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ハンニバル
カルタゴの将軍。ハミルカル・バルカの長子。ハンニバルは「バアルの恵み」や「慈悲深きバアル」、「バアルは我が主」を意味すると考えられ、バルカとは「雷... |
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マキャベリ
マキャベリ プロフィール ブログ なう ピグの部屋 アメンバーになる メッセージを送る プレゼントを贈る プロフィール ニックネーム マキャ... |
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アウグストゥス
ローマ帝国の初代皇帝(在位:紀元前27年-紀元14年)。志半ばにして倒れた養父カエサルの後を継いで内乱を勝ち抜き、帝政(元首政)を創始、パクス・ロマーナ... |
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ニッコロ・マキャヴェッリ
イタリア、ルネサンス期の政治思想家、フィレンツェ共和国の外交官。著書に、『君主論』、『ティトゥス・リウィウスの最初の十巻についての論考(ディスコル... |
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ウェルギリウス
古代ローマの詩人。英語ではVirgilと綴られることから、バージルとも呼ばれる。『牧歌』、『農耕詩』、『アエネイス』という3つの叙情詩及び叙事詩(ヘクサメ... |
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クラウディウス
ローマ帝国の第4代皇帝である。アントニウスの孫であり、アウグストゥスの妻リウィアの孫にあたる。第2代皇帝ティベリウスの弟大ドルススの息子でゲルマニク... |
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チェーザレ・ボルジア
イタリアルネサンス期の軍人・政治家。なお、イタリアにおいては単に「チェーザレ」という名前は一般にカエサルを指す為、現地でチェーザレ・ボルジアは「ヴ... |
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塩野七生
日本の小説家である。歴史小説『ローマ人の物語』の著者として知られる。名前の「七生」は、7月7日生まれであることに由来。 |
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バアル
バアル(ウガリット語形b‘l)という名で、アッカドの雷神アダドの前身でもある。この名は恐らく雷鳴の擬音と考えられる。しかしハッドゥが主神、すなわちバア... |
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桂三枝
日本の落語家、タレント、司会者、社団法人上方落語協会会長。本名、河村静也(かわむらしずや)。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。師匠は桂小... |
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プラトン
古代ギリシアの哲学者である。ソクラテスの弟子でアリストテレスの師。プラトンの思想は西洋哲学の源流であり、哲学者ホワイトヘッドは「西洋哲学の歴史とは... |
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ポリュビオス
古代ギリシアの歴史家である。第三次マケドニア戦争のピュドナの戦いの後、人質としてローマに送られ、スキピオ・アエミリアヌスの庇護を受けた。著書『歴史... |
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ローマ皇帝
紀元前27年に元老院よりアウグストゥス(Augustus)の尊称を授与されたアウグストゥス本人と、この尊称を帯びた彼の後継者をさす。ローマ皇帝というひとつの職... |
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ロレンツォ・デ・メディチ
イタリアフィレンツェのルネサンス期におけるメディチ家最盛時の当主。公的な肩書きはなかったが、当時のフィレンツェ共和国を実質的に統治した。メディチ家... |
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永井三明
日本の西洋史の研究者。京都大学文学部史学科卒業。同志社大学助教授、教授を経て、名誉教授。 |
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オウィディウス
『変身物語』である。彼は、これにより大手を振ってギリシャに行けると、かえって喜ぶ発言をしたという逸話が伝わるが、事実かどうかは不明である。 |
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フランシス・ベーコン
「フランシス・ベーコン」の詳細情報 ●くわしい検索へ ●美術館トップへ 作家名 フランシス・ベーコン 作家名(ヨミ) ベーコン 作家名(英字) FRAN... |
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ハミルカル・バルカ
ハミルカル・バルカ(HamilcarBarca(s),?-紀元前275年頃-紀元前229年/228年頃)はカルタゴの将軍で、ハンニバル・バルカの父。家族名のバルカはフェニキア語の... |
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プルタルコス
帝政ローマのギリシア人著述家。著作に『対比列伝』(英雄伝)などがある。英語名のプルターク(Plutarch)でも知られる。 |
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セレウコス
セレウコス(1世)(せれうこす) [ 日本大百科全書 ( 小学館 ) ] Seleukos (前358ころ―前280) マケドニア 貴族出身の軍人。 征服 王(ニカトールNikator... |
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プロフィール
- ティトゥス・リウィウスとは
- 出生と業績
- 受容
- 参考文献
ティトゥス・リウィウス(TitusLivius,紀元前59年頃-17年)は、共和政末期、帝政初期の古代ローマの歴史家。単にリウィウスと呼ばれることが多い。 アウグストゥスの庇護の下に『ローマ建国史』を著した。
出生と業績
| リウィウスは、パタウィウム(現在のイタリア・パドヴァ)において生まれた。 |
| 結婚しており少なくとも2人の子供がいた。 |
| 没したのもパタウィウムであり、一部の記録では死んだのは11年または16年-17年であるとされる。 |
| リウィウスの企図の規模と巨大さはその最も著名な作品『ローマ建国史(AbUrbeCondita)』の直訳したタイトル『都市の創設から』にも表れている。 |
| リウィウスは著述において新たなコンスルの選出を告げるために物語をしばしば中断させているが、このような年代記と物語を足し合わせたような書き方はローマ人が歴史著述を行う際にしばしば用いる方法であった。 |
| リウィウスは紀元前387年のガリア人によるローマの破壊によって生じた史料の不足が自身の仕事を困難にしたと嘆いている。 |
| リウィウスは、アウグストゥスの治世に作品の大部分を書いたが、彼自身は共和政への強い愛着を抱いており再び共和政へローマが復帰することを望んでいたとされる。 |
| ただしこの点については、共和政の終焉及びアウグストゥスの政権掌握までを記したはずの後半部分の巻が失われているため、争点もある。 |
| 確かにリウィウスは新しい政体の価値には疑問を抱いていた。 |
| しかしかといって単に帝政か共和政かの一方を支持していたというような単純な立場ではなく、より複雑な立場にあったといえる。 |
| アウグストゥスはリウィウスを帝政への反対者とはみなしておらず、彼に自身の義理の孫にあたるクラウディウスの指導を委ねていた。 |
| リウィウスのクラウディウスへの影響は、のちに皇帝となって行った弁論にリウィウスのローマ史観が忠実に織り込まれていることからも明白である。 |
| リウィウスの文体は、カエサルやキケロといった秀逸な書き手とは一線を画したものであり、詩的で古典的な文章であった。 |
| リウィウスはローマによるイタリアおよび地中海世界の征服についてローマ人の徳を強調するため、ローマ人に反抗する人々の視点から著述を行った。 |
| また詩的表現のため事実とフィクションの区別をそれほど行わなかった。 |
| このほか、過去の作家の記述も引用しているが、これらは過去の道徳的教訓として当時のローマ社会に資することを望んでのものであった。 |
| リウィウスの業績は、142巻にもわたる膨大なものであったが、そのうち1巻から10巻までと21巻から45巻までの計35巻については現存している。 |
| 1772年には、バチカン図書館で上書きされた写本(パリンプセスト)の下からおよそ1000語を含んだ第91巻が発見されている。 |
| また1900年ごろからエジプトでは、分量ははるかに少ないものの未知の断片を含むパピルス片が発見されている。 |
| 最近のものでは1980年代に第11巻の40語ほどの断片が発掘されている。 |
| リウィウスの業績は古代の時点で概要に要約にされており、1巻に要約されたものが現存している。 |
| またこの概要をさらに単なるリストにまで要約した''Periochae''と呼ばれるものも現存している。 |
| エジプトのオクシリンコス・パピルスからも、37巻から40巻までと48巻から55巻までの要約が発見されている。 |
| こうした要約から欠落している箇所についてある程度復元することができる。 |
| リウィウスはピクトル、クァドリガリウス、アセッリオ、ウァレリウス・アンティアスといった年代史家を自身の典拠として使用している。 |
| 対してアウレリウス・ウィクトル、カッシオドルス、エウトロピウス、フェストゥス、フロルス、グラニウス・リキニアヌス、パウルス・オロシウスなどはリウィウスの業績を参考にしている。 |
| ユリウス・オブセクエンスの『驚異の書』もリウィウスの抜粋を利用して書かれている。 |
受容
| 『ローマ建国史』は発表直後から賞賛を博した。 |
| この作品は全巻が書き終わる前から10巻単位で出版された。 |
| 歴史の記述に文学表現を織り交ぜた作品は古代から中世そして現代に至るまで高い評価を受け続けている。 |
| ダンテ・アリギエーリは、リウィウスをその作品中で高く評価し、またフランスのフランソワ1世はリウィウスに関連した美術作品を依頼している。 |
| さらには初代ローマ皇帝が後継者の家庭教師に選んだという事実はリウィウスの偉大な作家であり賢人であるとの名声をさらに高めることになった。 |
| また、リウィウスの取り扱った主題がローマ史の論点を書こうとする際に使われたり、作品の全体や一部が教科書として使用されたりした。 |
| ローマの成立と共和政初期を描いた最初の10巻と、第二次ポエニ戦争を主題とする第21巻から第30巻までの10巻は千数百年を経た現在でも多くの人々に愛されている。 |
| 最初の10巻についてはこれを素材に、ルネサンス期のニッコロ・マキャヴェッリは、共和制政治についての書『ティトゥス・リウィウスの最初の十巻についての論考』を書き上げている。 |
| リウィウスは韻文のウェルギリウスに対して散文でラテン文学の黄金期を代表する作家といえるだろう。 |
参考文献
| 鈴木一州訳『ローマ建国史(上)』岩波文庫。 |
| ピエール・グリマル『アウグストゥスの世紀』北野徹訳、白水社<文庫クセジュ>、2004年、170頁。 |
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1772年
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バチカン図書館で上書きされた写本(パリンプ... |
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