| left|150px|thumb|ブラム・ストーカー著『ドラキュラ』の表紙(1897年)。 |
| ドラキュラとはあくまでもブラム・ストーカーの同名小説の登場人物の名前であるが、この小説本が余りにも有名になったため、現在では「ドラキュラ」と言えば吸血鬼の意味として使われることが多い。 |
| ドラキュラのモデルは15世紀のルーマニア、トランシルバニア地方出身のワラキア公ヴラド3世(ヴラド・ツェペシュ)とされているが、実際のところ使われているのはドラキュラというヴラドのニックネームと、出身地が現在のルーマニアという点だけである。 |
| 150px|thumb|ハムレットの衣装を着けたヘンリー・アーヴィング卿。 |
| 近年の研究では、「ドラキュラの人物像のモデルは、シェークスピア劇で知られた舞台俳優のヘンリー・アーヴィング卿であろう」といわれている。 |
| これは、原作者のブラム・ストーカー自身がヘンリー・アーヴィングのマネージャーであり、アーヴィングの劇団の世話人と、劇場支配人も兼ねていた。 |
| ヘンリー・アーヴィング卿(HenryIrving)は、その名声とは裏腹に、傲慢で我侭な性格であったことが伝えられている。 |
| このため、昼夜を問わずアーヴィングに呼びつけられ、用を言い付かっていたストーカーは、精神衰弱に陥っていたと言う。 |
| 150px|left|thumb|ブラム・ストーカー自筆の「ドラキュラ」のメモ原稿。 |
| 「この性格がドラキュラ伯爵に受け継がれた」というのが今の研究者達の見方である。 |
| 実際、書きあがった原作をストーカーはいち早くアーヴィングに見せている。 |
| 舞台化を前提とした小説であり、アーヴィングにその提案をしたにもかかわらず、アーヴィングは「つまらない」と一蹴したとされる。 |
| このことからも「ドラキュラ」はヘンリー・アーヴィングへの当て書きである、という説はかなり有力なものである。 |
| また、ストーカーはイングランド人貴族地主による搾取が常態化していたアイルランド平民階級の出身であり、「人の生き血を吸う、滅びゆく貴族」というのは政治的にもかなり意味深な暗喩である。 |
| 150px|thumb|ストーカーがドラキュラ城のモデルとしたとされるルーマニアのブラン城。 |
| 小説中にはアイルランドの吸血鬼伝説及び、ドラキュラ以前に書かれた同じアイルランド人作家でトリニティ・カレッジの先輩であるシェリダン・レ・ファニュの『カーミラ』(1872年)の影響が強く見られる。 |
| 実際、ドラキュラの初稿では舞台はトランシルヴァニアではなくカーミラと同じオーストリアだった。 |
| 棺で眠るなどもカーミラと共通で以降の吸血鬼作品のモデルになった。 |
| 1920年代に、原作者未亡人、フローレンス・ストーカーから正式に版権を取得した舞台劇が上演される。 |
| 原作の中でのドラキュラはおよそ人前に出られるような容姿ではなかった。 |
| 当時の舞台劇の主流は「室内劇」であり、舞台台本も原作を大幅に改編せざるを得ず、原作における冒頭のドラキュラ城のシークエンスをはじめとして、原作の見せ場がことごとくカットされた。 |
| 舞台はセワード博士の病院と、カーファックス修道院の納骨堂の2場で進行する。 |
| 100px|thumb|ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』のイメージ画。 |
| このため、ドラキュラ伯爵は、人の家に招かれ、人間と対話をする礼儀作法を備えざるを得なくなり、黒の夜会服を着こなす「貴公子然としたイメージ」が確立された。 |
| ちなみに、マントの着用もこの舞台が初めてである。 |
| 演出上、一瞬にしてドラキュラが消滅するイリュージョンがあり、そのために、大きなマントと大きな襟が必要だった。 |
| ドラキュラのマントの襟が立っているのは、この時の名残である。 |
| ちなみにマントの正確な着方は、襟を寝かせるものである。 |
| このスタイルを初めて映像化したのが「魔人ドラキュラ(1931)」である。 |
| 本来は、制作サイドで独自のメイクを考案していたが、ドラキュラ役のベラ・ルゴシが、重厚なメイクを固辞し、ハンガリー訛りの英語の台詞をもって、舞台のスタイルを映画に持ち込んだのである。 |
| これが現在のドラキュラのイメージとなった。 |
| 200px|left|thumb|アメリカで上演された「ドラキュラ」の舞台劇のポスター(1938年)。 |
| この小説がルーマニア語に初めて翻訳されたのは1989年に共産主義政権が終わった後の1990年であり、それまで、ルーマニアではドラキュラ伯爵は無名の存在だった。 |
| ヴラド家の居城があったトランシルバニアの地元でも、吸血鬼伝説はない。 |
| ヴラド・ツェペシュは統制のために見せしめとして裏切りを行った貴族階級の家臣を、本来は平民への刑罰であり貴族階級には行われない串刺し刑を行った事から、「串刺し公」と呼ばれた領主ではあった。 |
| しかし、当時の社会情勢を考えれば、ヴラド・ツェペシュが他の領主と比べて格別に残忍だったということでもない。 |
| ヴラド・ツェペシュに関して吸血鬼に類する記録や伝説、伝承は皆無である。 |
| ドラキュラのモデルがヴラドとされていることについては、地元では、観光に利用できると喜ぶ反面、郷土の英雄を怪物扱いしていると複雑な気持ちを抱いている。 |
| 尚、ヴラドがドラキュラと呼ばれていた、及び自称していたのは事実であるが、これは単にヴラドの父が竜公(ドラクル)と呼ばれた事に起因する。 |
| 竜公の息子の小竜公という意味である。 |
| (名前に「a」がつくことで、息子という意味である、よってドラクルの息子「ドラキュラ」となる)。 |
| ストーカーは恐らく、そういったバックグラウンドは知らずにこの名前の響きを気に入って吸血鬼の名前に採用したものと思われる。 |
| 伯爵(Count)ということにはなっているが、ルーマニアの貴族階級にはこの称号はなく、ドラキュラは貴族であるとしても、「伯爵」というのは単なる敬称に過ぎない可能性が高い。 |