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プロフィール
- トミ・マキネンとは
- 経歴
- 三菱時代
- スバルへ移籍、引退
- 引退後
- 特徴
- エピソード
トミ・マキネン(,1964年6月26日-)は、フィンランド出身の元ラリードライバー。1995年からは三菱自動車のモータースポーツ部門三菱ラリーアートチームの一員となりWRCでランサーエボリューションを駆り4年連続ドライバーズチャンピオンに輝いた。2003年限りでラリードライバーを引退し、現在は2004年から始めた故郷のフィンランドで、スバルのグループNラリーカーを輸入・製作・販売・開発などを行う「トミ・マキネン・レーシング」という事業を行っている。日本国内では「トンミ・マキネン」「トミー・マキネン」と表記される場合があるが、一般には「 トミ・マキネン」と表記される。
経歴
| 1985年に地元の実業家、ティモ・ヨキや同郷の先輩、ユハ・カンクネンらの援助でラリーを始める。 |
| 最初のマシンはフォード・エスコートRS2000であった。 |
| 1987年にWRCデビューを果たすものの、後に鎬を削ることとなるコリン・マクレーやカルロス・サインツらがチームの強力なバックアップを受けて活躍していたのとは対照的に、1991年にマツダ、1992年には日産に加入と、チームもマシンにも恵まれず、三菱とランサー・エボリューションとともに表舞台に立つまで、フィンランド国内選手権やイタリアラリー選手権、あるいはスポットでWRCに出場するなど、不遇の時期を送っていた。 |
| エースのフランソワ・デルクールの交通事故以来、低迷を続けていたフォードがそのカンフル剤として彼に白羽の矢を立てた。 |
| ディディエ・オリオールとカルロス・サインツのタイトル争いが過熱していたこの年、マキネンは見事にエスコートを乗りこなし、終始二人を圧倒して初優勝を成し遂げた。 |
| この活躍により、後に共に成功の階段を歩む三菱との契約を果たす。 |
三菱時代
| 三菱での最初のラリーとして1994年のサンレモラリーにスポット参戦し、結果はリタイヤだったが、後にマキネンの走りを支えることとなる三菱の宝刀、アクティブ・デフを初投入した非常に意義のあるラリーだった。 |
| フル参戦初年度の1995年は、前年に投入した電気式アクティブデフの威力とマシンの改良が功を奏し、マキネンも持ち前の速さを遺憾なく発揮する。 |
| 2戦目のスノーイベントのスウェーデンではその成果が表れ、チームオーダーによりチームメイトのケネス・エリクソンに勝利を譲るという後味の悪さは残ったものの、マキネンの速さが際立ったラリーだった。 |
| その後のラリーでもマキネンは速さは見せるものの、結果に結びつかないラリーが多く、この年は散発的な結果に終わる。 |
| 翌1996年は三菱本社の予算縮小の煽りを受け、1台体制がメインとなるも、チームはマキネンのタイトル獲得に戦力を集中させる。 |
| 彼は前年の不安定感を克服して、シーズンを通して安定した速さを見せた。 |
| 最終的に全9戦中5勝を挙げ、第7戦オーストラリアで初のWRCドライバーズ・タイトルを獲得した。 |
| この年を境にマキネンとランエボは目覚しい活躍をみせる。 |
| 1997年に新しくWRカー(ワールド・ラリーカー)規定が導入され、ライバルのスバル・フォード・トヨタがWRカーを投入したが、三菱はグループAを貫き、ランエボⅣを投入。 |
| マキネンとランエボは最終戦までスバルとマクレーとの熾烈なタイトル争いを繰り広げ、わずか1ポイント差でマクレーを下しタイトルを獲得した。 |
| その後もWRカー勢に対抗し、三菱もワイドトレッド化とエアロダイナミクスを改善したランエボⅤ、Ⅵを投入した。 |
| 伝家の宝刀、アクティブ・デフも進化し、マキネンとのコンビネーションは圧倒的な速さでWRCを席巻した。 |
| 1998年と99年もタイトルを防衛し、98年は三菱初のマニュファクチャラーズ・タイトル獲得にも貢献し、まさにマキネン、ランエボの絶頂期であった。 |
| だが、改造範囲の広いWRカーがより戦闘力をつけるとともに、マキネンとランエボの走りにも陰りが見え始め、グループAのランサーがWRカーの規約にあわせた修正(フロント、リアスポイラー)を余儀なくされる不条理な事態も発生するようになった。 |
| 2000年シーズンにはその年からフル参戦を開始したプジョーのマーカス・グロンホルムにチャンピオンを奪われ、マキネンはシーズン5位に終わった。 |
| このような時代の変化に伴い、ついにチームは2001年に長年に渡って拘ってきたグループAからWRカーへの転換を発表した。 |
| その特例でフライホイールの軽量化、リアサスペンションストロークの増大を施したランサー・エボリューション・トミマキネンエディション(通称:エボ6.5)は開幕戦から3勝をマークした。 |
| その後、第11戦サンレモからWRカーであるランサーエボリューションWRCを投入するも、最終戦までの4戦中3戦でリタイヤし、わずか1ポイントを得たのみだった。 |
| その結果最終戦までもつれたチャンピオン争いに敗れシーズン3位に終わった。 |
| 2002年、マキネンは7年間過ごした三菱を離れ、これまで鎬を削ってきた宿命のライバル、スバルへと移籍する。 |
スバルへ移籍、引退
| 新天地スバルに移籍していきなり初戦のモンテカルロで優勝、キプロスで総合3位、翌2003年のスウェーデンでも総合2位に入るなど、三菱時代のかつての勢いを取り戻しつつあったが、若手(セバスチャン・ローブ/マルコ・マルティン/ペター・ソルベルグ)やプジョー&マーカス・グロンホルムの台頭もあって、2003年、地元フィンランド終了後に本年限りでの引退を表明。 |
| 同郷の後輩、ミッコ・ヒルボネンにシートを譲った。 |
| 結局2002年のモンテカルロが現役時代の最後の優勝となった。 |
| そして最後の表彰台は2003年の最終戦であるグレートブリテンラリーの総合3位。 |
| この年、当時のチームメイトのペター・ソルベルグがドライバーズタイトルに輝いており、世代交代を印象づけるかのように現役最後の花道を飾った。 |
引退後
| 現役引退後の現在はスバルのグループNラリーカーを輸入・製作・販売・開発を行うビジネスを展開している。 |
| また、スバル・インプレッサWRXSTiの市販車開発テストに2010年現在もテストドライバーとして参加している。 |
| また、2004年のラリー・ジャパン初開催時はゼロカーをドライブ。 |
| 久々の走りを披露し日本のファンに元気な姿を見せている。 |
特徴
| マキネンのレース運びの特徴は、得意なステージでライバルに差をつけ、終盤はライバルのペースをみながらリードを保ち勝利を得るというものだった。 |
| 特にモンテカルロや地元のフィンランドではより鮮明に表れていた。 |
| フィンランド人ドライバーであるが、ターマックラリーも得意であり、1997年のカタルニアでスバルのピエロ・リアッティを7秒差で下して勝利したときを境に、モンテカルロでは99年~2002年に4年連続で、サンレモラリーでは98年と99年に2年連続で勝利を飾っている。 |
| 特にモンテカルロとの相性は抜群で、1997年には総合3位、99年~2002年では前述の通り史上初の4連覇を達成している(ただし、98年と2003年はリタイヤに終わっている)。 |
| ちなみに、1シリーズにおける連覇記録はターマックがモンテカルロの4連覇、グラベルがフィンランドの5連覇で両方とも史上最多記録である。 |
| しかもターマック、グラベル両方共の記録を持つのは史上初。 |
| この1シリーズにおける連覇記録は現在でも破られていない。 |
| しかし、ツイスティで独特なコースが特徴であるツール・ド・コルスとの相性は良くなく、初出場の1997年は6速全開で突如、コース上に現れた牛と激突して、30メートル崖下に転落してリタイア。 |
| 崖からの転落にも関わらず、マシンは前後が大きく潰れるだけで済み、奇跡的にも無傷であった。 |
| 翌1998年はECUのトラブルで、三菱最後の出場となった2001年もニューマシンの熟成が進まず、岩に激突、転倒し崖に転落する寸前で止まる大事故となった。 |
| この事故で長い間コドライバーを務めたリスト・マニセンマキが背中を痛め長期休養し、カイ・リンドストロームに交代することとなった。 |
エピソード
| カンクネンらと同じく、フィンランドでは敏腕でならしたティモ・ヨキの援助でラリーを始めたが、チームやマシンに恵まれず、その長い下積み時代は苦労していた。 |
| ちなみに、同じフィンランド人であるマーカス・グロンホルムも長い下積み時代に苦労していた。 |
| 4年連続ドライバーズタイトル獲得を記念して、「ランサーエボリューションVIトミ・マキネンエディション」が1999年に販売された。 |
| ドライバーの名前が与えられた車は、彼の他を挙げればトヨタ・セリカGT-Four(ST185)のカルロス・サインツと、シトロエン・C4の特別仕様車"C4byLOEB"のセバスチャン・ローブくらいで、非常に稀有な存在である。 |
| 1995年を除き、チャンピオン争いをしていた三菱時代は絶対的なエースとしてチームに君臨していた。 |
| そのため、一緒に組んだチームメイトが他のチームに移籍したり、または成績が下降していった例も存在する。 |
| 1999年-2001年まで三菱のセカンドドライバーとして在籍していたフレディ・ロイクスは、将来のチャンピオン候補と謳われながらも、マキネン中心のチーム運営に馴染めず、表彰台争いをしていたトヨタ時代より明らかに成績が低迷した。 |
| 1996年-1998年までチームメイトであったリチャード・バーンズは在籍中の1998年に初勝利を含む2勝を挙げ、その後スバルに移籍しチャンピオン争いの常連となった。 |
| 先輩のカンクネンが社交的で口数が多かったのとは対照的に、寡黙だった。 |
| しかし、引退後に出演した日本の車関連のビデオでは陽気な一面も覗かせた。 |
| マキネンの先代チャンピオンであるコリン・マクレーが2007年に事故死したときには大変ショックを受けていた。 |
| 最後のラリーとなった2003年最終戦グレートブリテンでは、サービスパークでの車中で2人で話しあうなど、長年しのぎを削りあってきた友人だった。 |
| ライバルであったマクレーの突然の死は彼にとって人生最大の悲しみであったとも言える。 |
| スバルに在籍していた際、ある雑誌のインタビューで三菱が2003年にWRC活動を休止した事について「立場もあるからコメントしにくいね。 |
| ただ、かつて在籍していたチームが参戦しないのは非常に残念なことだ」と答え、かつて王座に君臨していた頃の古巣に対する突然の活動休止を惜しんだ。 |
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1964年
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トミ・マキネン(, )は、フィンランド出身の... |
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1985年
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地元の実業家、ティモ・ヨキや同郷の先輩、ユ... |
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