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プロフィール
- ハックルバックとは
- メンバー
- 解説
- 略歴
- ディスコグラフィー
ハックルバック(HUCKLEBACK)は、1975年に活動した日本のバンド。
メンバー
| 鈴木茂(すずきしげる、1951年12月20日-)–ヴォーカル,ギター。 |
| 佐藤博(さとうひろし、1947年6月3日-)–キーボード,ヴォーカル。 |
| 田中章弘(たなかあきひろ、1954年9月3日-)–ベース。 |
| 林敏明(はやしとしあき)–ドラムス。 |
解説
| 1972年末をもって、実質的には解散状態となった“はっぴいえんど”において、他のメンバーが個々の志向を強めていったのに対し、あくまでもロック・バンドに自身のアイデンティを求めた鈴木茂は、はっぴいえんど以前にトリオ編成のロック・バンド“スカイ”を小原礼とともに組んでいた林立夫に構想を打ち明ける。 |
| その結果メンバーに、林とともに“フォー・ジョー・ハーフ”の元メンバーだった松任谷正隆をピアニストとして加えることを決め、残ったベーシストを小原と細野晴臣のどちらにするか迷ったものの細野に決まり、“キャラメル・ママ”が誕生した1973年の一時期、彼らはバンド活動時は“キャラメル・ママ”、レコーディング・セッション時は“キャラメル・シティ”という二つの名前を使い分けるようにしていた。 |
| しかし、この使い分けはすぐなくなり、どちらもキャラメル・ママで統一されるようになった。 |
| 細野のファースト・ソロ・アルバム『HOSONOHOUSE』1973年5月25日発売Bellwood⁄KINGLP:OFL-10のレコーディングを行って以降、そのまま南正人『南正人ファースト・アルバム』(1973年8月25日発売Bellwood⁄KINGLP:OFL-14)や吉田美奈子『扉の冬』(1973年9月21日発売SHOWBOAT⁄TRIOLP:3A-1004、南佳孝『摩天楼のヒロイン』(1973年9月21日発売SHOWBOAT⁄TRIOLP:3A-1005)や荒井由実『ひこうき雲』(1973年11月20日発売EXPRESS⁄東芝音楽工業LP:ETP-9083)のレコーディングをサポートするうちに、キャラメル・ママは次第にセッション・ユニット⁄サウンド・ラボラトリー志向を強め、1974年7月にバンド名を“ティン・パン・アレー”へ変更するに至り、もともとの発案者だった鈴木のバンド構想はここで消滅してしまったその時の状況を後に鈴木は「(キャラメル・ママ結成時)その頃僕は、もう人のバックやるのイヤだったんですよ。 |
| だから、まぁ、お金の問題はあったけれど、できれば自分のバンドだけでやっていきたかった。 |
| だから、キャラメル・ママとしてもバンド活動をしたかったんですよね。 |
| ちょうどいちばんノッてきたときにはっぴいえんどが解散しちゃったってこともあったし。 |
| ところが、細野さんが、僕もソロ・アルバム作る、とか言い出して、まずそのバックをやったあたりからグシャグシャになりはじめた。 |
| 林と細野さんが、なんか人のバックやるって言い出したんですよ。 |
| 僕はあくまでもバンドやりたいんだ、と言い張ったのね。 |
| 音も見えはじめてきたし。 |
| だけど、ユーミンとか南正人とか、なんだかいろんなのやりはじめて……。 |
| “こんなの、やらなくてもいいじゃないか。 |
| やめろ、やめろ”とか、最初は言ってたんですよ、僕。 |
| そんなこんなで、うまくいかなくなっちゃった時期もあったんだよね。 |
| それがとにかく何年か続きましたね。 |
| 今から見れば、あの頃やってたことも、それなりにね、結果としては面白かったと思うけど。 |
| でも、僕は細野さんが言ってたようなマッスル・ショールズとかにも、あんまり興味なかったしね」(文庫版『はっぴいえんど伝説』109~132ページ)と語っている。 |
| 言わばその反動として制作されたのが鈴木曰く“ティン・パンのメンバーを裏切るような形で渡米して作った”という、ファースト・ソロ・アルバム『BANDWAGON』1975年3月25日発売PANAM⁄CROWNLP:GW-4011だった『レコード・コレクターズ』2008Vol.27,No.9(ミュージック・マガジン)76~83ページ“インタヴュー〜クラウン時代を中心にソロ・キャリアを振り返る”(聞き手=金澤寿和)、2008年9月1日発行。 |
| この『BANDWAGON』発売にあわせたプロモーションのために“マルチ・プレイヤーになりすぎていた”ティン・パンのメンバーではない、ロック専門のミュージシャンとアルバムの曲をライブで再現するために結成されたのが、“ハックルバック”“ハックルバック”とは腰などの曲線を意味するスラングで、チャック・ベリーの曲名に由来する。 |
| だった『レコード・コレクターズ』2008Vol.27,No.9(ミュージック・マガジン)88~89ページ“未発表音源を詰め込んだボーナス・ディスクも含む『ヒストリー・ボックス』6枚組”(文=中村よお)、2008年9月1日発行。 |
| 制作経緯からティン・パンのメンバーに負い目を感じていた鈴木は、彼らに遠慮してライブのサポートを頼めなかったという。 |
| メンバーは佐藤博(key)と田中章弘(b)、林敏明(ds)。 |
| 3人は石田長生とバンド“THIS”を結成し、関西で評判を取っていた。 |
| 加川良のアルバム『アウト・オブ・マインド』1974年11月10日発売Bellwood⁄KINGLP:OFL-29のレコーディング・セッションで顔を合わせていた彼らに接触、自らスカウトして東京へ呼んだ。 |
| 鈴木によれば「ハックルバックでは、もう迫力、迫力って、一所懸命やってたのね。 |
| どういうのをやりたいかってのはコロコロ変わってたんだけど、とにかく迫力、ね」「アメリカでいろんな印象を受けたわけだけど、やっぱり日本とくらべちゃうでしょ。 |
| で、いちばん大きく感じたのは迫力不足。 |
| それを一所懸命、自分なりに解消しようとしてたんです、あの頃」「だから、ハックルバック作って、最初の2ヶ月くらいはクラウンのスタジオで毎日毎日練習。 |
| 彼らはもともと大阪でやってた何とかってバンドでね、結構迫力あったの、そのときから。 |
| だけども一緒にやりはじめて、なんかまだダメだな、もっともっと、って。 |
| むずかしかったけどね」萩原健太著文庫版『はっぴいえんど伝説』(シンコー・ミュージック)109~132ページ“Chap.5:BANDWAGONfeaturingShigeruSuzuki”、1992年10月23日発行という。 |
| 『BANDWAGON』の発売を目前に控えた1975年2月11日、目黒区民センターでのライブでデビューする。 |
| デビュー当初は“鈴木のバンド”という印象が強かったが、短期間のうちにバンドとしての力を高め、以後は佐藤のオリジナル曲も取り上げられるようになっていったものの、予定されていたスケジュールを約10ヶ月後に消化すると11月16日、新宿厚生年金会館でのコンサートを最後に解散する。 |
| その理由を鈴木は「バンドを続ける必要性を感じれば、そうするつもりだったんです。 |
| でもはっぴいえんどとは違って、誰にもバンドをひとつにまとめようとする気持ちがなかった。 |
| それぞれが自分のキャリアのステップとしてしか考えてなくて、終われば自分の世界へ戻るものと思っていました。 |
| 互いに自分の主張ばかりで歩み寄りが少ない、みんながそうだったんです。 |
| 一応は僕と佐藤さんが先導してましたが、彼も気持ちはソロ・デビューへ向かってましたからね。 |
| かくいう僕もアレンジ志向が強まってますから、バンドなんて続くはずがなかったんです」と振り返っている。 |
| 解散後の1999年2月23日、鈴木(g)•佐藤(key)•田中(b)•市川祥治(g)•青山純(ds)というライン・アップによる“鈴木茂とハックルバック”として渋谷クラブクアトロにてジョイントライブ“南佳孝withハックルバック”を行った。 |
略歴
| 2月11日、“ベイ・エリア・ファースト・コンサート”に出演(目黒区民センター出演:大滝詠一,細野晴臣,バンブー,小坂忠,吉田美奈子,鈴木茂&ハックルバック,ティン・パン・アレー)。 |
| 2月15日、“ティン・パン・アレー・セッション”に出演(荻窪ロフト出演:バンブー,鈴木茂バンド)。 |
| 2月16日、“ティン・パン・アレー・セッション”に出演(荻窪ロフト出演:鈴木茂バンド,吉田美奈子,細野晴臣+パイ楽団)。 |
| 3月15日、荻窪ロフト。 |
| 3月29日、“ベイ・エリア・コンサートスーパーロックジェネレーション”に出演(文京公会堂出演:ティン・パン・アレー,大滝詠一,ココナツ・バンク(伊藤銀次,上原裕,藤本雄志),鈴木茂バンド,小坂忠,吉田美奈子,シュガー・ベイブ)。 |
| 4月4日、“ベイエリア・コンサートスーパーロックジェネレーション”に出演(大阪サンケイ・ホール)。 |
| 4月5日、“ベイエリア・コンサートスーパーロックジェネレーション”に出演(名古屋市公会堂)。 |
| 4月6日、彼らのスタジオ・ライブの模様を収録したFM東京“週刊FMサウンドスペシャル”放送。 |
| 4月20日、“ブルース・パワー・スプリング・カーニバル・イン日比谷”に出演(日比谷野外音楽堂出演:ウエスト・ロード・ブルース・バンド,鈴木茂バンド,久保田麻琴と夕焼け楽団,ウィーピング・ハープ・セノオ&ヒズ・ローラーコースター,シュガー・ベイブ)。 |
| 5月、TVK“ヤングインパルス”公開放送に出演曲目:1.スノー・エキスプレス,2.人力飛行機の夜,3.八月の匂い,4.100ワットの恋人,5.砂の女。 |
| 5月24日、“ティン・パン・アレー・フェスティバル”に出演(中野サンプラザ出演:鈴木茂バンド,小坂忠+ティン・パン・アレイ,細野晴臣+セッション・バンド,大滝詠一+セッション・バンド,バンブー,ブレッド&バター,トランザム+クニ河内,シュガー・ベイブ)。 |
| 6月16日、“ファースト&ラスト・コンサート”に出演(青森市民会館出演:鈴木茂&ハックルバック,ティン・パン・アレーメンバー:小坂忠(Vo,Cho),吉田美奈子(Vo,Cho),細野晴臣(B,Vo),林立夫(Ds),鈴木茂(G),ジョン山崎(Key),佐藤博(Key),浜口茂外也(Per))。 |
| 6月17日、“ファースト&ラスト・コンサート”に出演(仙台市民会館出演:鈴木茂&ハックルバック,ティン・パン・アレー)。 |
| 6月24日、“SKYHILLSPARTYVol.2”に出演(横浜教育会館出演:センチメンタル・シティ・ロマンス,鈴木茂&ハックルバック,シュガー・ベイブ)。 |
| 7月24日、“ファースト&ラスト・コンサート”に出演(大阪•中ノ島中央公会堂出演:鈴木茂&ハックルバック,ティン・パン・アレー)。 |
| 7月26日、“サマー・ロック・カーニバル”に出演(日比谷野外音楽堂出演:鈴木茂&ハックルバック,頭脳警察,愛奴,上田正樹&サウス・トゥ・サウス,サンハウス,シュガー・ベイブ)。 |
| 9月27日、“ニューミュージック・コンサート”(芝•増上寺ホール出演:久保田麻琴と夕焼け楽団,鈴木茂&ハックルバック,シュガー・ベイブ)。 |
| 10月、オーディオ・フェアのサンスイブースで流すための楽曲をレコーディング(溜池•クラウン・レコーディング・スタジオ)曲目:1.グレート・アメリカン・ファンキー・ガール(鈴木茂),2.100ワットの恋人(松本隆–鈴木茂),3.レイン・イン・ザ・シティー(佐藤博),4.砂の女(松本隆–鈴木茂),5.ジャングル・ジャム(鈴木茂とハックルバック)。 |
| このときの音源は後に『幻のハックルバック』としてカセットのみで製品化。 |
| 11月16日、“ハックルバックさよならコンサート”(新宿厚生年金会館小ホール出演:鈴木茂&ハックルバック,大滝詠一,トーマス・レディング)。 |
| 11月25日、ティン・パン・アレー、アルバム『CARAMELMAMA』発売。 |
ディスコグラフィー
| 幻のハックルバック⁄鈴木茂とハックルバック–PANAM⁄CROWNCT:DCT-2141(1976年)。 |
| オーディオ・フェアのサンスイブースで流すために、エンジニア田中信一の発注で解散直前の1975年10月にレコーディングされた音源の製品化。 |
| カセットのみでの発売。 |
| 鈴木茂ヒストリー・ボックス〜クラウン・イヤーズ1974-1979⁄鈴木茂–PANAM⁄CROWN6CD:CRCP-50060~65(2008年7月2日)。 |
| 鈴木がクラウン在籍時に発表した音源を網羅したボックス・セット。 |
| 最新デジタル・リマスタリングされたオリジナル・アルバム5枚に、未発表音源多数を含むボーナス・ディスク1枚を加えたCD6枚組。 |
| <Live&RareTracks>にハックルバックによるライブ音源13曲を収録。 |
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1947年
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佐藤 博(さとう ひろし)– キーボード,ヴォ... |
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1951年
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鈴木 茂(すずき しげる)– ヴォーカル,ギター |
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