| 2003年夏、ハルウララは連敗を続けていたことが話題となり、全国的な人気・知名度を獲得した。 |
| ハルウララの連敗に最初に注目したのは、高知競馬場の実況アナウンサー橋口浩二である重松2004、106頁。 |
| 橋口には実況にあたり、勝利を挙げたことのない馬について「今日のレースで勝てば、これがデビューから何戦目での初勝利になる」ということを調べてから臨む習慣があり、60連敗を超えたころからハルウララに注目し始めた。 |
| やがて「ハルウララを日本のジッピーチッピー連敗を続けたことで人気を集めたアメリカの競走馬。 |
| として売り出せば、高知競馬も少しは盛り上がるんじゃないか」と思い、周囲にハルウララのことを言い広めるようになった重松2004、106-111頁。 |
| 高知新聞の記者石井研は橋口から話を聞き、「記者の本能でネタになると思い」、取材を開始した。 |
| 2003年6月13日、同新聞夕刊社会面にハルウララに関する記事が「1回ぐらい、勝とうな」という見出しで掲載された重松2004、124頁。 |
| 人目を引くことをしないと」という思いからハルウララに関する広報資料をマスコミ各社に送付した。 |
| その結果、7月23日付の毎日新聞全国版に記事が掲載され、さらに毎日新聞の記事が同日放送のフジテレビのテレビ番組『情報プレゼンターとくダネ!』で大きく取り上げられた吉川2004、69頁。 |
| ハルウララの単勝馬券を「リストラ防止になる」「当たらないから交通安全のお守りになる」という理由で買う者が多く現れた{{Citeweb|author=|date=2003-10-13|url=http://www.kochinews.co.jp/rensai02/keibanews3.htm#031013|title=ただ今95連敗中「ハルウララ」人気沸騰|work=ハルウララ関連記事。 |
| 連敗記録に世間の関心が集まったことについて宗石は、知人の9割が「勝ったらダメ」と言うとしつつ、「取材の方が来るようになって、以前より、より一層勝ちたいと思うようになった」と述べた岡本2004、72-73頁。 |
| ぼくは勝つために馬を故障させるような調教はしたくないんです」と答えた重松2004、36頁。 |
| 厩務員の藤原は、「ハルウララが「勝つ」馬を差し置いて高知競馬の人気者になるのは、やはり複雑な気がする」と述べ、「連敗記録が話題になってるけど、僕は勝ってほしいです、一度でいいから」、「ぼくらはやっぱり、馬に勝ってほしくて世話をしているわけだから」と述べた重松2004、56頁。 |
| 生産牧場としても負け続ける馬を生産したとしか評価は受けない」と述べ、「うれしくもない。 |
| 高知競馬存続のための話題づくりに過ぎないのでは」と冷めた反応を見せた。 |
| 12月14日、100連敗を達成したレースが行われた当日は4年ぶりに5000人を超える観客(5074人)岡本2004、122頁。 |
| が高知競馬場に入場し、33社、約120人の報道陣が取材に訪れた{{Citeweb|author=|date=2003-12-15|url=http://www.kochinews.co.jp/rensai02/keibanews3.htm#031215|title=ハルウララ100連敗9着だけど…5000人魅了|work=ハルウララ関連記事。 |
| 翌2004年3月22日、106戦目のレースでは中央競馬のトップ騎手武豊が騎乗して出走同日行われた交流重賞黒船賞に出走したノボトゥルーに騎乗するため高知競馬場へ遠征したため、騎乗が可能となった。 |
| したことに注目が集まり、当日の入場者数(1万3000人)、1つのレース(ハルウララ出走レース)の馬券売上額(5億1163万円)、1日の総馬券売上額(8億6904万円)はいずれも高知競馬史上最高記録を更新、ハルウララの単勝馬券だけで1億2175万円の売り上げを記録した。 |
| 入場者数の多さに対応するため高知競馬場は史上初となる入場制限を行い、ハルウララの馬券を購入するファンのために専用窓口を設置した(待ち時間は7時間近くに及んだ)。 |
| レースの結果は11頭立ての10着に終わり、連敗記録を106に伸ばすこととなったが、レース後武豊は通常勝ち馬が行う「ウイニングラン」(ゴール後、馬場を1周すること)を行った。 |
| ハルウララが出走したレースを生中継した毎日放送のテレビ番組『ちちんぷいぷい』の瞬間最高視聴率は19.9%、平均視聴率は平日における同番組史上最高となる12.2%を記録した。 |
| 武はこの日の騎乗について、自身が「チャンスがあれば乗ってみたい」と発言したことがきっかけで「競馬の本質を離れた大騒ぎ」が繰り広げられたことに嫌気が差し怒りすら覚えていたが、1万3000人もの観客を見て怒りが消え、「一度、乗ってみたい」という気持ちに立ち戻れたと振り返っている武2005、26-27頁。 |
| レース後武はハルウララについて、「『強い馬が、強い勝ち方をすることに、競馬の真の面白さがある』と僕は思っています。 |
| しかし、高知競馬場にあれだけのファンを呼び、日本全国に狂騒曲を掻き鳴らした彼女は、間違いなく"名馬"と呼んでもいいと思います」と評した武2005、27頁。 |
| 出典がないためコメントアウト/なお、武豊はこの日の騎乗について、オフィシャルホームページの日記において「あまりにも異常な騒がれ方で、正直なところ辟易としている、また生涯を通じて未勝利の馬がGIを勝利した馬よりも注目を集めることはどうにも理解しがたい」とし、過熱するブームに対する違和感を表明した。 |
| また、高知競馬関係者から当時のレースがハルウララの引退レースであるという説明を受けていたことも明かした。 |
| 5月23日、ハルウララは出走したレースで2着に敗れた。 |
| これにより連敗は109となり、グレースアンバーが記録した108連敗を抜きハクホークイン(161連敗)に次ぐ日本歴代2位(当時)の記録となった。 |
| 8月3日、高知競馬所属の半妹ミツイシフラワー、兵庫競馬所属の半弟オノゾミドオリとの対決が実現(結果は10頭中5着)。 |
| このレースの馬券は全国の地方競馬場で発売され、ハルウララの出走レースだけで(高知競馬における日曜日の1日売上額の平均を上回る)約7900万円の売上を記録した。 |
| レース後関係者が記者会見を開き、翌2005年3月をもって競走馬を引退させると発表した。 |