| サウスカロライナ州のグリーンビルに生まれる。 |
| 父は弁護士だった。 |
| グリーンビルのファーマン大学に進学し、物理学と現代語の学士号を取得し、1935年に19歳で主席で卒業。 |
| 大学2年生のときに初めて物理学を学び、その「美しく論理的な構造」に魅了されるようになった。 |
| また博物学にも興味を持ち、ファーマン大学時代には博物館のキュレーターを務め、夏には同大学生物学部門のために生物採集を行った。 |
| 他にも、水泳部、大学新聞、フットボール部など様々な活動に参加していた。 |
| 1936年にデューク大学で物理学の修士号を取得後、1939年にカリフォルニア工科大学大学院で学位を得た。 |
| 学位論文のテーマは同位体分離とスピン角運動量だった。 |
| ベル研究所のスタッフとなり、1947年までベル研究所で働いた。 |
| 第二次世界大戦中はレーダー爆撃システムの設計に従事し、関連技術の特許をいくつか取得した。 |
| そこから、軍事レーダー技術のマイクロ波技術を分光法に適用し、原子や分子の構造を解析する新たな手段や電磁波を制御する新たな基盤にできるのではないかと考えた。 |
| 1948年コロンビア大学に移り、マイクロ波物理学、特にマイクロ波と分子の相互作用を研究し、分子・原子・原子核の構造解析にマイクロ波スペクトルを利用した。 |
| 1951年、メーザーのアイデアを思いつき、数カ月後からアンモニアガスを媒体とする装置の開発を開始した。 |
| 1954年初め、誘導放出による電磁波の発生と増幅が初めて得られた。 |
| タウンズらはこれを「メーザー(mesar)」と名付けたが、それは"microwaveamplificationbystimulatedemissionofradiation"(放射の誘導放出によるマイクロ波増幅)の頭字語である。 |
| 1958年、義弟のアーサー・ショーローと共にメーザーを可視光や赤外線の範囲でも実現できることを理論的に示し、具体的にどのようなシステムで実現できるかを提案した。 |
| これが「レーザー」すなわち"lightamplificationbystimulatedemissionofradiation"(放射の誘導放出による光増幅)に関する最初の論文である。 |
| 他にも非線形光学、電波天文学、赤外線天文学の分野の研究も行った。 |
| 星間物質として初めて複雑な分子(アンモニア分子、水分子)を検出し、銀河系中心部のブラックホールの質量を初めて測定した。 |
| コロンビア大学では物理学の当初準教授だったが、1950年に教授になっている。 |
| 1950年から1952年までコロンビア放射線研究所の所長を務め、1952年から1955年までは物理学部門の主任教授を務めた。 |
| 1959年から1961年までコロンビア大学を離れ、11の大学が共同運営しアメリカ政府に助言しているワシントンD.C.の非営利組織防衛分析研究所の副所長を務めた。 |
| 200px|right|thumb|グリーンビルにあるタウンズの彫像。 |
| 1961年、マサチューセッツ工科大学の学長兼物理学教授に就任。 |
| 学長として同大学の教育および研究プログラム全般の監督責任を担うことになった。 |
| 1966年には同大学の研究所教授となり、同年末までに学長の職を退いて研究に専念するようになった。 |
| このころの研究分野は量子エレクトロニクスと天文学である。 |
| 1967年にはカリフォルニア大学教授(ユニバーシティ・プロフェッサー)に就任。 |
| 同大学の各キャンパスの教育、研究全般に関与するようになったが、本人はバークレー校に在籍している。 |
| 1955年から1956年まで、グッゲンハイム・フェロー(en)とフルブライト講演者としてパリ大学と東京大学で過ごしている。 |
| SigmaXiのために各地で講演もしており、ミシガン大学などの夏季コースで教えたりしている。 |
| 1963年秋にはトロント大学で講義を行い、2002年から2003年にもドイツやインドで講義を行った。 |
| ノーベル賞だけでなく、宗教についての賞であるテンプルトン賞も受賞しており、他にも多数の賞を受賞。 |
| 各地の大学から27もの名誉博士号を授与されている。 |
| タウンズは政府機関のさまざまな科学委員会の委員も務め、学会でも活躍している。 |
| 例えば、アメリカ大統領の科学諮問委員会の委員兼副委員長、有人月着陸計画の諮問委員会の委員長、国防省のピースキーパーミサイルに関する委員会の委員長などを務めた。 |
| ゼネラルモーターズやパーキンエルマーの取締役も務めている。 |
| 現在、バークレーに住んでいる。 |
| 1941年結婚し、4人の娘をもうけた。 |