| 被抑圧者の教育学は、教育者パウロ・フレイレの代表的な著作。 |
| 1968年にポルトガル語で出版された後、1970年に英語に翻訳された。 |
| フレイレは、この著作の中で、教育制度における公正と平等の問題を追求し、新たな教育学を提唱した。 |
| 抑圧者、被抑圧者と共にある者たち、そして被抑圧者の側で闘う者たちのために、フレイレは、詳細なマルクス主義的な階級分析を用いて植民地支配者と被支配者の関係を吟味した。 |
| ブラジル人の識字学習の支援を行った経験をもとに書かれたこともあり、抑圧者の教育学は、発達途上国で広く読まれている。 |
| 世界中で75万冊出版され、批判教育学の礎を築いた。 |
| 抑圧者の教育学は複数の言語に翻訳されているが、ほとんどの版のおいても、はしがき、序文に加え、4つの章で構成されている。 |
| 第1章において、抑圧がどのようにして正当化されるかについて吟味し、それが抑圧者と被抑圧者の相互的な過程を通じて克服されていく道を描写した。 |
| 植民地の支配者と被支配者の間の権力関係が、どのようにして相対的な均衡を保っているのかを分析し、フレイレは、社会の中で権力を奪われた状態にあると、自由を恐れるようになる可能性があることを認めた。 |
| フレイレは、「自由は、贈り物のように差し出されるものではなく、勝利によって獲得される。 |
| それは、常に、そして敏感に、追求され続けなければならない。 |
| それは、人間の外に存在する理想などではなく、神話の世界の観念的なものでもない。 |
| 自由とは、人間が完成を目指して行う冒険のために欠かすことのできない条件である」と述べている。 |
| フレイレによれば、自由は、知識を伴った行動である「実践」(プラクシス=PRAXIS)の所産であり、それを獲得するためには、理論と行動のどちらも欠けてはならないのである。 |
| 第2章では、「銀行型教育」の分析を行った。 |
| 「銀行型教育」とは、教師は空の銀行口座のような生徒に、まるで預金を繰り返していくように知識の伝達を行う教育形態を例えている。 |
| フレイレは、この銀行型教育に否定的であった。 |
| なぜならば、この教育を通じて、生徒も教師も共に「非人間化」されてしまう上に、社会における抑圧的な態度や行動が助長されてしまうからである。 |
| 代わりに、フレイレは教育に世界を調停していくような役割を見出し、人間を不完全な存在と考える相互作用的な教育を支持した。 |
| フレイレによれば、この「真の」教育では、人々が己の不完全性に気づき、より完全な人間となることに励むことが求められる。 |
| 教育を個人や社会の意識的な形成のための手段として用いる試みは、「意識化」と呼ばれる。 |
| この言葉は、抑圧者の教育学の中で、フレイレがはじめて用いた用語である。 |
| 第3章では、「自由の実践としての教育の本質」である「対話」に脚光が当てられる。 |
| 言葉は省察と行動の徹底的な相互作用を必要とするものであり、真の言葉は変革的なものである、とフレイレは主張している。 |
| 対話のために、相互的な愛、謙、信頼が必要となってくるが、それは理解を育むためだけではなく、世界を変革するためでもある。 |
| フレイレによれば、真の教育とは、教師と生徒の間の対話を必要とし、より大きな世界の状況を通じて行われねばならない。 |
| フレイレは、「限界状況」によって、植民地支配者と被支配者の両者が関係するすべての人間を非人間化するようになり、対話の能力を奪ってしまう結果、変革の可能性の芽が摘まれてしまうことを危惧している。 |
| 第4章では、植民地の被支配者のための道具としての「対話的行動理論」について述べている。 |
| 人間を解放するために社会に存在する問題を解決するためには、協働、団結、組織、文化統合が必要とされている。 |
| これは、征服、分割統治、大衆操作、文化侵略を用いる「反対話的行動理論」とは対照的である。 |