| ACミラン、チェルシー、マンチェスター・ユナイテッド、アーセナル、バルセロナといった金銭的により恵まれたオファーを断り、2003-04シーズンを前にリヴァプールへ移籍した。 |
| キューウェルは、シュミツェルからリヴァプールの有名な背番号7を引き継いだ |
| この番号はかつてのクラブの象徴的な選手であったイアン・カラハン、ケビン・キーガン、ケニー・ダルグリッシュらが付けていた番号である。 |
| 200万ポンドから500万ポンドと言われる金額がキューウェルの未登録の代理人であるバーニー・マンディッチに流れたとの主張がなされたことにより、キューウェルの移籍は議論を呼んだ。 |
| この件に関連して、2005年にキューウェルはゲーリー・リネカーを名誉棄損で訴えたが陪審員は一致した決を出せず、裁判外で解決を図る道しか残されなかった |
| 2005年5月25日、リヴァプールはミランを降し、キューウェルはオーストラリア出身の選手として初めてチャンピオンズリーグのタイトルを獲得した選手となった(クレイグ・ジョンソンは南アフリカ生まれ)。 |
| チームは試合開始から攻撃的に行くことを意図して、キューウェルはスターティングメンバーとして試合に出場したが、この試みは失敗に終わり、キューウェルは前半途中に怪我により交代を余儀なくされてしまった。 |
| 怪我をした素振りを見せた時には0-1でチームはリードされており、リヴァプールのファンはキューウェルが怪我をしたふりをしていると考え、ブーイングを送った。 |
| また、2005年の夏には「グロインペイン症候群」の名で知られているスポーツヘルニアを患っていることが明らかになった。 |
| 決勝で負った怪我から回復した2005年11月にはクラブの公式サイトで、信頼して決勝で起用してくれたラファエル・ベニテス監督の恩に報いるためにも活躍をしたいと話した。 |
| また、支えてくれた妻と友人にも感謝をしていると述べた。 |
| 2005-06シーズンは3ゴールと3アシストを記録し、彼がリヴァプールであまり良いパフォーマンスを発揮してこなかったのは気持ちの問題ではなく、怪我の影響であったという考えを広めるに至った。 |
| 2006年1月に行われ、1-0で勝利したスパーズ戦でアンフィールドでのリーグ戦初ゴールを記録した。 |
| マンチェスター・シティ戦でもその試合唯一となる得点を記録し、3-1で勝利したエヴァートン戦ではチームの3ゴール目となる得点を挙げ、シーズンで最高の活躍を見せた。 |
| 2-1で勝利したFAカップ準決勝のチェルシー戦でもリヴァプールで最も良い働きをした選手の一人であった。 |
| 2005-06シーズンのFAカップ決勝のウェストハム・ユナイテッドではスターティングメンバーとして出場したが、腹痛のために48分間の出場に止まった(チャンピオンズリーグ決勝と異なり、サポーターの反応は同情的なものであった)。 |
| その後の検査でリヴァプールは鼠径部の負傷をしていること確認したが、ワールドカップには間に合うと判断した。 |
| 2006-07シーズンは多くの試合を欠場したが、2007年4月にリザーブのエヴァートン戦に55分から交代で出場し、チームに復帰した。 |
| 2007年5月5日にクレイヴン・コテージで行われたフルアム戦の後半に交代で出場し、FAカップ決勝以来となる出場を果たし、シーズン最終戦のチャールトン・アスレティック戦においても後半に交代で出場した。 |
| チャンピオンズリーグ決勝のメンバーに選ばれるかどうかが議論の的となっていたが、チャールトン戦でディルク・カイトへゴールの起点となるパスを送り、90分にはPKからゴールを挙げる活躍をしたことにより |
| 決勝ではボウデヴィン・ゼンデンと交代で59分から出場した。 |
| 2007-08シーズンを前にキューウェルは負傷によりチームを離脱し、また別の怪我も負いシーズン最初の数ヶ月間を欠場したことにより、リヴァプールでの将来が不安視されるようになってしまった。 |
| 10月31日に行われたカーリングカップのカーディフ・シティ戦に71分から交代で出場し、チームに復帰した。 |
| その後のプレミアリーグのブラックバーン・ローヴァーズ戦とチャンピオンズリーグのベシクタシュ戦にも交代で出場した。 |
| 彼の復帰後にラファエル・ベニテス監督はクラブの公式サイトで何人かのメンバーについてコメントし、キューウェルの契約については延長される場合もあると話し、多くの人たちは怪我なくシーズンを終えることが出来ればクラブに留まる機会を提供されるだろうと考えていたが、FAカップのバーンズリー戦で敗れた後にチームでの居場所を失ってしまった。 |
| オーストラリア代表のメンバーとしてシンガポールに向かったが、鼠径部を負傷してイングランドに戻ってきたことにより、新たな契約を提示される可能性は小さくなってしまった。 |
| 2008年5月、キューウェルはリヴァプールとの契約延長の話を断ったことが明らかになった |