| 1994年10月、同じ年のマルチナ・ヒンギスと同時期に14歳でプロ転向。 |
| しかし学業を優先する父親リチャードの教育方針により、最初の2年間は出場試合数を絞っていた。 |
| 1997年3月からWTAツアーに本格参戦を開始。 |
| 同年の全仏オープンで4大大会にデビューする(1回戦の相手は日本の沢松奈生子であった)。 |
| 1997年の全米オープンで、世界ランキング66位のノーシードから決勝進出。 |
| ヒンギスに0-6,4-6で完敗したが、黒人少女の登場は強烈な印象を与えた。 |
| この頃から妹のセリーナとともに、黒人スポーツ選手として“テニス版タイガー・ウッズ”を目標にしてきた。 |
| 1998年3月に世界トップ10入り。 |
| この年、ウィリアムズ姉妹は4大大会の混合ダブルス部門を姉妹で独占した。 |
| ビーナスはジャスティン・ギメルストブ(アメリカ)とのペアで全豪オープンと全仏オープンに連勝し、セリーナはマックス・ミールヌイ(ベラルーシ)とのペアでウィンブルドンと全米オープンを連続制覇した。 |
| 1999年、姉妹揃ってのさらなる躍進がやってくる。 |
| 1999年3月の「リプトン国際選手権」で、ビーナスとセリーナは初めての“姉妹対決の決勝”を戦う。 |
| セリーナが1999年の全米オープンで優勝したため、4大大会優勝では妹に先を越されたが、ビーナスは2000年のウィンブルドン選手権で4大大会初優勝を果たした(この時は準決勝でセリーナと姉妹対決をしている)。 |
| 同年の全米オープンで4大大会に2連続優勝。 |
| シドニー五輪でも単複の金メダルを獲得し、シングルス「35連勝」を記録した。 |
| 2001年もウィンブルドンと全米オープンで大会2連覇。 |
| 2001年の全米オープンで、姉妹の宿願であった「4大大会の姉妹対決決勝」を実現させる。 |
| 最初の対戦では姉のビーナスが勝利した。 |
| 2002年2月、黒人の女子テニス選手として初の世界ランキング1位になる。 |
| しかしこの頃から妹セリーナとの力関係が逆転し始めた。 |
| 2002年全仏オープンから2003年全豪オープンまで「4大会連続」で姉妹対決の決勝を実現させるが、妹セリーナに4連敗を喫してしまう。 |
| 2003年のウィンブルドンでも決勝でセリーナに敗れた。 |
| その後姉妹2人ともに体調を崩し、2003年度テニス・ツアーの後半戦を欠場する。 |
| 姉のビーナスは2004年1月からツアーに復帰したが、しばらく4大大会で不本意な早期敗退が続いた。 |
| しかし2005年のウィンブルドンで復活を遂げ、4年ぶり3度目の優勝を飾る。 |
| 第14シードから勝ち進み、準決勝で大会前年優勝者のマリア・シャラポワに快勝し、決勝戦では(5年前の初優勝と同じ顔合わせ)リンゼイ・ダベンポートに4-6,7-6,9-7で競り勝った。 |
| left|170px|thumb|2007年。 |
| 2006年ウィンブルドンでは3回戦で姿を消したが、2007年の同選手権で再び返り咲く。 |
| ビーナスは世界ランキング31位(第23シード)の位置だったが、4回戦でシャラポワ、準々決勝でスベトラーナ・クズネツォワ、準決勝でアナ・イバノビッチを破り、決勝ではマリオン・バルトリを6-4,6-1で退け、2年ぶり4度目の優勝を達成した。 |
| コンピューター・ランキングが導入されて以来、ウィンブルドン史上最も低いランキングでの優勝者となった(それまでの記録も、2年前のビーナス自身による16位での優勝)。 |
| 2008年ウィンブルドンでは、5年ぶりに妹セリーナとの「姉妹対決の決勝」を実現させ、姉のビーナスが7-5,6-4のストレート勝ちを収めた。 |
| これでビーナスの4大大会シングルス優勝は「7勝」となり、ウィンブルドン女子シングルス「5勝」は、同選手権の単独6位記録となる。 |
| 2009年ウィンブルドンでは、2年連続の姉妹対決決勝でセリーナに6-7,2-6で敗れ、3連覇を逃した。 |
| ビーナスの最大の武器は、時速200kmを超える高速サーブである。 |
| 最大のライバルであるマルチナ・ヒンギスの頭脳プレーに打ち勝つため、持ち前の体格で強力なパワーテニスを編み出してきた。 |
| そのため、姉妹ともに多くの故障に悩まされてきた。 |
| 姉妹の4大大会ダブルス優勝は12度あり、シドニー五輪と北京五輪のダブルス金メダルも獲得した。 |
| 初めて姉妹ダブルスで4大大会に出場した1998年全豪オープンでは、3回戦で日本の雉子牟田直子&宮城ナナ組に敗れている。 |
| 1999年全仏オープンの女子ダブルス決勝でマルチナ・ヒンギス&アンナ・クルニコワ組を破って初優勝して以来、姉妹で組めば無敵の強さを誇ってきた。 |
| しかし、2003年のウィンブルドン女子ダブルス3回戦で、姉妹はロシアペアのエレーナ・デメンチェワ&リナ・クラスノルツカヤ組に敗退した。 |
| その後は姉妹のどちらかが体調不良となる大会が多く、なかなかこのペアで試合にエントリーできなくなっていた。 |
| 5年後の2008年ウィンブルドンで、姉妹は6年ぶり3度目の女子ダブルス優勝を果たし、リサ・レイモンド(アメリカ)&サマンサ・ストーサー(オーストラリア)組を6-2,6-2で圧倒した。 |
| 北京五輪の女子ダブルスでは第2シードから勝ち上がり、2大会ぶり2個目の金メダルを獲得した。 |
| 2009年全豪オープンでは、姉妹は決勝で杉山愛&ダニエラ・ハンチュコバ組を6-3,6-3で破り、6年ぶり3度目の全豪女子ダブルス優勝を決めた。 |
| それからウィンブルドンから2010年全仏オープンまで4大大会女子ダブルス4連勝を達成している。 |
| ビーナスは日本を訪れた回数が少なく、これまで2度しか来日がない。 |
| 初来日は2004年2月の東レパン・パシフィック・オープン・テニストーナメントであったが、この時期は長期の故障から復帰したばかりで、準々決勝の試合前に棄権している。 |
| 2007年10月、ビーナスはジャパン・オープンに初出場し、彼女の来日としては3年ぶり2度目となったが、急遽の出場要請だったこともあり(本来は休養する予定だった)決勝でビルジニ・ラザノ(フランス)に6-4,6-7,4-6で敗れて準優勝になった。 |