| ブラックホークスでは、エド・ベルフォア(EdBelfour)の控えに甘んじ、2シーズンでわずか25試合の出場に止まった。 |
| 1993年の夏には、ハシェックはバッファロー・セイバーズにトレードされたが、これを契機にハシェックはNHLのトップゴーリーとして花開いた。 |
| ハシェックは、最優秀ゴーリーに与えられるヴェジーナ賞を6度、ハート記念賞、レスター・B・ピアソン賞を各2度獲得している。 |
| また、セーブ率首位を6度、オールスター戦の第1チーム出場を5度果している。 |
| 1998年冬期長野オリンピックでは、チェコチームを率いて同チームに金メダルをもたらした。 |
| 特に決勝戦ではロシアチームを完封した。 |
| シード6カ国の中では弱小と思われたチェコだったがヤロミール・ヤーガーが挙げる数少ない得点をハシェックが神がかりなセーブで守り抜くという同国が誇る2枚看板中心の戦術で臨んだ。 |
| これがトーナメントの短期決戦にはピタリとはまり、見事同国初の金メダルに貢献した。 |
| プラハでの祝勝会は数十万人の観衆で溢れたという。 |
| また、この勝利を題材にしたオペラ「ナガノ」が作られた。 |
| 2001年、スタンレー・カップ以外のものはほとんど獲得したといえるハシェックは、当時下馬評が高かったデトロイト・レッドウィングスに移籍する。 |
| そして、2001-2002シーズン、ハシェックの念願かなって、チームは会長賞とともにスタンレー・カップを獲得する。 |
| 2001-2002のシーズンオフにハシェックは引退をするのだが、その1年後再びレッドウィングスに現役復帰を果す。 |
| 当時、デトロイトのゴーリーにはカーティス・ジョセフ(CurtisJoseph)がおり、ハシェックとともに高額の年俸を要した。 |
| 他チームもカーティス・ジョセフの高額年俸には難色を示し受入れを拒んだため、レッドウィングスのチーム内に緊張をもたらした。 |
| 2003-2004シーズンは、ハシェックにとっては鬼門の年で、股関節を故障した。 |
| 2004年1月9日、彼は怪我の治療のため2-4週間の休養をとることでチームと合意した。 |
| 当時、ハシェックはマネージャーのケン・ホランド(KenHolland)に欠場期間の報酬返上を願い出たとされるが、このときにはその事実は公表されなかった。 |
| 2月10日になると、そのシーズンの出場を見合わせる旨を発表し、レッドウィングス首脳部を困惑させた。 |
| 3月12日にホランドとハシェックの会談が持たれ、報酬返上の事実を報道陣に伝えた。 |
| このときの返上額は、年俸6百万ドルのうちの半分、3百万ドルであったとされる。 |
| ハシェックは同時代を代表するゴーリーでありながら、またトラブルメーカーとしても知られている。 |
| 1996年のプレイオフ時には、当時コーチのTedNolanを解雇させなければ、今後バッファロー・セイバーズではプレイしないと発言した。 |
| ハシェックはこの言葉を実行し、次のラウンドではセイバーズが敗れるのをスタンドで観戦したこともあった。 |
| 翌シーズンNolanはチームを去るが、彼を慕うセイバーズの選手達は一様に憤慨したと言われている。 |
| また、2001年のプレイオフでは、トレードかさもなければ引退かを要求した。 |
| この要求もとおって、ハシェックはレッドウィングスへ移籍した。 |
| 2004年4月、ハシェックはプラハで股関節の手術を行い、故郷Pardubiceで体力を回復した。 |
| 6月17日、チェコのメディアに対し、2004-2005シーズンはレッドウィングスでプレーしない旨を発表した(結局このシーズンは、ストライキのためシーズン自体が中止となる)。 |
| このインタビューでは、スタンレー・カップを争えるようなチームでプレイしたいとし、特にオタワ・セネターズの名前を移籍候補としてあげた。 |
| その後、セネターズはハシェックと複数年契約を行った。 |
| 2005-2006シーズン、ハシェクは順調な滑り出しを見せ、リーグトップクラスの成績を挙げていた。 |
| しかし、2006年トリノオリンピックチェコ代表として出場し、その1試合目の途中に足を故障している。 |
| その故障によってオリンピックの残り試合及びNHLのシーズンを棒に振ることになる。 |
| チームはプレイオフに進出し、ハシェクが復帰するのではないかという憶測が流れたが、結局復帰することは無くシーズンを終了した。 |
| 2006シーズン終了後のオフに、ハシェクはデトロイト・レッドウイングスと契約し、古巣に復帰する事となった。 |
| 2007年には守護神として活躍したものの、2008年にはクリス・オスグッドの復活もあり、控え的な立場になったこと、チームが6年ぶりにスタンリーカップを獲得したことなどもあり、3度目の引退を宣言した。 |