| ケープ・コッドの漁師の家に生まれる。 |
| 5歳のクリスマスにスケート靴をプレゼントされてスケートを始めるが、当初両親はアイスホッケーを教えるつもりであった。 |
| しかしジャンプやスピンに興味を持っていたトッドは両親に直訴してフィギュアスケートを習い始める。 |
| 両親はトッドの興味がどこまで続くものか半信半疑であったが、トッドはやがて幼稚園に行く前にも帰った後にもリンクに連れて行くようせがむようになる。 |
| トッドの情熱は本物だった。 |
| 7歳になる頃にはフィギュアスケート教室のサマー・キャンプに参加するようになり、10歳までには有力な少年選手の一角を占めるようになっていた。 |
| もはや地元ではこれ以上トッドの才能を伸ばせないことに気付いた両親は、渋々ながらもトッドをフィラデルフィアにホームステイさせて、より有力なコーチに師事させることを選ぶ。 |
| この決断は正解であった。 |
| トッドは10年に1度というレベルの天才だったのである。 |
| 1985年にはノービスの国内王者、1987年にはジュニア王者、1988年にはジュニア世界王者となる。 |
| いずれも当時最年少での戴冠である。 |
| 1990-1991シーズンには18歳で全米選手権を制し、世界選手権も3位となる。 |
| トッドの将来は輝かしいものに思えたが、彼を背中の故障が襲う。 |
| この故障は長引き、3シーズンを棒に振ることになる。 |
| 1994-1995シーズン、ようやく故障から復活したトッドはNHK杯で1位(2位はフィリップ・キャンデロロ)で再び注目を浴びる。 |
| スケートアメリカ1位、全米選手権1位と破竹の勢いで世界選手権に臨むも、プログラム2回目の3回転アクセルで転倒してしまう。 |
| 意を決したエルドリッジは最後の2回転アクセルを即席で3回転アクセルに変更し見事成功する。 |
| その意欲的な行為は大きな感動を呼んだ。 |
| この時、キャンデロロのコーチが『同じ種類のジャンプを3回試みることはルール違反であり、減点されるべきだ』と抗議したが、最終的には減点されなかった。 |
| エルドリッジは2位、優勝したのはエルビス・ストイコであった。 |
| 1995-1996シーズンは全米選手権でルディ・ガリンドに敗れて2位となる。 |
| この敗戦をバネにしたトッドは世界選手権で全てのジャンプを美しく着氷し念願の優勝を果たした。 |
| 1996-1997シーズン インディペンデンス・デイのサウンドトラックにのせてスケート・アメリカ、ラリック杯ともに1位。 |
| スローパートでのスケーティングの清潔な美しさは極めて高い評価を得た。 |
| 世界選手権では2回目の3回転アクセルが1回転となり、95年同様、プログラム最後の2回転アクセルを3回転アクセルに変更するが転倒、ストイコに次ぐ2位に終わる。 |
| 97-98シーズン 長野オリンピックのため、プログラムに4回転を入れるかどうかコーチと悩み、最終的に4回転を入れないことでシーズンを迎えた。 |
| ライバルのストイコ、イリヤ・クーリックは4回転をプログラムに入れている。 |
| 当時、旧採点システムでは4回転を成功させるかさせないかで 評価は大きく分かれた。 |
| 俗に言われる「空中戦の時代」である。 |
| 4回転をプログラムに入れていないエルドリッジはそれだけで技術的な基礎点を下げられてしまった。 |
| 長野オリンピックのショートプログラムではほとんどミスの無い演技であったが3位。 |
| (1位:クーリック、2位:ストイコ)あまりにも完成度の高いエルドリッジの演技にテレビ解説の五十嵐文男氏も思わず「惜しかったですね」と本音を漏らし、ゲストの伊藤みどりは「わたしはエルドリッジが一番だと思ったんですけどね」と言った。 |
| フリースケーティングでは冒頭に3回転-3回転のコンビネーションを2つ用意していたが、着氷が不安定になったため、2つとも3回転-2回転のコンビネーションに変更せざるを得なかった。 |
| そこから彼は動揺し、彼にとって簡単な3回転のジャンプでさえ、危うくバランスを崩しかけてしまう。 |
| 最後に逆転する為に、2回転アクセルを飛ぶ予定を急遽3回転アクセルのコンビネーションにしようと試みるも転倒してしまった。 |
| 最終的にショート5位のキャンデロロに逆転されて4位に終わる。 |
| 長野オリンピックの後の世界選手権では、4回転をプログラムに入れていないというだけで、技術点で平均5.4という低い評価を受けねばならなかった。 |
| その後、アマチュア資格を保持しつつ、各種大会に出て成績を残すが、旧採点システムでは4回転をプログラムに入れていないと優勝を狙うほどの点数は得られなかった。 |
| 2001-02シーズン、ソルトレイクシティオリンピックのショートプログラムで4回転-2回転を躓きそうになりながらも堪えて成功させる。 |
| フリースケーティング「TheLordoftheRings」では31歳ながら果敢に4回転ジャンプにも挑戦し(転倒)、ファンの感動を呼んだ。 |
| 同世代のライバル、エルビス・ストイコはフリーでの滑走順がエルドリッジの直後であったが、リンクに入る時にエルドリッジと手を合わせてお互いの健闘を称えたシーンや、ストイコのフリープログラム終了後「(アマチュアとしては)全てをやり終えた」といった表情で抱き合ったシーンがファンの感動を呼んだ。 |
| 最終的に6位に終わる。 |