| 1986年、ドラフト2巡目27位でデトロイト・ピストンズへ入団。 |
| ルーキーシーズンはベンチから出場した。 |
| 翌シーズンは出場時間を延ばし、平均11.6得点、8.7リバウンドの成績を残した。 |
| この時期のピストンズはチームとして急成長を続けており、優勝を伺える位置に近づきつつあった。 |
| ポイントガードのアイザイア・トーマス、センターのビル・レインビアを擁し、監督チャック・デイリーに率いられたチームは、乱暴なプレイすら厭わない激しいディフェンスで知られ、バッドボーイズと呼ばれた。 |
| レインビアやリック・マホーン、ジョン・サリーとともに、ロッドマンもバッドボーイズを構成する重要な一員だった。 |
| 彼らは「勝つために手段を選ばない」「やり方が汚い」とリーグ中で嫌われ、NBAに対し公式に抗議するチームもあった。 |
| この頃のロッドマンは、細身で主なポジションはスモールフォワードだった。 |
| 平均得点は10点ほど取っておりディフェンスやリバウンドでもチームにますます貢献するようになっていた。 |
| ピストンズはイースタン・カンファレンスを支配していたボストン・セルティックスを脅かすようになり、1987年には52勝30敗とカンファレンス屈指の強豪になっていた。 |
| このシーズンのプレイオフ、ピストンズはカンファレンス・ファイナルまで進み、セルティックスを第7戦まで追い詰めるものの一歩及ばず敗退した。 |
| セルティックスに敗れた後、ロッドマンとチームのエース、アイザイア・トーマスは、セルティックスのスター選手で、史上最高の白人選手としての呼び声も高いラリー・バードに対し「白人だからもてはやされているに過ぎない」と発言し、物議を醸した。 |
| その後トーマスとロッドマンはバードに謝罪し、バードはこれを受け入れた。 |
| 翌1988年、ピストンズはついにNBAファイナルに進出するが、第7戦まで競った末マジック・ジョンソンのロサンゼルス・レイカーズに敗れた。 |
| 続く1988-89シーズン、ピストンズはリーグ最高の63勝19敗をマーク。 |
| ロッドマンは初めてオールNBAディフェンシブファーストチームに選出され、優秀なディフェンダーであることを示した。 |
| ピストンズはNBAファイナルに進み、怪我で主力を欠いたレイカーズを4戦で下して優勝を果たした。 |
| 1989-90シーズンのピストンズはリーグ2位タイの59勝をあげ、3年連続でファイナルに進出。 |
| ポートランド・トレイルブレイザーズを4勝1敗で退け、2年連続の優勝を決めた。 |
| ロッドマンはこのシーズン初めてNBA最優秀守備選手賞に輝き、インタビュアーの前で男泣きして見せた。 |
| 翌1990-91シーズンにも同じ賞を受賞、ロッドマンは2年連続でリーグ最高のディフェンダーとして認められることとなった。 |
| 2連続優勝を成し遂げた「バッドボーイズ」ピストンズは絶頂期にあり、強引とも言える強力なディフェンスは一世を風靡したが、同じ地区のライバルチームシカゴ・ブルズは着実に力を着けていた。 |
| 1991年のプレイオフ、イースタン・カンファレンス・ファイナルでピストンズはブルズと対戦。 |
| 過去3年連続でピストンズに敗退してきたブルズは、このシリーズでピストンズを圧倒した。 |
| 3戦全敗で迎えた4試合目、ロッドマンはブルズのスコッティ・ピッペンをコート外の観客席まで突き飛ばし、「ホモといっしょにいるのはうんざりだ」と罵った。 |
| ピッペンは顎を縫う怪我を負った。 |
| それでもブルズは115対94でこの試合に圧勝。 |
| バッドボーイズの覇権は2年間で終わりを告げた。 |
| 翌1991-92シーズン、ロッドマンのシーズン平均リバウンド数は18.7で、リーグのリバウンド王となった。 |
| この平均リバウンド数は20シーズンで最高の数字だった。 |
| ロッドマンはこのシーズンから7年連続でリバウンド王の座を保ち続ける。 |
| 次の1992-93シーズン、ロッドマンは年平均リバウンド数が18.3本と変わらず素晴らしい水準だったがチームの勝ち数は40勝まで落ち、シーズンを負け越していた。 |
| ロッドマンはこの時期大いに悩んでおり、ある晩ライフルを持ってトラックの中にいるところを発見されるという事件があった。 |
| この時ロッドマンは自殺を考えたが、自分の中の「もう一人の自分」を撃ち殺して生まれ変わった、とのちに自伝で語っている。 |
| このシーズンが終わると、ロッドマンはサンアントニオ・スパーズにトレードされた。 |