| 1998年からサクソトロフィーに参加して、1999年にはタイトルを獲得。 |
| シトロエン・スポールのギ・フレクランに見出され、2001年にはWRCスーパー1600選手権で5勝してこれを制覇する一方、シトロエン・クサラWRCでスポット参戦したWRCサンレモラリー(イタリア)では,トップのジル・パニッツィから11.4秒差の2位を獲得した。 |
| 2002年にはクサラWRCを駆って9戦に参戦。 |
| 開幕戦のラリー・モンテカルロでいきなりトップフィニッシュをするが、チームがタイヤ交換禁止のサービスでタイヤを交換したことが発覚。 |
| ペナルティを受け2位となり、初優勝は幻となる。 |
| それでも、同年のドイツでWRC初優勝を飾る。 |
| 2003年には、開幕戦モンテカルロで前年の雪辱を果たす優勝を上げ、一躍タイトル争いに加わり、シーズン3勝を上げる。 |
| しかし第13戦カタルニアで終盤まで首位を守りながら,タイヤ選択のミスで最終ステージに31秒差を逆転され2位に終わり,最終戦ではマニファクチャラーズタイトルを優先するチーム事情から限界まで攻められず,ペター・ソルベルグに逆転を許し,1ポイント差でドライバーズチャンピオンを逃した。 |
| 2004年にはディディエ・オリオールが持つシーズン最多勝記録タイとなる6勝を上げる一方、安定した走りで着実にポイントを獲得し、ソルベルグ以下を大きく引き離し独走でドライバーズチャンピオンを獲得した。 |
| 2005年は、当シーズン限りでWRCからの一時撤退が明らかにされていたチーム事情からマシン開発の停滞及び戦闘力低下が懸念されたものの、シーズンが開幕すると,リピートステージでの走行に重点を置いて開発されたミシュランのニューグラベルタイヤが威力を発揮し、得意のターマックだけでなくグラベルでも他チーム/ドライバーを圧倒。 |
| 合計10勝を上げ、シーズン最多勝記録を塗り替える(第4戦からの6連勝も新記録となった)など、着実にポイントを積み重ね、ライバルのペター・ソルベルグやプジョーのマーカス・グロンホルムを引き離して、2年連続のドライバーズチャンピオンに輝いた。 |
| また、地元フランスで行われた第14戦ツール・ド・コルスにおいて、WRC史上初めて全てのスペシャル・ステージでトップタイムをマークする「完全優勝」を果たした。 |
| 同年6月には、毎年フランス、ル・マン地方で行われる「ル・マン24時間耐久レース」にペスカローロ・スポーツチームから自身初の参戦をした。 |
| 結果はリタイアしたものの、深夜の走行では、トップクラスと遜色ない走りを見せた。 |
| 2006年は、シトロエンがワークスチームとしてはWRCより撤退したが、プライベーターのクロノスチームから引続きクサラで参戦することとなった。 |
| 苦戦が予想されたシーズンであったが、第7戦サルディニアラリーでの通算25勝目を上げ、カルロス・サインツのコ・ドライバーであったルイス・モヤの記録を破りコ・ドライバー最多勝利記録をダニエル・エレナが獲得している。 |
| 第9戦ラリー・ドイッチュラントでは、史上初の同一イベント5連勝を達成すると同時にカルロス・サインツの持つ通算勝利記録26に並び、第11戦ラリージャパンにおいて記録を更新する通算27勝目を達成した。 |
| その後、第12戦キプロスで勝利し3連勝を飾りチャンピオン争いに王手をかけたが、ラリー終了2日後にマウンテンバイクを乗車中に転倒し腕を骨折するアクシデントに見舞われたため以降のイベントへの参加はキャンセル、2006年シーズン中の復帰は絶望視された。 |
| しかし、第14戦オーストラリアラリーにおいて、ドライバーズランキング2位のマーカス・グロンホルムが5位に終わったことで2006年シーズンのドライバーズチャンピオンを獲得した(この時ローブは自宅におり、優勝インタビューも自宅からの中継となり「不思議な気分だ」と語った)また、同年6月に開催された「ル・マン24時間耐久レース」にペスカローロ・スポーツチームから2年連続で参戦し、総合2位となった。 |
| 2007年は、シトロエンが新型マシンシトロエン・C4WRCで復帰。 |
| ローブはシトロエンのワークスチームのエースとして4連覇を目指しており、開幕戦で早くも通算29勝目となる優勝を飾った。 |
| 第11戦ラリーニュージーランドでは、マーカス・グロンホルムと最終ステージのスーパーSSまで決着がもつれ込むという、近年稀に見る大接戦を繰り広げ、惜しくも0.3秒差で優勝を逃した。 |
| この二人のタイム差はWRC史上最も僅差での名勝負となった。 |
| ドライバーズタイトル争いのライバル、マーカス・グロンホルムのジャパン・アイルランドでの2戦連続リタイアもあり、最終戦グレートブリテンでトミ・マキネン以来史上二人目となる4年連続となるドライバーズチャンピオンを獲得した。 |
| 2008年も、引き続きシトロエンチームからシトロエン・C4WRCで出場。 |
| フォードのミッコ・ヒルボネンと激しいチャンピオン争いを繰り広げ、第14戦のラリージャパン3位を記録し、史上初の5年連続のドライバーズチャンピオンを獲得した。 |
| 全15戦中11勝を記録し,自身の持っていたシーズン最多勝記録を更新する圧倒的なシーズンとなった。 |
| シーズン後行われたレース・オブ・チャンピオンズに参加、2003年、2005年に続き、3度目の優勝を果たした。 |
| 2009年も、シトロエン・C4WRCでエントリー。 |
| フォードのヒルボネンとは前年よりもポイント差は縮まり大接戦となり、最終戦直前まではヒルボネンにリードを許した。 |
| しかし、最終戦で逆転、ヒルボネンを振り切り前人未到の6年連続のドライバーズチャンピオンを達成した。 |