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プロフィール
- セントサイモンとは
- 概要
- 馬名について
- 出生
- 2歳(デビューまで)
- 血統背景
- 血統表
- 2歳時
- 3歳時
- 競走成績
- 引退後
- 種牡馬成績
- 直系子孫の急激な拡大
- セントサイモンの悲劇
- その後のセントサイモン系
- 影響
- 主要産駒一覧
- 性格・気性
- 評価
セントサイモンあるいはサンシモン(St.Simon)は、19世紀末に活躍したイギリスの競走馬である。以後のサラブレッドに絶大な影響を残した馬で、史上最も偉大なサラブレッド種牡馬と言われることもある。異名は「煮えたぎる蒸気機関車」(Bloomingsteam-engine)。馬名表記は、由来による「サンシモン」、現在の英語による「セントサイモン」の2通りあるが、この記事ではより一般的な「セントサイモン」で統一する(詳細は下記参照)。
概要
| デビュー前は見栄えのしない馬体や血統のため期待されておらず、さらに元の馬主が死亡したため当時のルールによりクラシックを戦う事はできなかった。 |
| 代わりに下級戦やマッチレース、古馬の上級戦に出走を続け、10戦無敗の成績を残した。 |
| 殆どのレースが圧勝で、アスコットゴールドカップは20馬身差の勝利だった。 |
| グッドウッドカップを20馬身差で勝利した後、1年の休養を経て1886年から種牡馬入りした。 |
| 種牡馬として空前の成功を収め、牡馬と牝馬で1頭ずつの三冠馬を輩出し、クラシックを全勝した年(1900年)すらあった。 |
| その血統はイギリスに留まらず世界中に拡散し、サラブレッドの血統に多大な影響を残した。 |
| 27歳の時に心臓麻痺で死亡するが、その後半世紀を待たずにセントサイモンの血を持たないサラブレッドはほぼ姿を消した。 |
| 現在セントサイモンの血を持たないサラブレッドは存在しない。 |
| ;主な勝ち鞍。 |
| エプソムゴールドカップ(1884年)。 |
| アスコットゴールドカップ(1884年)。 |
| グッドウッドカップ(1884年)。 |
馬名について
| 馬名はバッチャーニが傾倒していたフランスの社会主義思想家・アンリ・ド・サン=シモンが由来。 |
| 当時は英語でも「サンシモン」と呼ばれていた。 |
| しかしアメリカ英語の影響を受けた現在、イギリスでも「セントサイモン」と訛り、それに従い日本でも「セントサイモン」と呼称される場合が多い、近年元の呼称に従い「サンシモン」と表記する場合も増えている『伝説の名馬(Part2)』。 |
出生
| セントサイモンは、1881年にイギリス・東部イングランド・サフォーク州にあるニューマーケットの近くでセントアンジェラの8番目の仔として生まれた。 |
| 父はエプソムダービー馬ガロピン。 |
| 生産者はハンガリーの貴族バッチャーニ・グスターヴである。 |
| 彼は1838年にイギリスに帰化した後、1843年には自分の牧場を開いた。 |
| 1859年にはジョッキークラブの一員となり、1875年にはガロピン(Galopin)でエプソムダービーを制したが、この頃から心臓を患うようになっていた。 |
| バッチャーニのお気に入りだった父ガロピンは、負ける姿を見させたくないという側近の配慮によりその年限りで引退し、翌年からウィリアム・バローズの牧場で種牡馬生活へと入っている。 |
| だが、血統の悪さや、気性難で知られていたブラックロック(Blacklock)のインブリードを持っていたことにより全く人気がなく、初年度100ギニーだった種付け料が翌年からは50ギニーへと下げられている。 |
| 交配相手も年に10数頭と少なく、しかもバッチャーニの所有馬ばかりという有様であったThoroughbredHeritage-Galopin。 |
| そんな中、バッチャーニよってセントサイモンの母セントアンジェラ(St.Angela)はガロピンと何度か交配された。 |
| 1879年にはアンジェリカ(Angelica)が生まれ、セントアンジェラが16歳となる1881年にはセントサイモンが生まれている。 |
| セントサイモンが仔馬の頃どのような馬であったかについては殆ど伝えられていない。 |
| 僅かにドーソンが「厩舎に来たばかりのころはまるで牛のように鈍重で、兎のような動きをする目立たない馬だった」と述べている『世界の名馬』p.18。 |
2歳(デビューまで)
| 2歳になるとバッチャーニが傾倒していたフランスの社会主義思想家「アンリ・ド・サン=シモン」から名前をもらい「セントサイモン」と名付けられた。 |
| だがその年の5月、生産者そして当時の馬主であるバッチャーニが、自身の持ち馬ガリアードが優勝した2000ギニーの僅か30分前に心臓麻痺で急死する。 |
| そのためセントサイモンを含むバッチャーニの持ち馬は7月のジュライセールに上場された。 |
| このセールには4年前にポートランド公爵とその財産・牧場を相続したウィリアム・キャヴェンディッシュ=ベンティンクと、その持ち馬を管理していた調教師マシュー・ドーソンがフルメンという名の馬を手に入れるために訪れており、その馬が高くて買えなかったため何か気になるところのあった隣の馬房のセントサイモンを1600ギニーの手ごろな価格で競り落とした。 |
| 1600ギニーと手ごろな値段になった理由として、成長後で体高(肩までの高さ)16.1ハンド(約164cm)の雄大な馬格を誇っていたものの、胴が詰まりのろのろと歩くその様は見栄えのいいものではなかったこと、血統の悪さ、さらに既にクラシック登録(正確にはバッチャーニの方針により元々2000ギニーにしか登録がなかった)、及びフュチュリティ等の主要2歳戦の登録が締め切られ、その登録が馬主死亡のため無効(1928年にこの規則は廃止)になり出走権が失われたこと等が災いした。 |
| また、バッチャーニの元でセントサイモンを管理していたジョン・ドーソン(マシュー・ドーソンの兄)がこの馬を手放したくなかったためわざと太らせた上で汚くして見栄えを悪くしていたという話もある『伝説の名馬(Part2)』p.101ThoroughbredHeritage-St.Simon。 |
| このセールでは父ガロピンが8000ギニーでヘンリー・チャップリンハーミット(Hermit)の馬主。 |
| 当時高齢のハーミットに代わる種牡馬を探していたに売却され、母セントアンジェラが320ギニーでレオポルド・ド・ロスチャイルドに売却されフランスに渡っている。 |
血統背景
| 父ガロピンについては前述(#出生)、詳細についてはガロピンを参照。 |
| 父系はエクリプス系の中でも傍流のキングファーガス(KingFergus)→ハンブルトニアン(Hambletonian)の流れをくんでいる。 |
| この系統はセントサイモンが登場するのと同時にガリアード(Galliard)やサンドリッジ(Sundridge)なども種牡馬として成功し隆盛を極めた。 |
| 母セントアンジェラはバッチャーニの生産馬、現役時代は8戦して1勝を上げていた。 |
| 産駒はセントサイモンを含め5頭が勝ち上がっている。 |
| 血統背景は父が英リーディングサイアーであるキングトム(KingTom)が目立つくらいで、母アデライン(Adeline)も1勝馬、その産駒で勝ち上がった者は4頭と平凡であった。 |
| これらが属す牝系は後に11号族のc分枝に分類されたが、1881年時点でこの牝系から生まれた活躍馬は皆無であった。 |
| その他血統構成は、父でインブリードされていたブラックロック(強烈な気性難で知られる)がさらに重ねられ、その息子ヴォルテール(Voltaire)と合わせ、父方に向かって近交が行われている。 |
| その他サルタン(Sultan)、サーピーターティーズル(SirPeterTeazle)等ヘロド系の影響も強いが、当時流行していたストックウェル(Stockwell)、ニューミンスター(Newminster)、ハーミット等の血を殆ど含んでいない。 |
| 当時としても全く見るべき所のない血統であるが、逆に一旦成功してしまえば殆どの繁殖牝馬とインブリードを気にせず配合できるといった血統上の利点も持っていた。 |
血統表
| ''血統表及びその見方については競走馬の血統#血統表を参照''。 |
2歳時
| 7月中にはドーソンのヒースハウス(ニューマーケット)へと移り調教を受け始めた。 |
| 最初の頃はさえない動きしか見せなかったが、徐々に能力の片鱗を見せ始め、7月31日にグッドウッド競馬場のハイネイカーステークスでデビューすると、フランスの実績馬リシェリュー(Richelieu)を6馬身差で下し初戦を楽に逃げ切った。 |
| 登録後に勝利したため翌日の未勝利戦では60.3kgのハンデをペナルティとして課せられるが、危なげなく勝った。 |
| 続くデヴォンシャーナーサリーステークス、プリンスオブウェールズナーサリーステークスも楽勝し、この時翌年2000ギニーで2着になるセントメダル(St.Medard)を下している。 |
| さらに、当時セントサイモンと同じ厩舎にいたビジイボディ(Busybody、翌年の二冠牝馬、同年の2歳チャンピオン)、ハーヴェスター(Harvester、翌年のエプソムダービー勝ち馬)と走らせてみたところセントサイモンはこれらを全く相手にしなかった『伝説の名馬(Part2)』p.102-103。 |
| 10月には出走できるレースがないのでセントサイモンと同期で既にリッチモンドステークス等に勝ち頭角を現していたデュークオブリッチモンド(DukeofRichmond)との500ギニーを賭けたマッチレースが行われた。 |
| この時にデュークオブリッチモンドを管理していた調教師ジョン・ポーターは、セントサイモンの様な血統も悪く実績も無い馬と対等に扱われたことが気に入らなかったらしく、「スタートしたらすぐに飛び出して、あの乞食野郎の喉を掻き切ってしまえ!」と言い、さらにドーソンも「奴らにその台詞をそのままお返ししてやれ」と怒鳴った。 |
| レースはセントサイモンの一方的な展開になり、スタート後瞬く間に差を広げると2ハロン(約400m)通過時点で20馬身(約50m)もの差をつけた。 |
| 主戦騎手を務めるフレッド・アーチャーはその時点で手綱を引き、対戦相手に実力差を見せつける様にデュークオブリッチモンドが追いつくのを待ってから正確に3/4馬身差を保ちつつゴールした。 |
| レース後にドーソンは「セントサイモンは私が調教した最強の2歳馬だ、おそらく史上最高の競走馬になるはずだ」とコメントしている。 |
3歳時
| 翌3歳になると、クラシックには出走できなかったためセントサイモンは古馬に挑んでいる。 |
| まず、当時イギリスで大レースを勝ちまくり、最強とされていたトリスタン(Tristan)とのマッチレース(無賞金の非公式戦、ペースメーカーが各1頭)が組まれ、これを易々と下した。 |
| 次に出走したアスコットゴールドカップ(AscotGoldCup、芝20ハロン)はこの時代イギリスで権威の高い競走であったが、セントサイモンは破天荒なレースぶりで圧勝している。 |
| この時は体重調整がうまくいかなかったためアーチャーは乗れず、代わりにアーチャーには及ばないものの、この年のエプソムダービーでハーヴェスターを勝利に導いた名手チャールズ・ウッドが騎乗していた。 |
| スタート直後は後方を進んでいたものの、残り6ハロンで手綱を緩めるとよほどストレスがたまっていたのか制御が不可能になり、全馬一気に抜き去るとそのまま前年の勝ち馬トリスタンに20馬身の大差をつけて勝利した。 |
| さらに、セントサイモンはゴール後も騎手の制止命令を振り切り暴走を初め、1マイルも疾走し続けた。 |
| また、アスコットゴールドカップに次いで当時権威のあったグッドウッドカップ(GoodwoodCup、芝20ハロン)でも、前年のセントレジャーステークス馬オシアン(Ossian)を相手に20馬身差で勝利している。 |
| このレースを最後に引退、奇しくもデビュー戦と同じ7月31日であり、僅か1年の現役生活に終止符を打った。 |
競走成績
| 非公式トライアルマッチ-非公式な競走だがレーシングカレンダーに記載されている。 |
引退後
| 引退後は1年の休養をはさんで1886年から種牡馬生活を開始した。 |
| 急に環境を変えないよう配慮されたため、まずはニューマーケットにあるドーソンのヒースファームで供用され、翌年からはポートランド公のウェルベックアベースタッドに移った。 |
| その後は毎日元気に運動をこなし、種牡馬としての仕事もこなしていたが、1908年4月2日彼の朝の運動のすぐ後に、心臓発作で倒れ死亡した。 |
| 骨格はロンドン自然史博物館、蹄はジョッキークラブとヨーク競馬博物館にひと組ずつ展示されている。 |
種牡馬成績
| 種牡馬となったセントサイモンは初め50ギニーの種付け料で供用され、翌年100ギニーに引き上げられた当時最高の種牡馬とされていたハーミットが350ギニー。 |
| 初年度の産駒が2歳になった1889年に種牡馬ランキング3位につけると、翌年はメモワール、セモリナの2頭がクラシック競走を制し、2世代のみでリーディングサイアーの座に着いた。 |
| 1892年にはラフレッシュが牝馬三冠を制覇し、その後もパーシモン、セントフラスキン等の活躍により7年連続リーディングを維持した。 |
| 1897-1899年の3年間は2位(1位ケンダル)、5位(1位ガロピン)、3位(1位オーム)と低迷するも、1900年と1901年には再びリーディングを奪取した。 |
| この間種付け料も徐々に上がり、1899年に500ギニー、1901年には600ギニーすら付けた。 |
| 加えて古馬の高賞金レースエクリプスステークスまでも獲得し、この年の産駒獲得賞金総額は58,625ポンドに達したこれ以上の記録としては、ストックウェルによる1866年の61,340ポンドという記録があるが、物価ベースではセントサイモンの方が上回る(この間賞金水準が15%程度低下している)。 |
| また、セントサイモンは27勝での記録であるが、ストックウェルは132もの勝ち数を重ねた上での記録である(セントサイモン産駒は数が少なかった上、勝ち上がり率がそれほど良くなかったため)。 |
直系子孫の急激な拡大
| セントサイモンの種牡馬成績は20歳に達した1901年頃を境に下降線を辿り始める、1902年には息子パーシモンがセプター等の活躍によりリーディングサイアーになるとセントサイモンは2位に落ち、二度とリーディングを取ることはなかった。 |
| イギリスでは1888年-1913年の26年間にガロピン系だけで19回種牡馬リーディング1位を取っている。 |
| 1901年にはガロピンとセントサイモンの直系子孫で4勝、1902年にも直孫で独占し、1912年の種牡馬リーディングでは首位パーシモンを筆頭としてデスモンド、セントフラスキン、チョーサー、ウィリアムザサードの5頭が7位までにひしめいた。 |
セントサイモンの悲劇
| 1908年から1914年にかけ有力な種牡馬が相次いで死亡、その上残った種牡馬も輸出されたり失敗したりで活躍馬を出せなくなり、牡馬のクラシックホースは1914年のエプソムダービー優勝馬ダーバー(Durbar、フランス産)を最後に、イギリスチャンピオンサイアーは1913年のデスモンドを最後に獲得することができなくなってしまった。 |
| 正確な原理は議論があるが、ある種牡馬の血が交配可能な牝馬の大半に行き渡ると、その種牡馬の系統に属する種牡馬は近親交配を避けるために満足な交配機会を得られず、その結果急に勢力を減じるというのが一般的な説である吉沢譲治『競馬の血統学』p.24-26その他の理由として、近親交配の弊害、他父系に優秀な繁殖牝馬が流れる事で遺伝的アドバンテージ無くなる等がある。 |
その後のセントサイモン系
| これらの一部は後に勢力を増し、1938年にはついにボワルセル(BoisRoussel、フランス生まれ)がセントサイモン系として25年ぶりにエプソムダービーに優勝した。 |
| これ以降イタリアからリボー(Ribot)、フランスからは他にマシーン(Machine)、ワイルドリスク(WildRisk)、プリンスローズ(PrinceRose、ベルギー調教馬)等が出て1960,70年代には第二の隆盛期を迎えたが、2007年現在ノーザンダンサー系やミスタープロスペクター系の勢力拡大の影響もあり一時期程の勢いはなくなっている。 |
影響
| 現生するサラブレッドのほぼ全てはセントサイモンの血量を9-13%程度持つが、これは19世紀以降の種牡馬としては最大級であり、三大始祖にも匹敵する程である。 |
| 1990年代馬術競技でトップクラスの活躍をしたセルフランセ100頭の内、26頭の父系祖先はセントフラスキンの後裔オレンジピール(OrangePeel、1919年生、自身はサラブレッド)である。 |
| 父系子孫以外にもセントサイモンを母の父に持つロックサンド(RockSand)やジョンオゴーント(Johno'Gaunt)、シニョリネッタ(Signorinetta)等が登場した。 |
| その後も、チョーサーが母の父として極めて大きな役割を持ち、ハイペリオン(Hyperion、セントサイモン血量18.75%)、ネアルコ(Nearco、同19.53%)、イギリスにおいて最初にセントサイモン系勢力を回復させセントサイモン系中興の祖と言われたボワルセル(同21.09%)等、セントサイモンの強いインブリードを持つ大種牡馬が相次いで登場している。 |
| 本格的にセントサイモンの血が入りだしたのは1910年頃からで、共にセントサイモンの孫にあたる輸入種牡馬インタグリオー(チャイルドウィック産駒、1908年に小岩井農場が輸入)、ダイヤモンドウェッディング(ダイヤモンドジュビリー産駒、1909年に奥羽種畜牧場が輸入)が種牡馬として成功し始めてからである。 |
| また、インタグリオーと同時に輸入された繁殖牝馬群小岩井農場の基礎輸入牝馬の内数頭もセントサイモンの血を色濃く受けており、これら初期の日本馬産に大きく貢献した種牡馬・繁殖牝馬群は、現在でも古くから続く在来牝系の奥深くで見かける事ができる。 |
| もっともマンノウォー(ManO'War)やゼヴ(Zev)等の血統表中には存在しており、1924年を最後にセントサイモンの血を全く受けないケンタッキーダービー馬は出現しなくなったが、全体としては長らく低く抑えられていた。 |
主要産駒一覧
| パーシモン(Persimmon)-エプソムダービー-セントレジャーステークス-ジョッキークラブステークス、アスコットゴールドカップ、エクリプスステークス、1902,1906,1908,1912チャンピオンサイアー-1914,15,19年チャンピオンブルードメアサイアー-プリンスローズの父系祖先。 |
| チョーサー(Chaucer)-ハイペリオン等の母の父-シンザンの父系祖先-1916年サイアーランキング2位-1927,33年チャンピオンブルードメアサイアー。 |
性格・気性
| 厩務員であったチャールズ・フォーダムは常に攻撃され続け命の危険を感じたため、ゴドルフィンアラビアン(GodolphinArabian)やキンチェム(Kincsem)、曾祖父のヴォルティジュール(Voltigeur)が猫等と仲良くなることで気性が落ち着いたという話を聞きつけるや気性の改善を図る為に猫を馬房に放してみた。 |
評価
| 1887年に行われた競馬関係者100人のアンケート(複数投票)による「19世紀の名馬TOP10」(SportingTimes)ではクラシックへの出走がなかったにもかかわらず53票を獲得し、グラディアトゥール(Gladiateur)、ウェストオーストラリアン(WestAustralian)、アイソノミー(Isonomy)に次ぐ第4位にランクされた。 |
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1879年
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アンジェリカ(Angelica)が生まれ、セントアン... |
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1881年
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イギリス・東部イングランド・サフォーク州に... |
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