| 1945年、当時人気を博していたナット・キング・コール対抗する形で結成されたジョニー・ムーアのスリー・ブレイザーズにシンガー、ピアニストとして加入。 |
| 翌年"Driftin'Blues"がR&Bチャート2位のヒットとなる。 |
| 48年には、チャールズの"MerryChristmasBaby"が同8位を記録するなど、多くのヒットを生んだJoelWhitburn'sTopR&BSingles1942-1988(RecordResearch)。 |
| しかしチャールズは、自分がフロントマンであるにも関わらずバンドの実権をジョニー・ムーアが握っていることに嫌気が差し、1949年にバンドを脱退。 |
| ソロ・アーティストとしてアラディン・レコードと契約した。 |
| アラディンからのファースト・シングルの曲のタイトルは皮肉にもムーアへの当てつけのような"GetYourselfAnotherFool"(訳:誰か別の愚か者を見つけろ)であった。 |
| アラディンでは1956年までレコーディングを続け、R&Bチャートのトップ10に10曲をランクインさせる成功を収めた。 |
| この時代の一番知られている曲は恐らく"BlackNight"(1951年;R&Bチャート1位)であろう。 |
| 1956年、アトランティックのためにニューオーリンズで行ったレコーディングは彼の個性とバンドがマッチせず、不本意な結果に終わる。 |
| 続いてチャールズは1959年、ミシシッピ州ジャクソンのレーベル、エイスと契約するものの、約1年間の在籍期間中、リリースされたのはシングル2枚のみ''BlueOverYou-TheAceRecordings''(Westside)ライナーノーツ。 |
| アラディンの成功を再現することはできずレーベルを去った。 |
| 1960年にキング・レーベルから"PleaseComeHomeforChristmas"がヒットとなるが、その後はヒットに恵まれることはなかった。 |
| メインストリーム、オフビート、モダン/ケントなどのレーベルから散発的に作品をリリースし続けたものの、チャールズの存在感は薄れていった。 |
| 事実上引退同然だった80年代半ば、チャールズに転機が訪れた。 |
| 1986年、カムバック作となるアルバム''OneMorefortheRoad''をブルーサイド・レーベルからリリース(のちにアリゲーターより再発)。 |
| これが好評を博し、クラブ出演などライヴ活動も復活させていった。 |
| そしてボニー・レイットがチャールズを彼女のツアーの前座に起用、彼の音楽は再び幅広い聴衆の耳に届くこととなった。 |
| 1990年、ドクター・ジョン、ルース・ブラウンらがゲスト参加したアルバム''AllMyLife''をブルズアイ・ブルースよりリリース。 |
| このアルバムのギタリスト、ダニー・キャロンは以後チャールズのバンドでツアー、レコーディングともに活躍し、カムバック後のチャールズのサウンドを支える大黒柱となった。 |
| 1992年には、レーベルからのセカンドとなる''SomeoneToLove''をリリース。 |
| 同作にはボニー・レイットが2曲に参加している。 |
| 一方、ボニーの1995年のライブ・アルバム''RoadTested''には、チャールズが参加している。 |
| 続く1994年の''JustALuckySoandSo''はニューオーリンズのウルトラソニック・スタジオにレコーディングの場を移した。 |
| バンドは通常通りダニー・キャロンらレギュラーのメンツだが、地元のホーン・セクションとストリングスを使い、その指揮とアレンジを務めたのはニューオーリンズの伝説的な指揮者のワーデル・ケゼルグであった。 |
| ブルズアイ・ブルースからはアルバムを計4枚、1994年にヴァーヴに移籍し更に3枚のリリースを重ねた。 |
| いずれもチャールズのサウンドの神髄とも言える円熟したメローなサウンドを展開しており、充実した晩年だったと言えるだろう。 |
| カムバック以降、米国の著名なブルースの賞であるW.C.ハンディー・アワード(現ブルース・ミュージック・アワード)にも度々ノミネートされている。 |
| 1991年には4部門にノミネートされ、ピアノ/キーボード部門の楽器演奏者賞を受賞した。 |
| また、1993年と1995年には男性ヴォカーリスト賞を受賞している |
| またチャールズは、1997年、米国立芸術基金(NEA)の選定する人間国宝(NationalHeritageFellowship)にも選ばれている |
| 1998年には、ヴァーヴからの3枚目のアルバム''SoGoesLove''をリリース。 |
| 同年、12月開催のパークタワー・ブルース・フェスティバルのヘッドライナーという形で、待望の初来日公演が組まれたが、チャールズの体調が悪化し、彼の出演はあえなく中止となってしまった。 |
| 翌1999年1月21日、チャールズはカリフォルニア州オークランドで76歳の生涯を閉じた。 |
| チャールズのラスト・レコーディングとなったのはマリア・マルダーの1999年のアルバム''MeetMeWhereTheyPlaytheBlues''で、チャールズは1曲"GeeBaby,Ain'tIGoodToYou"でマリアとデュエットを披露している。 |
| 元々このアルバムは全編マリアとチャールズの共演作になる予定だったが、チャールズの体調が悪化したために、マリアがチャールズの病室を訪れて、この1曲のみを吹き込んだのだった''MariaMuldaur/MeetMeWhereTheyPlaytheBlues''ライナーノーツ。 |
| チャールズが亡くなったあと、1999年にブルズアイ・ブルースは、アルバム''InAGrandStyle''をリリースした。 |
| これは、チャールズのレーベル在籍時の未発表レコーディングを収録したもので、レコーディング時期は明記されていないが、全編通してチャールズが一人で弾き語りでプレイしたものである。 |
| また同年、彼はアーリー・インフルエンス部門でロックの殿堂入りを果たした |