| 250px|thumb|コーネル大学の建物。 |
| バーバラ・マクリントックは1919年にに進学した。 |
| 専攻は植物学を選んでいる。 |
| 一年生の頃には男子に人気があり、たびたびパーティに誘われている。 |
| 男子とのデートも頻繁だったが、友達の中で自分ひとりが誘われることがあることに逆に嫌気がさし、三年生のころには付き合いをやめている。 |
| マクリントックは必要以上の講義に登録し、ちょっと受けてみてつまらない講義はそのまま行かず単位を落としていたので、学部時代の記録上の成績はあまり良くなかった。 |
| 一方、在学中の1921年に初めて遺伝学を学んでいる。 |
| このコースはハーバード大学を模したもので、教師は植物栽培学者・遺伝学者のだったKass,L.B.andW.B.Provine.I997."Geneticsintheroaring20s:TheinfluenceofCornell'sprofessorsandcurriculumonBarbaraMcClintock'sdevelopmentasacytogeneticist".''AmericanJournalofBotany''Abstracts.84(6,Supplement):123.Kass,L.B.,2000.BarbaraMcClintock,Botanist,cytologist,geneticist.''AmericanJournalofBotany''87(6):64.Availableonline: |
| ハッチソンはマクリントックの学才に目をつけ、1922年には大学卒業生向けの遺伝学コースに参加するよう、電話をかけている。 |
| マクリントックは後に遺伝学を志したきっかけについて、このハッチソンからの誘いかけだったと言い、「この電話が私の生涯を決め、その後も遺伝学に留まる事になった」と語っているMcClintock,Barbara.''Ashortbiographicalnote:BarbaraMcClintock''(1983) |
| 1923年には学部の学位(BSc)を取得した(落とした単位が多かったため標準年数では卒業できなかった)。 |
| 学部生の頃にはテナーバンジョーでジャズバンドの即興演奏もやっていたが、学部を卒業する頃には生物学に集中するために止めている。 |
| 翌1924年からは自身の研究と並行して、植物学の指導教員となった。 |
| 当時のコーネルでは女性が遺伝学を専攻することはできなかったので、1925年に取った修士号、1927年に取った博士号は植物学に関するものだったKass,LeeB.2003."Recordsandrecollections:AnewlookatBarbaraMcClintock,NobelPrize-Winninggeneticist".''Genetics''164(August):1251-1260.KassLee,B.2007b."BarbaraMcClintock(1902-1992),onWomenPioneersinPlantBiology".AmericanSocietyofPlantBiologistswebsite,AnnHirscheditor.Publishedonline,March2007: |
| マクリントックは、仕事を成すためにチームが必要なことをよく知っていた。 |
| マクリントックは卒業研究を始めたころからトウモロコシを的に研究するための人材を集めていた。 |
| 当時のコーネル大学では育種の専門家と染色体の専門家との協業がほとんどなかったため、マクリントックはチームにその双方を招いた。 |
| チャールズ・バーナム、などがいるKass,LeeB.2005."HarrietCreighton:Proudbotanist".''PlantScienceBulletin''.51(4):118-125.Availableonline,December2005: |
| 植物育種学科長のがチームを応援した。 |
| 当時エマーソンはトウモロコシの遺伝学についての権威であったが、細胞遺伝学については詳しくなかったKass,LeeB.andChristopheBonneuil.2004."Mappingandseeing:BarbaraMcClintockandthelinkingofgeneticsandcytologyinmaizegenetics,1928-1935".Chapt5,pp.91-118,inHans-JörgRheinbergerandJean-PaulGaudilliere(eds.),''ClassicalGeneticResearchanditsLegacy:TheMappingCulturesof20thCenturyGenetics''.London:Routledge.Kass,LeeB.ChrisBonneuil,andEdCoe.2005."Cornfests,cornfabsandcooperation:TheoriginsandbeginningsoftheMaizeGeneticsCooperationNewsLetter".''Genetics''169(April):1787-1797.Availableonline,May6,2005: |
| しかしエマーソンはこの後も長きに渡ってなかなか良い職を得られないマクリントックに研究場所を提供することになる。 |
| ジョージ・ビードルやマーカス・ローズも生涯の友となった。 |
| File:Corncobsedit1.jpg|thumb|200px|トウモロコシは実の一粒ずつが親株の別々の子供であり、見た目で判断しやすい特性が多いことから、当時の遺伝研究対象の花形だった。 |
| 実の紫はアントシアニンによるもので、色の発現の有無は両親から遺伝する。 |
| マクリントックは細胞遺伝学を研究するに当たって、トウモロコシの染色体を視覚化する技術に注力した。 |
| (この技術の一部は後に教科書に採用され、遺伝学を専攻する多くの学生が学ぶことになった)マクリントックはトウモロコシの染色体を酢酸カーミン溶液で染色する技術を開発し、トウモロコシが持つ10の遺伝子の形態を初めて明らかにしているKass,LeeB.andChristopheBonneuil.2004."Mappingandseeing:BarbaraMcClintockandthelinkingofgeneticsandcytologyinmaizegenetics,1928-1935".Chapt5,pp.91-118,inHans-JörgRheinbergerandJean-PaulGaudilliere(eds.),''ClassicalGeneticResearchanditsLegacy:TheMappingCulturesof20thCenturyGenetics''.London:Routledge.。 |
| マクリントックは、染色体の形態研究の成果から、特定の遺伝子を受け継ぐトウモロコシをグループ分けすること、つまり遺伝的連鎖を明らかにすることにも成功した。 |
| マクリントックは雑誌''Genetics''に1929年に投稿した論文で三倍体染色体を持つトウモロコシの重要性について言及した。 |
| チームの一員でマクリントック生涯の友マーカス・ローズは後に、1929年から1935年にかけてコーネル大学から発表された重要な発表の17のうち10までがマクリントックの成果であると述べているRhoades,MarcusM."ThegoldenageofcorngeneticsatCornellasseenthoughtheeyesofM.M.Rhoades".undated |
| 当時は気分転換にテニスをするのが好きで、チーム仲間で大学院生のクレイトンがよく相手をした。 |
| 1931年、マクリントックはクレイトンと共に、相同染色体の減数分裂時の乗換えと、遺伝形質の組み換えに関係があることを証明したCoe,EdandLeeB.Kass.2005a."Proofofphysicalexchangeofgenesonthechromosomes".ProceedingsoftheNationalAcademyofScience102(No.19,May):6641-6656.Availableonline,May2,2005: |
| つまり、2人は染色体の乗換えがどのように起こり、それがどのように表現型に現れるかを観察したCreighton,HarrietB.,andMcClintock,Barbara.(1931)"ACorrelationofCytologicalandGeneticalCrossing-OverinZeaMays".ProceedingsoftheNationalAcademyofSciences17:492–497.。 |
| これまでも、遺伝的組換えが起こるのは減数分裂の時であるとの予想はされていたが、それをトウモロコシで実験的に証明したのは初めてだった。 |
| マクリントックはトウモロコシとしては初となる染色体地図を作り、その中でトウモロコシの第9染色体に含まれる3つの遺伝子の表現型を明らかにしたMcClintock,Barbara.(1931)"TheorderofthegenesC,Sh,andWxinZeaMayswithreferencetoacytologicallyknownpointinthechromosome".ProceedingsoftheNationalAcademyofSciences17:485–91.。 |
| この知見と技術は長らくマクリントックとクレイトンの研究の武器となったCoe,EdandLeeB.Kass.2005a."Proofofphysicalexchangeofgenesonthechromosomes".ProceedingsoftheNationalAcademyofScience102(No.19,May):6641-6656.。 |
| マクリントックは、この研究成果を対外発表するにはまだデータが不足していると考えており、翌年のクレイトンの博士論文の題材にするつもりだったが、ショウジョウバエを使って初めて染色体地図を作ったトーマス・ハント・モーガンがたまたま訪れた際の強い勧めにより論文投稿され、モーガンの推薦で特別に早く米国科学アカデミー紀要に掲載された。 |
| 当時ドイツの。 |
| モーガンはこの後もマクリントックに対し、しばしば重要な助力をすることになる。 |
| (なお、モーガンはこの2年後の1933年にノーベル賞を受賞している)。 |