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プロフィール
- ティムールとは
- 生い立ち
- 有力者へ
- ティムール朝の確立
- 勢力の拡大
- 人物・逸話
- 禁断の棺
- 后妃
- 子
- 参考図書
- 外部リンク
- 関連サイト
ティムール(Tīmūr/Taymūr,1336年4月8日-1405年2月18日)は、中央アジアのモンゴル=テュルク系軍事指導者で、 ティムール朝の建設者(在位1370年4月9日-1405年2月18日)。ペルシア語による綴りにより忠実にティームールとも表記される。また、この名は中世モンゴル語ではTemür、現代ウズベク語ではTemurであり、 テムルとも表記される。語義は「鉄」を意味し、この名を持つテュルク系、モンゴル系の人物は少なくなかった。 ティムール自身、その覇道の最中、他の「 ティムール」という名を持つ男達と何度か戦っている。
生い立ち
| モンゴル部族の一分枝バルラス部の出自で、言語的にテュルク化し、宗教的にイスラム化したモンゴル貴族の家系に属する。 |
| 系譜によれば5代前の先祖・カラチャル・ノヤンはチンギス・ハーンの次男・チャガタイに仕えた有力な将軍であったが、ティムールがシャフリサブズの近郊で生まれたころには零落し、わずか数人の従者を持つに過ぎない小貴族であった。 |
有力者へ
| 若い頃のティムールは軍人階級の子弟として乗馬や弓術を学び、軍人としての鍛錬も受けていた。 |
| 叔父に勇猛で知られるハッジー・バルラスがおり、彼の師事を受けたという。 |
| この頃チャガタイ・ハン国は東西に分裂しており、混乱に乗じてティムールは従者を率いて家畜の略奪を行う盗賊のようなことをしていた。 |
| しかし徐々に優れた軍事指揮者としての才能をあらわして次第に人望を集め、20代の始め頃には300人の騎馬兵を従える西チャガタイ・ハン国の有力者へとのし上がっていった。 |
| 1360年、ティムールは部族の指導者にのし上がった。 |
| 同じ年に東チャガタイ・ハン国のトゥグルク・ティムールが侵攻してくると、ティムールはこれに従属してバルラス部の旧領を与えられた。 |
| 同時期にカラウナス部のアミール・フサインの妹を娶り姻戚となる。 |
| 1361年にはトゥグルク・ティムールより正式に部族の指導者として認められ、トゥグルク・ティムールの信任を得て息子のイリヤス・ホージャの養育係を授けられてマーワラーアンナフルの摂政、1万人隊の指揮官となったティムールだが、それから間もない1361年に理由は不明ながら家族や極少数の供回りを連れて故郷のバルガス部、ケシュへ逃亡した。 |
| 義兄のフサインと共に奪還を謀っていたティムールはシースタンの王子から傭兵として反徒鎮圧の仕事を受けるが、報酬を受け取る段になってシースタン側は反徒と結託、待ち伏せ攻撃を受ける事態に陥る。 |
| この時の戦いで片手片足を負傷し「跛行のティムール」を意味するTīmūr-iLang(''チムールレング''(ペルシャ語)、''タメルラン''(英語))のあだ名で呼ばれることとなる。 |
| その後、勢力伸張するティムールを叩くべく派遣したモグーリスタン・ハン国の軍勢をバルフ付近で撃破、隣国バダフシャン王国も打ち破り都市を占領する。 |
| その数ヶ月後の1363年にトゥグルク・ティムールが死去してその跡を継いだイリヤス・ホージャをケシュ付近の戦いで壊滅させ、マーワラーアンナフルの支配を果たした。 |
| だが、イリヤス・ホージャの反攻により起きたチナズ-タシケント付近の「泥濘の戦い」に於いて、関係に齟齬が生じていたティムール-フサイン間の意思疎通を欠いた西チャガタイ・ハン勢は予め雨に備えていたモグーリスタン・ハン国に敗れ、一時サマルカンドを失陥している。 |
ティムール朝の確立
| 覇権をめぐって衝突していたフサインとの関係が修復不可能なまでに悪化した。 |
| 1368年にフサインがハーン位を自称するとそれを口実に多くの味方を引き入れ、1370年に突如フサインの本拠地バルフを急襲する。 |
| フサインは捕らえられて殺害され、マーワラーアンナフルの覇権を確立した。 |
| これまでにティムールはバルラス部以外の有力部族を傘下に収めており、大モンゴル国の2代目だったチンギス・ハーンの三男・オゴデイの末裔であるソユルガトミシュという王子をハンに擁立。 |
| さらに同年、フサインの寡婦でチンギス・ハーンの子孫にあたる王女を妃に娶って、「チンギス家の娘婿(キュレゲン)」を称した。 |
| チンギス・ハーンの子孫ではないティムールとその後継者たちは自らハンに即位することはなく、他の遊牧部族の将軍たちと同じアミールの称号を名乗るのみであり、名目上はハンであるチンギス家の娘婿にしてハンの下にあるアミールの最有力者として振舞った。 |
| しかし現実には1370年に中央アジアにティムール家の権力が確立し、ティムール家による支配が行われたので、これをティムール朝(ティムール帝国)と呼ぶ。 |
勢力の拡大
| ティムールはチンギス・ハーンの築き上げた世界帝国の夢を理想としていたとされ、外征を繰り返した。 |
| マーワラーアンナフル統一を果たした後の10年間に東チャガタイ・ハン国の支配するモグーリスタン(東トルキスタン)へ遠征を繰り返し、コンギラト部族の支配するホラズムを併合、ジョチの末裔トクタミシュを支援してトクタミシュをジョチ・ウルスのハンに据え周辺の諸勢力を自己の影響下に置いた。 |
| 1380年からはイル・ハン朝解体後分裂状態にあるイランに進出してホラーサーンを征服、1386年から始まる3年戦役でアフガニスタン、アルメニア、グルジアなどまで支配下に置いた。 |
| 1388年、トクタミシュがティムール領を攻撃したのをきっかけに3年戦役を終了したティムールは、トクタミシュを破るとイランへの遠征を再開し、1392年から始まる5年戦役でムザッファル朝を滅ぼしてイラン全域を支配下に入れ、バグダードに入城してマムルーク朝と対峙した。 |
| ティムールはさらに北上してカフカスを越えトクタミシュを破り、ヴォルガ川流域に至ってジョチ・ウルスの都サライを破壊、ルーシ諸国まで侵入し、1396年に帰還した。 |
| 1398年、ティムールはインド遠征を決行し、デリー・スルタン朝を破ってデリーを占領した。 |
| 1399年に始まる7年戦役では、アゼルバイジャンで反乱した三男ミーラーン・シャーを屈服させ、グルジア、アナトリア東部からシリアに入ってダマスカスを占領、さらにイラクに入りモースルを征服した。 |
| ダマスカス占領の後の1400年には、学者としての名声が高かったイブン=ハルドゥーンとその地にて会見を行っている。 |
| 1402年、中央アナトリアに転進したティムール軍はアンカラの戦いでバヤズィト1世率いるオスマン朝軍を完膚無きまでに破ってオスマン朝の拡大を挫き、アナトリアのオスマン領をバヤズィトに領土を奪われた旧領主へ返還し帰還した。 |
| この遠征でかつてのモンゴル帝国の西半分がほぼティムールの支配下に入り、オスマン朝、マムルーク朝がティムールに名目上服属、ティムールの支配地域は大きく拡張した。 |
| 1404年末、ティムールは20万の大軍を率いて明を破り、元の旧領奪還を目指し中国遠征を開始した。 |
| しかし、ティムールは1380年代末より患っていた病のため(遠征開始時は既に容態は悪かった)遠征途上の1405年2月18日の夕刻、オトラルで病没した。 |
| 臨終の言葉は「神の他に神なし」と伝えられている。 |
| サマルカンドにカスティーリャ王国使節団(現在のスペインの大半)の一員ルイ・ゴンサーレス・デ・クラヴィホクラヴィホの日本語訳は、『遥かなるサマルカンド』(リュシアン・ケーレン編、杉山正樹訳、原書房、1998年-フランス語版を元にしている)の題名で出版されている。 |
| の旅行記があり、晩年と死の様子が描かれている(ただし客観性に欠け、曲筆や作り事が多い)。 |
人物・逸話
| ティムールはチンギス・ハーン以来の軍律や10進法で編成された騎兵にアジア地域の先進的な技術産業を活かした重装を施し、大砲や各種機械、爆発物、鉄砲を備える歩兵や工兵を付随させる等、軍備にも意を注いだ。 |
| ティムールは軍事にかけては天才的で、生涯に交えた戦いではほとんど負けたことがなく、また農村や都市の持つ経済的価値をよく理解しており、彼の帝国に於いてはヤサ法典が施行された。 |
| また、彼が科学者や法学者、知識人、技術者に対して非常に敬意を払っていた事もよく知られている。 |
| 都としたサマルカンドには様々な施設が建設・整備されて繁栄を極め、チンギス・ハーンと比較して俗に「チンギス・ハーンは破壊し、ティムールは建設した」(チンギスにとっては言い掛かり以上の何物でもないが)と言われる。 |
| しかし、敵が抵抗した場合、例えばデリー占領時は捕虜数万人を処刑、バグダードを占領したときも徹底した略奪・破壊を加える等、外征先では冷酷な破壊者でもあった。 |
| ティムール1代で築かれたティムール朝の支配はティムール個人への依存も大きく、『モンゴル・イスラーム・ペルシャ』の体制をベースに、テュルク人を主体とする支配組織とペルシャ人を主体とする行政機構が築かれたものの、後継者ムハンマド・スルタンの夭折もあり、死後、その帝国は分裂してゆく事となる。 |
| 「人を見下ろすほど背が高く、額が広く、頭が大きく、(略)たくましく、勇敢で、性格も素晴らしい。 |
| 肌の色は白く、赤みが混じっているが、黒くはない。 |
| 肩幅が広く、頑丈な腕をもっている。 |
| 指は太く、足は長く、申し分のない体格をしている。 |
| 長い口髭と荒れた手を持ち、片足が不自由で、目は炯々と光っている。 |
| 縦横の才気は無いが、声は力強い。 |
| 死を恐れない人物である。 |
| (略)彼はふざけたり、だましたりすることを好まない。 |
| 機知に富んだ話や競技に興じることもない。 |
| たとえ面倒な話であっても、真実こそが彼を喜ばせた。 |
| 不運を嘆くことは無く、幸運に嬉々とすることもなかった」(アフマド・ビン・アラブシャーの人物評より)。 |
| ティムールは戦傷が多く、矢に射られた傷が3ヶ所あったという。 |
| それらの傷のうち、膝関節の傷は癒着を起こし、残り2ヶ所の傷は肘と手に負っていたという(1941年のソ連の調査)。 |
| ティムールは中国遠征を1398年頃に計画していた。 |
| 明の朱元璋と友好関係を結んでいたが朱元璋が功臣を粛清し彼自身も高齢だったため、突如明の使者を抑留して絶縁した。 |
| しかしインド方面の進軍を孫のピール・ムハンマドが進言したため、やむなくインド遠征に変更したという。 |
| なお、中国遠征の目的は「偶像を祀る寺院を破壊し、その跡にモスクを建立することだった」という(ヤスディーの記録)。 |
| ティムールが強かったのは彼自身が軍略に長けていたことの他、軍が当時としては高度に組織化されていたことが挙げられる。 |
| 主力はチャガタイ遊牧民の弓騎兵であったが、それ以外にもイスラム教徒やキリスト教徒、トルコ人やタジク人、アラブ人、グルジア人、インド人など多文化的な性質を持つ軍で、モンゴル方式を踏襲して1000人隊が100人隊、100人隊が10人隊で構成される編成であり、命令は旗と太鼓の音で常に行なわれ、軍事技術と装備を点検するために閲兵式を定期的に行なっていた。 |
| ティムールは部下に対して俸給を与えることを惜しまず、忠誠心や功績ある者には惜しまず免税や特別な褒賞を与え、本人が戦死した場合は未亡人や子孫に褒賞を与えることで部下を尊重した。 |
| ティムールは軍中にある掟を制定していたが、それには「臣下や兵士を鼓舞するため、余は自分のために金や宝石を蓄えることはしなかった。 |
| 余の食卓に部下たちを招くと、その返礼として、彼らは戦場で余に命を預けてくれるのだ」とある。 |
禁断の棺
| グリ・アミール廟(『アミールの墓』の意)にある彼の黒石の棺の裏には「私がこの墓から出た時、最も大きな災いが起こる」というような言葉が刻印され、棺は開封されることなかった。 |
| しかし、1941年6月19日になってソ連の調査により初めて開封され、脚の障害などが確認された。 |
| 存在するティムールの像は、この際にミハイル・ゲラシモフが行った復顔術の成果によるものである。 |
| しかし、そのわずか3日後、バルバロッサ作戦(ドイツによるソ連への奇襲)が実行され、これがソ連から見た第二次世界大戦の戦端となった。 |
| のちに畏怖を抱いたソ連によって蓋が鉛で溶接され、これ以後二度と開封されていない。 |
后妃
| タガイ・タルカン・アーガー・カラキタイ側室でシャー・ルフの生母。 |
| 他に確認されているだけで25人の側室がいる。 |
参考図書
| 『歴史群像No.75草原の覇者ティムール』学習研究社、2006年。 |
| フランシス・ロビンソン『ムガル帝国歴代誌』(創元社.2009年5月)。 |
外部リンク
| bat-smg:Timūrs。 |
| be-x-old:Тымур。 |
| fiu-vro:Timur。 |
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1360年
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ティムールは部族の指導者にのし上がった |
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1363年
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トゥグルク・ティムールが死去してその跡を継... |
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