| 1906年9月25日、ロシア帝国の首都サンクトペテルブルクに生まれる。 |
| 1915年春、両親に連れられて初めて劇場を訪れ、オペラ(リムスキー=コルサコフの《サルタン王の物語》)を観る。 |
| 夏には母親から初めてのピアノのレッスンを受ける。 |
| 秋、シドルフスカヤ商業学校に入学。 |
| 1916年グリャッセール音楽学校に入学。 |
| 1917年2月、街路上で同年配の少年が警官に殺害されるのを眼前で見る。 |
| 同月、グリャッセールのところへ通う興味を失ってしまう。 |
| 1918年秋、ローザノヴァにピアノを師事。 |
| (1917年とも)。 |
| 1919年第108労働学校が閉鎖。 |
| 秋、ペテルブルク音楽院に入学。 |
| 1921年ユストニナ校を中退。 |
| 1922年父が死去。 |
| 1923年音楽院のピアノ科を修了。 |
| 夏休みを利用した結核療養のために訪れたクリミアで、初のピアノ・リサイタルを開く。 |
| 1924年11月、映画館「スヴェトラーヤ・フィリム」でピアノ伴奏のアルバイトを始める。 |
| 1925年作曲科の修了にともない、音学院を卒業。 |
| 修了制作として交響曲第1番を作曲。 |
| 1926年5月16日、交響曲第1番初演。 |
| 秋、音楽院の大学院課程に進学。 |
| 1927年1月、第1回ショパン国際ピアノコンクールに出場。 |
| 1928年メイエルホリド劇場の音楽部長として1月から3月まで勤める。 |
| 1930年バレエ音楽「黄金時代」完成し、レニングラードで初演。 |
| 1931年バレエ音楽「ボルト」完成し、レニングラードで初演。 |
| 1932年科学者ニーナ・ヴァルザルと結婚。 |
| 婚約記念として書き始められた歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」を彼女に献呈。 |
| 8月、作曲家同盟レニングラード支部の運営委員に選出。 |
| 1933年軽音楽に関するレニングラード市の委員会の委員になる。 |
| ピアノ協奏曲第1番初演。 |
| 1934年レニングラード市アクチャーブリ区の区議会議員に選出される。 |
| 1936年歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」(1月)とバレエ「明るい小川」(2月)に対するプラウダ批判。 |
| 5月30日、長女ガリーナ生誕。 |
| 1937年春(一説には1月)、レニングラード音楽院に講師として勤務(後に教授)。 |
| 交響曲第5番初演(11月21日)。 |
| この成功により名誉を回復。 |
| 1938年5月10日、長男マクシム生誕。 |
| 1939年ムソルグスキー生誕100周年記念祭の準備委員会の委員長となる。 |
| 音楽院で教授に就任。 |
| 1940年5月、労働赤旗勲章受章。 |
| ピアノ五重奏曲がスターリン賞を受賞。 |
| 1941年交響曲第7番を作曲。 |
| 翌年の初演は成功を収め、同年アメリカでも演奏された。 |
| レニングラード音楽院教授を辞任。 |
| 1942年1月、交響曲第7番がスターリン賞第1席受賞。 |
| ロシア共和国功労芸術家の称号を授与。 |
| 1943年3月、モスクワ音楽院教授に就任。 |
| 1946年ピアノ三重奏曲第2番がスターリン賞第2席を受賞。 |
| 12月、レーニン勲章受章。 |
| 1947年2月、レニングラード音楽院教授に復職。 |
| 同月、作曲家同盟レニングラード支部の支部長に選出。 |
| 10月、ロシア共和国人民芸術家の称号を授与。 |
| ロシア共和国最高議会代議員に選出。 |
| 9月、レニングラード音楽院、モスクワ音楽院ともに教授の職を解任。 |
| 1948年3月、世界平和文化科学会議出席のため渡米(ニューヨーク)。 |
| 1949年オラトリオ「森の歌」作曲・初演。 |
| 1950年「森の歌」がスターリン賞第1席を受賞。 |
| 10月、ソヴィエト平和擁護委員会の委員となる。 |
| 11月、世界平和会議出席のためワルシャワ入り。 |
| 1952年「革命詩人の詩による10の詩曲」がスターリン賞第2席を受賞。 |
| 12月、世界平和会議出席のためウィーンへ。 |
| 1953年交響曲第10番作曲、初演(12月17日)。 |
| 6月、文化代表団の一員としてオーストリアに派遣される。 |
| 1954年交響曲第10番に関する討議会(いわゆる第10論争)が作曲家同盟で開かれる。 |
| 8月、ソ連人民芸術家の称号を授与。 |
| 同月、スウェーデン王立音楽アカデミーの名誉会員に選出される。 |
| 1955年東ドイツ芸術アカデミーの準会員に選出される。 |
| 1956年1月、サンタ・チェチーリア芸術アカデミーの名誉会員に選出される。 |
| 1957年春に開かれた第2回作曲家同盟大会において作曲家同盟初委員長となる。 |
| 交響曲第11番がレーニン賞受賞。 |
| 1958年オックスフォード大学より名誉博士の学位を授与、イギリス王立音楽アカデミー会員に選出。 |
| 1959年9月、米国務省主催による文化交流プログラムでワシントンで開催されたソヴィエト祭に、ソヴィエト代表団の一員として派遣される。 |
| 1962年交響曲第13番作曲、初演。 |
| 11月、ゴーリキー市で行われたコンサートで「祝典序曲」を指揮。 |