 演習は成功と認められたが、1964年末までに、3個大隊及び6個中隊が削減された。 |
| 1968年、リャザン空挺学校に、スペツナズ将校養成のための第9生徒中隊が創設された。 |
| 教育プログラムには、英語、ドイツ語、フランス語及び中国語の研究が含まれた。 |
| 1970年から、部隊の戦闘訓練プログラムには語学訓練が含まれた。 |
| スペツナズは仮想敵の言語を研究したが、40時間の語学訓練では基本フレーズ以下しか教育することができず、全ての期待はソ連国内の非ロシア系民族にかけられた。 |
| 1977年8月、フルンゼ名称軍事アカデミーにおいて、偵察学部にスペツナズ将校訓練教育グループが創設された。 |
| 1978年9月1日から、当グループは授業に着手した。 |
アフガン戦争
| 1979年5月2日、来るべきアフガン侵攻に備え、第154独立特殊任務支隊が編成された。 |
| 支隊は、4個中隊(1個BMP-1中隊、2個BTR-60中隊、1個兵器中隊)と通信、ZSU-23-4「シルカ」、自動車及び物的保障の独立小隊から成り、総員520人だった。 |
| また支隊兵士は、ウズベク人、トルクメン人及びタジク人である1年半を勤務した2期目の召集兵からのみ選抜された。 |
| 支隊の全兵員には、アフガン軍の軍服と身分証明書が支給された。 |
| 11月22日、支隊は飛行機でバグラムに投入された。 |
| 12月13日、タジ・ベク宮殿の警備強化のために、カブールへの前進が支隊に命令された。 |
| 12月27日、支隊は、KGBのアルファ部隊と共同でこの宮殿を攻略し、ハーフィズッラー・アミーン大統領を殺害した。 |
| 1980年2月29日、第154支隊と同じ編制を有する第173支隊が編成された。 |
| 支隊は、1984年にだけアフガニスタンに投入された。 |
| 1980年1月から1981年10月まで、第177独立特殊任務支隊が編成された。 |
| 1981年10月、この支隊は、アフガニスタンに投入された。 |
| 第154及び第177支隊は1984年まで、主としてパイプラインと山岳路の警備に従事した。 |
| 1984年、反乱軍のキャラバン対策のため、第154独立特殊任務支隊はジェララバードに、第177支隊はガズニに転移し、1984年2月10日、第173支隊はクシュク市地区で国境を越え、1984年2月14日、カンダハル市周辺に到着した。 |
| これと関連して、1984年秋、4番目の支隊がバグラムに到着した。 |
| 数ヵ月後、支隊は、バラキ市に転移した。 |
| 1985年春、5番目、6番目、7番目の支隊がアフガニスタンに投入された。 |
| また、第15及び第22旅団本部もアフガニスタンに投入された。 |
| 1985年末、第22旅団の編成下に入る8番目の支隊がアフガニスタンで直接編成され、ファラフルドに配置された。 |
| このようにして、アフガン戦争中、8個支隊、2個旅団本部が活動した。 |
| なお、秘密保全のため、全スペツナズ支隊は、独立自動車化狙撃大隊と呼ばれていた。 |
| ジャラーラーバード:第154特殊任務支隊、第15旅団本部。 |
| カンダハル:第173特殊任務支隊。 |
| ガズニ:第177特殊任務支隊。 |
| バラキ:4番目の支隊。 |
| アサドバード:5番目の支隊。 |
| ラシュカルガフ:6番目の支隊、第22旅団本部。 |
| シャフジョエ:7番目の支隊。 |
| ファラフルド:8番目の支隊。 |
| 第22独立特殊任務旅団は、1988年8月にアフガニスタンから撤収した。 |
| 第15旅団の最後の部隊は、第40軍の縦隊を後衛で援護しつつ、1989年2月15日にアフガニスタンから撤収した。 |
ソ連崩壊
| ソ連末期からその崩壊にかけてスペツナズは、大規模騒擾、分離主義集団の鎮圧のためにソ連各地に投入されることとなった。 |
| 1980年代末~1990年代初め、第173支隊はオセチア・イングーシ紛争時に北オセチア共和国バクー市、並びにナゴルノ・カラバフに投入された。 |
| 1992年、第22独立特殊任務旅団は北カフカーズ軍管区に移管された。 |
| 1992年、モスクワ軍管区の旅団の2個支隊は秩序維持のためタジキスタン共和国に派遣された。 |
| 1988~1989年、ザカフカーズ軍管区の第12特殊任務旅団の3個支隊は、アゼルバイジャンのザカタリ地区及びトビリシ市における秩序維持に参加し、1991年、ナゴルノ・カラバフ州及び北オセチアに投入された。 |
| 1991年、ドイツに駐屯していたスペツナズ旅団が撤収し、沿ヴォルガ軍管区に移管された。 |
| ソ連崩壊後のソ連軍の分割の結果、CIS諸国には、以下の部隊が移管された。 |
| 第10独立特殊任務旅団(オデッサ軍管区、クリミア):現ウクライナ軍第1パラシュート降下連隊。 |
| 不明旅団(キエフ軍管区、キロヴォグラード)。 |
| 不明旅団(沿カルパチア軍管区、イジャスラヴリ)。 |
| 第5特殊任務旅団。 |
| 第459独立特殊任務中隊:現独立特殊任務支隊。 |
| 1992年10月1日、ヴィリニュス市に駐屯していた第4独立特殊任務旅団が解散された。 |
| ペチョーラの特殊任務教育連隊も解散された。 |
| 1992年7月25日、第901独立空中襲撃旅団と第218独立特殊任務大隊に基づき、空挺軍第45独立特殊任務連隊が編成された。 |
第1次チェチェン戦争
| スペツナズは、1994~1996年の第1次チェチェン戦争に当初から参加した。 |
| モスクワ、シベリア、北カフカーズ、ウラル、ザバイカル及び極東軍管区の旅団から支隊が派遣され、1994年12月と1995年1月には、空挺軍第45独立連隊も参加した。 |
| 1995年春までに、スペツナズは、北カフカーズ軍管区の独立特殊任務支隊を除き、チェチェンから撤収した。 |
| 同支隊は、戦闘行動終結まで戦闘し、1996年秋に原隊に復帰した。 |
| 戦争初期、一般部隊の練度が低かったため、スペツナズは、通常の偵察・強襲部隊として使用され、多大な損害を出した。 |
| 特に1995年1月初め、上層部の誤算により、A.イワノフ少佐指揮下の特殊任務支隊がチェチェン側に降伏する事態まで発生した。 |
| 1995年5月、北カフカーズ軍管区の旅団のスペツナズ支隊は、ブデノフスクの人質解放作戦に参加した。 |
| 彼らは、病院に突入したが、市郊外を支配できず、事後、戦闘員及び人質を乗せた縦隊に随伴した。 |
| 1996年1月、北カフカーズ軍管区の旅団の支隊の1つは、ペルヴォマイスキーの人質解放作戦に参加した。 |
| 作戦初期において、47人から成る支隊は、チェチェン兵の主力を引き付けるために、牽制行動を実行した。 |
| 最終段階において、支隊は、数倍もの敵の数的優勢にも拘らず、浸透したS.ラドゥーエフ集団に大損害を与えた。 |
| この戦闘に対して、5人のスペツナズ将校には、ロシア連邦英雄の称号が授与された。 |
第2次チェチェン戦争
| 1996年のハサヴユルト協定署名は、チェチェンでの戦争終結を意味しなかった。 |
| 1997年末までに、バーブ教徒が北カフカーズに独立イスラム国家建国を試みており、ダゲスタンがその第1の標的になっていることが明らかになった。 |
| このことと関連して、1998年初め、第22独立特殊任務旅団の編成下から、カスピースク市に第8独立特殊任務支隊が分派された。 |
| 内務省及びFSBと共同で、武器取引ルートが摘発された。 |
編成
| 空挺軍には、第45独立親衛特殊任務連隊が存在する。 |
| 第14独立特殊任務旅団:ウスリースク。 |
| 第16独立特殊任務旅団:タンボフ。 |
| 第24独立特殊任務旅団:ウラン・ウデ。 |
支隊
| 旅団は、3個支隊の内、1個支隊を戦闘に投入し、残り2個支隊を休養と訓練に当て、半年程度の期間でローテーションするのが通例である。 |
下士官・准士官
| しかしながら、要求される特技の増加に伴い、1970年、教育中隊、教育大隊、その後、プスコフ州ペチョーラ市に教育連隊が編成された。 |
| 1985年、アフガン戦争中、チルチクにも教育連隊が編成されたが、ソ連崩壊と共に、1994年、連隊はウズベキスタン軍に移管され、機動軍教育センターに改編された。 |
| 1999年、ペチョーラ教育連隊は解散され、下士官・准士官の訓練は、部隊での直接訓練に復帰している。 |
下級将校(尉官)
| 下級将校の教育は、1968年まで部隊で実施されていた。 |
| 各小隊は、4個分隊を含み、その各々は、英語、ドイツ語、フランス語又は中国語を学習する語学グループでもあった。 |
| 1980年のアフガン戦争開始と共に、ファルシー語とペルシア語(後にダリー語)の2個小隊が編成された。 |
| リャザンの外、キエフ高等諸兵科共通指揮学校の偵察学部も、スペツナズ将校の教育を行っていたが、ソ連崩壊と共に、同学校は、ウクライナの手に渡った。 |
上級将校(佐官)
| 上級将校の教育は、70年代末まで、一般将校と同じカリキュラムで、フルンゼ名称軍事アカデミー(旧軍の陸軍大学に相当)で行われていた。 |
| アカデミー卒業生は、大隊長、副旅団長に補職される。 |
| 平時に偵察活動、つまり、スパイ活動に従事するスペツナズ将校(大尉以上)は、GRUの軍事外交アカデミーに送られ、卒業後は、大使館等で公然・非公然の情報収集活動に従事する。 |
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シェルストネフ少将は、中隊が多方面に渡る戦... |
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