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プロフィール
- ピート・ローズとは
- 経歴
- 永久追放
- 選手としての特徴
- 日本における知名度
- プロレスとピート
- 獲得タイトル・表彰
- 記録
- 年度別打撃成績
- 著書
ピート・ローズ(PeterEdward"Pete"RoseSr.,1941年4月14日-)は、アメリカオハイオ州シンシナティ出身の元プロ野球選手。ニックネームは「 チャーリー・ハッスル」。メジャーリーグで1963年から1986年までプレイし、MLB最多試合出場記録・最多安打記録・200安打最多回数記録などの記録を持つ。複数のポジションを経験し、二塁→右翼→左翼→三塁→一塁を守った。
経歴
| 1960年、地元の球団であるシンシナティ・レッズに入団。 |
| 1963年にメジャーデビューを果たし、二塁手として打率.273、6本塁打、41打点を記録、その年の新人王に輝く。 |
| 「チャーリー・ハッスル」の名の通り、いつでも全力でプレーするローズは地元ファンの人気も高く、その後の1968年と1969年に2年連続で首位打者を獲得するなど、チームの顔として定着する。 |
| 1970年、後に名将と呼ばれるスパーキー・アンダーソンがレッズの監督に就任すると、チームは大躍進。 |
| 同年にリーグ優勝を果たすと、1975年、1976年にはワールドシリーズを制覇。 |
| 1970年から1978年に掛けて地区優勝6回、リーグ優勝4回、ワールドシリーズ制覇2回を果たした。 |
| その間、ローズをはじめ後の球史に名を残す名選手を揃え、1970年代のメジャー球界を席巻したレッズは、「ビッグレッドマシン」と呼ばれ、絶大な人気を誇った。 |
| ローズも主将としてレッズを牽引し、1973年には3度目の首位打者を獲得、その年のナショナルリーグMVPに輝いた。 |
| 1975年のワールドシリーズMVPにも輝き、1978年にはメジャー歴代2位となる44試合連続安打、史上最年少での通算3,000本安打を達成した。 |
| 1978年、オフにFA権を取得すると、フィラデルフィア・フィリーズに移籍。 |
| レッズ時代と変わらぬ活躍ぶりを見せ、1980年にはフィリーズ史上初のワールドシリーズ制覇に貢献した。 |
| 1984年、モントリオール・エクスポズに移籍し、史上2人目となる通算4,000本安打を達成した。 |
| 1985年、45歳となったローズは、選手兼監督としてレッズに招聘。 |
| 同年9月11日、タイ・カッブの持つメジャー記録を更新する4,192本目のヒットを放った。 |
| その後、1986年限りで監督業に専念することとなり、現役を引退した。 |
| 監督としての特徴は、相手投手の左右などで野手のツープラトン起用を好んだ。 |
| 1989年、監督在任中に野球賭博に関わったとして、メジャーリーグから永久追放処分を受けた。 |
| 2011年現在も、球界復帰は叶っていない。 |
永久追放
| 1989年に野球賭博に関わっていたことが発覚。 |
| 賭けの対象に自身が監督を務めるレッズが含まれていたことから、当時のコミッショナー、バート・ジアマッティ(同年9月に、問題処理の心労で急死)により永久追放処分を受ける。 |
| 今も球界には関われないままであるが、ローズの球界復帰を望む声は後を絶たない。 |
| この事件は、何らかの形でローズが事件に巻き込まれてしまったという説が長らく有力であったが、2004年に発売された自叙伝での告白やスポーツ専門放送局・ESPNのラジオ番組で、「毎晩賭けていた。 |
| 私は間違っていた」などと語り、野球賭博への関与を認めている。 |
| ローズの現役・監督を通じてつけていた背番号は「14」で、一番長く在籍したシンシナティ・レッズでも永久追放処分を受けたため、永久欠番に指定されていないが、実際のところはローズ以外にこの背番号をつけたのは息子のピート・ジュニア以外になく、事実上永久欠番といえる。 |
| 2004年、ローズの野球賭博の内幕を描いた |
選手としての特徴
| メジャー屈指の安打製造機だったローズの最大の魅力は、その全力プレーであった。 |
| どんな当たりでも一塁まで全力疾走し、際どいプレーにはヘッドスライディングで次の塁に進んだ。 |
| ローズのアグレッシブさを示す有名なエピソードとして、1970年のオールスターゲームが挙げられる。 |
| 延長12回まで進んで白熱したゲームは12回裏、サヨナラのホームインを狙ったローズがホームでクロスプレー、捕手のレイ・フォッシーと大激突した。 |
| このプレーによってチームは勝利を収めたが、フォッシーは大怪我し、自身もその後の公式戦3試合を休むこととなった。 |
| オールスターということもあり、このプレーは少なからず論議を呼んだが、ローズの全力プレーを見慣れている地元ファンは、オールスターでも変わらないローズのプレーに対して賞賛を与えた。 |
| スイッチヒッターであるローズの打撃フォームは独特で体を大きく屈め、ボールを覗き込むように構えるクラウチングスタイルをとった。 |
| パワーはなかったものの、真芯で捕らえる技術に長け、確かなミートで安打を量産した。 |
| 足もさほど速くはなかったが、アグレッシブな走塁で二塁打、三塁打を狙った(通算二塁打は、メジャー歴代2位)。 |
| 守備において、多くのポジションを経験した。 |
| デビュー当時は二塁手、次に右翼手、左翼手、三塁手、晩年は一塁手でプレーした。 |
| それぞれの守備において500試合以上を経験し、すべてのポジションでオールスターに選出された。 |
| 故障とはほとんど無縁であり、鉄人であった。 |
| 24年間のメジャー生活の中で、故障者リストに入ったのは1968年と1986年のわずか2回のみで、それぞれ2週間ほど戦列を離れただけである。 |
日本における知名度
| 1978年の日米野球でシンシナティ・レッズの一員として来日。 |
| 1981年、東洋水産のカップ麺(激めん)のテレビCMに出演。 |
| メジャーリーグの露出が少なかった当時の日本で、一躍有名人となった。 |
プロレスとピート
| 1972年から1976年までのレッズのニックネームはビッグレッドマシン(BigRedMachine)であったが、アメリカのプロレス団体WWF(現・WWE)所属のプロレスラーケインも同名のニックネームを持ち、結果当時のレッズの主要メンバーの1人であったローズとケインの間に遺恨のストーリーラインが書かれた。 |
| そしてWWFの興行、レッスルマニアでローズがケインの試合に乱入してはツームストーン・パイルドライバーを受ける光景は、一時期名物化した。 |
| 後に、このケインとのムーブによって、ローズは2004年にWWE殿堂入りすることとなった。 |
| その際に、ケインが盾を授与するプレゼンターを務めた。 |
| なお、この殿堂入りは、アメリカ野球殿堂入りが困難な状況にあるローズに対し、代わりにプロレスの殿堂入りをさせるというビンス・マクマホンの計らいであるとされる。 |
獲得タイトル・表彰
| ナショナルリーグMVP1回:1973年。 |
| 新人王:1963年。 |
| 首位打者3回:1968年(.335)、1969年(.348)、1973年(.338)。 |
| ゴールドグラブ賞2回:1969年、1970年。 |
| シルバースラッガー賞1回:1981年。 |
| ハッチ賞:1968年。 |
| ルー・ゲーリッグ賞:1969年。 |
| ロベルト・クレメンテ賞1回:1976年。 |
| MLBオールスターゲーム選出17回:1965年、1967年-1971年、1973年-1982年、1985年。 |
| ※1965年は二塁手、1973年-1975年は外野手、1976年、1978年は三塁手、1981年、1982年は一塁手としてファン投票選出。 |
記録
| 通算安打:4,256(歴代1位)。 |
| 通算試合:3,562(歴代1位)。 |
| 通算打数:14,053(歴代1位)。 |
| 通算打席数:15,861(歴代1位)。 |
| 通算出塁数:5,929(歴代1位)。 |
| 通算単打:3,215(歴代1位)。 |
| 通算二塁打:746(歴代2位)。 |
| 通算アウト回数:10,328(歴代1位)。 |
| 連続試合安打:44(歴代2位)。 |
| 1試合5安打以上:10(歴代1位)。 |
| シーズン200安打:10(歴代1位タイ)。 |
著書
| 『挑戦する624人の大リーガー』伊東一雄監修・訳(日之出出版,1988年)ISBN4-89198-065-6。 |
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1941年
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ピート・ローズ(Peter Edward "Pete" Rose S... |
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1960年
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