| 1978年、ニック・ローズ(キーボード)、ジョン・テイラー(ギター)、サイモン・コリー(ベース)、スティーヴン・ダフィ(ヴォーカル)の4人によって結成される。 |
| ところが半年後にコリーとダフィが脱退。 |
| すぐに代わりのヴォーカルとしてアンディ・ヴィケットが加入する。 |
| そして、その年の暮れにロジャー・テイラー(ドラム)が加入。 |
| しばらくは、この4人で活動する。 |
| なお、ニック・ローズは、デュラン・デュラン結成時まで、キーボードの演奏歴がほとんどなく、取材に対して「自分はタイプライターを叩くのが上手だったので、キーボードもすぐに上達すると思った」と答えている。 |
| 1979年、ヴォーカルのアンディが脱退。 |
| 1980年、後任のベーシスト探しが難航し、ジョン・テイラーがベーシストへ転向する。 |
| そしてジェフ・トーマス(ヴォーカル)、アラン・カーティス(ギター)が加入しバンドは5人編成となる。 |
| ところが数か月後にジェフとアランは脱退。 |
| そして後任のギタリストとしてアンディ・テイラーが加入。 |
| しかしヴォーカル探しは難航しバンドはオーディションに踏み切る。 |
| そんな中、サイモン・ル・ボンがヴォーカルとして採用される。 |
| 採用された理由は「ルックスの良さ」「魅力的な声」「歌が上手い」そしてオーディションを受けた人たちの中でル・ボンだけが「詩や曲を書き溜めたノート」を持参していたからである。 |
| 曲も書けて歌の上手いヴォーカルとしてル・ボンはバンドに迎え入れられ、ようやくメンバーが固定される。 |
| 1981年2月、シングル「プラネット・アース」(英12位)でデビュー。 |
| 4月、シングル「ケアレス・メモリーズ」(英37位)リリース。 |
| 6月、1stアルバム『デュラン・デュラン』リリース。 |
| 全英チャートで3位を記録。 |
| 2度目の全英ツアーを行う。 |
| 7月、シングル「グラビアの美少女」(英5位)リリース。 |
| 9月、パリ、ブリュッセルなどでライヴ。 |
| その後、全米ツアーを行う。 |
| 11月、シングル「マイ・オウン・ウェイ」(英14位)リリース。 |
| 12月、3度目の全英ツアーを行う。 |
| 1982年4月、PV撮影のため、スリランカへ。 |
| 4月25日〜5月1日、初来日公演。 |
| 東京、大阪、名古屋で5公演を行う。 |
| 5月、シングル「ハングリー・ライク・ザ・ウルフ」(英5位)リリース。 |
| 2ndアルバム『リオ』(英2位)リリース。 |
| 6月から8月にかけて、北米ツアーを行う。 |
| 8月からはブロンディーのオープニング・アクトだった。 |
| 8月、シングル「セイヴ・ア・プレイヤー」(英2位)リリース。 |
| 9月から10月に、ヨーロッパ・ツアーを行う。 |
| 10月30日から、全英ツアーを行う。 |
| 11月、シングル「リオ」(英9位/アメリカでは1983年4月、最高位14位)リリース。 |
| 12月、ビルボード・チャートに「ハングリー・ライク・ザ・ウルフ」が77位に初登場。 |
| 1983年3月、最高位3位を記録。 |
| 1983年3月、シングル「プリーズ・テル・ミー・ナウ」(英1位/米4位)リリース。 |
| 4月、映像クリップ集『デュラン・デュラン』リリース。 |
| 6月、1stアルバム『デュラン・デュラン』に「プリーズ・テル・ミー・ナウ」を追加収録して、アメリカと日本で再リリース(米10位)。 |
| :アルバム『リオ』が、アメリカで最高位6位を記録。 |
| 7月、イギリス王室主催のチャリティ・コンサートに出演。 |
| 9月、ジョンとロジャーが、プロモーションのため来日。 |
| 10月、シングル「ユニオン・オブ・ザ・スネイク」(英3位/米3位)リリース。 |
| 11月、3rdアルバム『セヴン&ザ・ラクド・タイガー』(英1位/米8位)リリース。 |
| 12月、全英ツアー開始。 |
| 1984年、シングル「ニュー・ムーン・オン・マンデイ」リリース。 |
| そして「ザ・リフレックス」が全米(6月23日付〜6月30日付の2週連続)、全英で初のシングルチャートNo.1を獲得。 |
| 続く「ワイルド・ボーイズ」は全米(12月15日付〜1985年1月5日付の4週連続)、全英共に第2位だった。 |
| 1985年、シングル「セイヴ・ア・プレイヤー」(米16位)がアメリカで発売。 |
| ジョン・テイラーとアンディ・テイラーがドラマーに元シックのトニー・トンプソン、ボーカルにロバート・パーマーを従えパワー・ステーションを結成。 |
| サイモン・ル・ボン、ニック・ローズ、ロジャー・テイラーはアーケイディアを結成し、アルバムにスティングやデヴィッド・ギルモア、土屋昌巳などの参加で話題を呼ぶ。 |
| 同年7月13日に行われたライヴエイドに参加(参加会場は母国のイギリスではなくアメリカ・フィラデルフィアのJFKスタジアム)。 |
| 「007美しき獲物たち」「ユニオン・オブ・ザ・スネイク」「セイヴ・ア・プレイヤー」「ザ・リフレックス」を披露。 |
| なおパワー・ステーションも参加している。 |
| そしてシングル「007美しき獲物たち」が2週連続第1位(7月13日付〜7月20日付)を獲得(なお全英では第2位)。 |
| ロジャー・テイラー実家の農家に専念するために脱退。 |
| 後にアルバム『サンキュー』に2曲参加)とアンディ・テイラー(アルバム『ノトーリアス』に数曲参加)が脱退する。 |
| 1986年、ニック・ローズ、ジョン・テイラー、サイモン・ル・ボンの3人で活動は続行。 |
| アルバムのセッションには後にメンバーとなるフランク・ザッパ~ミッシング・パーソンズのウォーレン・ククルロ(ギター)、及び元アヴェレージ・ホワイト・バンドのスティーヴ・フェローン(ドラム)が参加。 |
| 1987年、シングル「ノトーリアス」が全米2位(1月10日付)を記録(全英7位)。 |
| 1988年、シングル「アイ・ドント・ウォント・ユア・ラヴ」が12月3日付のチャートで全米4位(全英14位)を記録。 |
| この曲を最後にしばらくバンドはトップ10ヒットから遠ざかる。 |
| 1989年、アルバム『リバティ』の発表時よりバンドはツアーを行わず、「すぐにレコーディングに取り掛かる」と宣言。 |
| ウォーレン・ククルロとスターリン・キャンベル(ドラムス)が正式メンバーとして迎え入れられる。 |
| 1990年、クリスマス前、スターリンがニューヨークへ帰り、それっきり戻って来なかった。 |
| 1991年、4人での活動を始める。 |
| 1993年に発表のアルバム『デュラン・デュラン(ザ・ウェディング・アルバム)』からのシングル「オーディナリー・ワールド」と「カム・アンダーン」の大ヒットでシーンに復活。 |
| 新しい世代のファンの獲得に成功する。 |
| 1997年、バンド結成時からのメンバーであったジョン・テイラーが脱退。 |
| 再びバンドは停滞期に突入する。 |
| 2001年、オリジナルメンバー5人が再会し、再び5人揃って活動を開始。 |
| それを受けてウォーレン・ククルロがバンドを脱退。 |
| 2003年、日本を皮切りに米国、豪州などでツアーを展開、成功を収める。 |
| 2004年、復活第一弾アルバム『アストロノート』を発表。 |
| 2005年、ロジャー・テイラーが足の小指を「骨折」した為、予定されていた日本ツアーをすべてキャンセル。 |
| しかし、日本ツアー予定日当日にロジャー・テイラーが元気にドラムを叩く姿が海外で放送された為、各方面で物議を醸す。 |
| 代わって8月、summersonic2005の東京・大阪両会場で公演。 |
| 2006年、アンディ・テイラー再度脱退。 |
| 2007年7月1日、コンサート・フォー・ダイアナに参加。 |
| 7月7日、LiveEarthコンサートに参加。 |
| 11月、アルバム『レッド・カーペット・マサカー〜美しき深紅〜』発表。 |
| 2010年、12月21日、マーク・ロンソンをプロデューサーに迎えたアルバム『AllYouNeedIsNow』をiTunesStore先行で発表。 |